月〜金曜日 20時54分〜21時00分


小浜市 

 若狭国・小浜はかつては大陸との玄関口でもあった。シルクロードを通って中国に伝わった文化や中国独自の文化、さらにインドや、朝鮮半島の文化が小浜から飛鳥、奈良、京都の都へ伝えられた。また、若狭国は天皇に海の幸や塩などの食べ物を献上する御食国(みけつくに)でもあった。京都に通じる鯖街道はその名残と言えよう。こうした名残が伝統行事や産業に残っている小浜市を訪ねてみた。


 
お水送り  放送 3月4日(月)
 関西に春を告げる奈良・東大寺のお水取りは3月12日に行われるが、それに先立つこと10日、3月2日に若狭・小浜市の神宮寺と遠敷(おにゅう)川の鵜の瀬でお水送りの儀式が行われる。全国的に知られた東大寺のお水取りが表舞台なら、小浜のお水送りは表舞台を支える裏方と言える。
 東大寺のお水取りの儀式は、二月堂そばの閼伽井屋(あかいや)の井戸から霊水を汲み、仏に献ずる。この水は遠く若狭の遠敷川から大和まで送られていると言う。伝説によると天平の昔、東大寺二月堂で行われた修二会に各地の神々が勧請されたが、若狭国の遠敷明神はこの修二会に遅刻してしまった。そのお詫びとして遠敷川の神水を献じるようになったのがお水送りの始まり。神宮寺は「お水送りの寺」で、そのお水送りはお水取りの序章と言える。

水中洞窟

(写真は 水中洞窟)

神宮寺・本堂(重文)

 お水送りの儀式は火天役が持つ松明(たいまつ)に火が移され、本尊前の内陣を3回かけ回る勇壮な火祭りで始まる。本堂前で焚かれた柴灯大護摩(さいとうおおごま)の火が、行者たちの持つ松明に点火され約1.8km上流の鵜の瀬までのぼる。この長い松明の列は夜空に映え壮大な火の行列となる。神宮寺の閼伽井で汲まれた霊水が鵜の瀬で遠敷川へ流され、東大寺二月堂の閼伽井の井戸へと流れる。
 神宮寺は神仏混淆(しんぶつこんこう)の寺で神像をまつり、本尊は薬師如来像。本堂にはしめ縄が張られ、仏教で言う結界を表しており、浄と不浄を分け、これより先の神域を示す。神宮寺は若狭彦直系の子孫と伝えられる和朝臣赤麻呂(わのあそんわかまろ)が奈良時代初めの和銅7年(714)に創建。神願寺と称し遠敷明神を祭り、神仏混淆の色彩が強い寺だった。神宮寺となった今も、本堂には本尊の薬師如来像を中心に日光、月光菩薩像、十二神将像、千手観音像、不動明王像、多聞天像などが並び、右手には若狭比古、若狭比女大神、白石鵜之瀬明神などの神号が掲げられている。

(写真は 神宮寺・本堂(重文))


 
若狭一の宮  放送 3月5日(火)
 遠敷(おにゅう)川を前にした若狭彦神社(上社)、そこから2kmほど下流にある若狭姫神社(下社)の両神社を総称して「若狭一の宮」と言う。
 若狭彦神社は小浜で最も歴史が古い神社で、奈良時代初めの和銅7年(714)の創建。
現在地には鎌倉時代の宝治2年(1248)に遷された。祭神は山幸彦で知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)。兄の海幸彦から借りた釣り針をなくし、その針を探しに海神の宮に行く。そこで竜宮城の乙女と言われる若狭姫神社の祭神・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と結婚したとの神話がある。
 境内には杉の老木が立ち並び昼間でもうっそうとして暗く、静寂で厳粛な雰囲気が漂っている。本殿は江戸時代に再建されたもので、本殿左の清めの水は遠敷の豊富なわき水を長い竹の筒で引いたものである。

若狭彦神社(上宮)・本殿

(写真は 若狭彦神社(上宮)・本殿)

若狭姫神社(下宮)・遠敷大明神玉の井

 若狭姫神社は養老5年(721)に若狭彦神社から分社して創建された。祭神は若狭彦神社の祭神・彦火火出見尊と結婚したとの神話がある豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。
 遠敷地区の中心にあり参拝者も多く、若狭彦神社とは対照的に境内は明るく壮麗な趣がある。境内には「遠敷千年杉」の巨樹がそびえ立っている。
 神仏混淆(しんぶつこんこう)の寺として知られている神宮寺の収蔵庫には、男神(若狭彦)と女神(若狭姫)(いずれも国・重文)が安置されている。かつては神宮寺本堂背後の奥の院にまつられていた。

(写真は 若狭姫神社(下宮)・遠敷大明神玉の井)


 
明通寺  放送 3月6日(水)
 小浜は「海のある奈良」とも呼ばれ市内には古寺名刹が多い。明通寺は平安時代初めの大同元年(806)坂上田村麻呂が創建したと伝えらる。急な石段をのぼり山門をくぐると杉木立の中に、鎌倉時代中期の建築で重厚な国宝の本堂と三重塔がたたずむ。福井県下で国宝の建造物は、明通寺の本堂と三重塔のふたつだけ。
 田村麻呂は山中に住む老居士の命ずるままにお堂を建て、老居士がユズリハの木から薬師如来、深沙大将(じんじゃたいしょう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)の三体の像を彫って安置した。ここから明通寺の山号が棡山(ゆずりさん)となった。

本堂(国宝)

(写真は 本堂(国宝))

三重塔(国宝)

 本堂は正嘉2年(1258)の再建。鎌倉時代の重厚で力感あふれる名建築を苔むす基壇の自然石の石垣がさらに引き立てている。内陣には本尊の薬師如来座像(国・重文、平安時代後期)の左右に深沙大将と降三世明王の巨大な像が居並ぶ。薬師如来像は日光、月光菩薩像を脇侍に従えるのが一般的で、明通寺のこうした布陣は異例。三重塔は文永7年(1270)の再建で、本堂と共に鎌倉時代の建築の特色を見せている。
 深沙大将は玄奘三蔵法師を砂漠で守ったと言う護法神。頭に髑髏(どくろ)を乗せ、左手に蛇をつかみ、腹部に人面をつけた異形像である。降三世明王像は4つの顔、8本の手を持つ巨大な明王像。貪(とん)、瞋(しん)、癡(ち)の三毒を降伏することから降三世の名がある。境内には小浜市の天然記念物に指定されている樹齢500年のカヤの巨樹があり、歴史の古さを物語っている。

(写真は 三重塔(国宝))


 
若狭塗  放送 3月7日(木)
 小浜市が誇る伝統工芸のひとつに、400年の歴史を持つ若狭塗の漆器がある。若狭塗の特徴は貝殻や卵殻、金箔、銀箔、松葉、桧葉などを何色もの色漆で塗り重ね、石や炭、砥粉(とのこ)などで丹念に研ぎ出す「研ぎ出し技法」にある。完成までに数ヵ月かかり、その重厚な風格は若狭塗独特のものと言える。
 若狭塗は江戸時代初めの慶長年間(1596〜1615)に小浜藩の御用塗師・松浦三十郎が中国漆器の一種「存星(ぞんせい)」にヒントを得て、海底の様子を意匠化する技法を考え出したのが始まりと言われている。万治年間(1658〜1661)に小浜藩主の酒井忠勝が「若狭塗」と命名し、家中の足軽の内職として保護、育成したので、後に多くの漆塗の名工を輩出した。万延元年(1860)皇女・和宮が徳川家への降下の際、若狭塗のタンスが献上されたと伝えられている。

若狭塗箸

(写真は 若狭塗箸)

箸のふるさと館

 若狭塗は明治以降も若狭の特産品として奨励され、最盛期には業者が40軒、職人は70人もいた。戦後の混乱期には需要が落ち込んで低迷し、転業者が相次いだ。その後持ち直して箸や什器の生活用品のほかに茶器、盆、菓器、硯(すずり)箱などの漆工芸品の人気が高まり、小浜市の特産品として根強い消費に支えられている。その中でも代表的なのが若狭塗の箸。若狭塗箸は全国生産の9割を占め、観光客には格好の土産品となっている。
 「箸のふるさと館」では300種類の箸を展示、販売しているほか、若狭塗の研ぎ出し体験コーナーもあり、研ぎ出されてくる美しい深みのある若狭塗が実感できる。

(写真は 箸のふるさと館)


 
伝統の町家  放送 3月8日(金)
 若狭国・小浜は江戸時代、北前船の寄港地として栄えた。日本各地から文化や物産が北前船で運ばれたほか、大陸の文化や珍しい品物も入ってきた。日本へ初めてゾウやクジャクが上陸したのも小浜だった。こうした小浜へは各地から大勢の人が集まり、繁華な色街が形成された。
 海岸沿いの香取、飛鳥の両町にまたがる三丁(約250m)の通りの三丁町が当時の花街だった。紅殻格子や出格子の情緒あふれる家並みが残り、何軒もの料亭が営業しており、路地からは三味の音がもれ聞こえてくる。

三丁町

(写真は 三丁町)

お休み処おいでやす・二階稽古場

 幕末の安政5年(1858)の記録に「西三町 茶屋職 およそ50軒余り」とある。
江戸時代の茶屋職とはいわゆる遊び茶屋のことを言い、茶屋や料理店が集まり歓楽街を形成していたことが記されている。
 北前船の寄港地だった小浜には、海の豪商・廻船問屋古河屋嘉太夫の別邸「千石荘」や北前船の船頭たちの宿泊所だった北前屋敷などが残っている。
 三丁町には古い町家が多く残っており、江戸時代の風情が感じられる。三丁町の商家には「ガッタリ(揚げ店)」と呼ばれる縁台が残っている。不用の時は雨戸の前へたたみ揚げ、必要に応じて下ろし商品などを並べる陳列台などに使う。このほか町屋には当時の庶民の生活を知るうえで貴重な資料が数多く残っている。

(写真は お休み処おいでやす・二階稽古場)


◇あ    し◇
神宮寺、遠敷川鵜の瀬JR小浜線東小浜駅下車徒歩40分、タクシーで10分。 
若狭彦神社JR小浜線東小浜駅下車徒歩20分。 
若狭姫神社JR小浜線東小浜駅下車徒歩10分。 
明通寺JR小浜線小浜駅からバス明通寺下車徒歩5分。但し朝夕の一日2便。 
青野漆器工芸店JR小浜線小浜駅下車徒歩5分。 
箸のふるさと館JR小浜線小浜駅からタクシーで10分。 
三丁町JR小浜線小浜駅下車徒歩10分。 
〔東小浜駅前、若狭小浜観光案内所にレンタサイクルがある〕
◇問い合わせ先◇
小浜市役所商工観光課0770−53−1111 
若狭小浜観光案内所0770−52−2082 
神宮寺0770−56−1911 
若狭彦神社・若狭姫神社0770−56−1116 
明通寺0770−57−1355 
青野漆器工芸店0770−52−1069 
箸のふるさと館0770−52−1733 
小浜料亭事業協同組合0770−52−0392 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会