月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京阪神の天神さん 

 九州・太宰府に左遷され非運のうちに没した菅原道真が、京都・北野天満宮に祭られてから学問の神として崇敬されるようになった。関西は道真と縁が深く、各地に道真との関わりが伝えられ天満宮や天満神社がある。今回は大阪、京都、神戸の天神さん5カ所をめぐり歩いてみた。


 
大阪天満宮(大阪市)   放送 7月15日(月)
 暑い真夏に“なにわっ子”が燃え、商都・大阪の夏を彩る大阪最大の祭・天神祭が7月24、25日に大川で繰り広げられる。
 大阪天満宮の例祭・天神祭は24日の宵宮の日の朝、祭の無事と安全を祈願して大川に神鉾(かみほこ)を流す鉾流(ほこながし)神事からスタートする。この日、催太鼓(もよおしだいこ)が地響きのような音を響かせ祭の準備ができたことを天満宮周辺に触れ回る。25日の本宮は3000人の行列からなる陸渡御から始まり、いよいよクライマックスの船渡御が行われる。天神橋北詰を午後6時にスタートした船渡御の船団は大川を上流へ北上し、飛翔橋上流でUターンして引き返す約2時間の水上の祭典。列外船としてどんどこ船や天神祭囃子船、能船などが大川から道頓堀川周辺まで行き交い、祭気分を盛り上げる。また天神祭に合わせて水都祭花火大会があり、3000発の花火が大阪の夏の夜空を彩り、天神祭は最高潮に達する。

菅原道真公(上田耕冲筆)

(写真は 菅原道真公(上田耕冲筆))

大阪天満宮

 大阪天満宮は、菅原道真没後46年後の天暦3年(949)村上天皇の勅願で建立された。この地には白雉元年(650)に孝徳天皇が建立したと伝えられる大将軍社があった。讒言(さんげん)によって太宰府へ左遷された菅原道真が、赴任途中の船待ちの間にこの大将軍社に参拝したことが天満宮建立に結びついた。現在、大将軍社は大阪天満宮の摂社として祭られている。
 天神(あまつかみ)は雷神として祭られた。雨は農耕には欠かせないもので、雷は風雨を伴うので農耕の神として信仰されてきた。道真の死後、朝廷の要人が死亡したり、清涼殿への落雷、飢饉、疫病の流行などの異変が続き、道真の怨霊のたたりと恐れられた。この道真の霊を慰めその霊を祭るため京都・北野天満宮が創建された。こうして天神信仰が盛んになり、今は学問の神として崇められている。受験シーズになると、合格祈願の受験生や父母の参拝が後を絶たず、合格への願いを込めて奉納された絵馬が所狭しと掲げられている。

(写真は 大阪天満宮)


 
佐太天満宮(守口市)  放送 7月16日(火)
 守口市の佐太のあたりはかつて菅原氏の領地で、昌泰4年(901)に道真が大宰府に流される途中立ち寄って、赦免の便りを待った所と言われている。しかし、いちるの望みを託した便りは届かず、むなしく太宰府へ出立した。その時、道真は自分の木像と画像をこの地に残すと同時に、楊枝(ようじ)を地面に挿し「わが身が無実だとの証拠として、二葉の松となって生い栄えよ」と言ったという。ほどなく松が芽を出し見事に成長し、その名を「アカ松(証しの松)」と言ったとの伝えがあり、今もその跡地を「アカ松」と呼んでいる。
 道真が都に思いを馳せながら非運のうちに太宰府で没して約50年後の天暦年間(947〜57)に、里人が道真の徳を慕って、道真が残した木像を祭ったのが佐太天満宮の創建と言う。

菅公水鏡の池

(写真は 菅公水鏡の池)

神門

 佐太天満宮は文楽「道真伝授手習鑑」の「佐太村の段」でも知られている。道真の領地・佐太村の忠臣・白太夫とその子の松王、梅王、桜丸三兄弟の物語で、この白太夫を祭っている社がこの天満宮の境内にある。
 境内にある「水鏡の池」は道真の屋敷の庭にあった池で、太宰府に行く途中に立ち寄った時、この池に自分の姿を映して自画像と木像を彫ったと伝えられている。
 現在の社殿は江戸時代初期のもので、この地を領有していた菅原氏の子孫を自称する淀城主・永井尚政・尚庸父子と大阪の豪商・淀屋右衛門の協力によって再建された。また、神門は左右の柱と梁に白石を巧みに組み合わせた珍しい形式の門で、慶安元年(1648)永井尚政が寄進した。

(写真は 神門)


 
上宮天満宮(高槻市)  放送 7月17日(水)
 菅原道真の祖先である土師(はじ)氏の始祖は野見宿禰(のみのすくね)と言う。現在の高槻市周辺は野見一族が居住していた土地で、古くから野見宿禰を祭った野身神社があった。
 讒言(ざんげん)によって九州・太宰府に左遷された道真は、その死後、無実が証明されて名誉を回復した。正暦4年(993)菅原為理(すがわらためまさ)が一条天皇の勅使として太宰府に参拝、道真に左大臣の位を追贈した。都への帰途、菅原氏の祖先の地に鎮座していた野身神社の境内に社殿を築き、道真の画像を奉納して祭ったのが上宮(じゅうぐう)天満宮の創建と伝えられている。地元の人びとは昔から「北山の天神さん」と呼び親しみ、信仰している。

野身神社

(写真は 野身神社)

上宮天満宮

 上宮天満宮は約2ha、8000本の竹林を持ち“竹の天神さん”とも呼ばれている。
この竹を生かしたさまざまなグッズを開発し、参拝者らに販売している。
 境内にはてんじん竹工房がありさまざまな竹細工品を創作している。学問の神様・天神さんにはなくてはならないのが合格祈願の絵馬で、竹製の絵馬もある。ほかに合格筆立て、竹筒に入った御神酒セット、竹酢液、竹炭、などがある。竹の良さをうまく生かしたのが竹灯りセット。竹の中にローソクを立て、ほのかな灯りを楽しむもので、竹の中でゆらゆら揺れる炎が幻想的な雰囲気を醸し出す。サクラの時期にこの竹灯りを照明として境内に立て、夜桜見物を催したり、大みそかに参道、境内全域を竹灯りでライトアップして新年を迎えている。

(写真は 上宮天満宮)


 
錦天満宮(京都市)  放送 7月18日(木)
 「京都の台所・錦市場」でおなじみの錦小路通の東の突き当たり、新京極通に面して建っているのが錦天満宮。京都一の繁華街にあるだけに地元の人たちはもとより、修学旅行の生徒や若いカップルなどの参拝者でにぎわっている。
 繁華街の中にある天神さんだけに参拝者や境内の雰囲気もにぎやかである。ほかの天神さんとはやや趣を異にしており、拝殿や本殿も明るい照明の中にあり、華やいだ境内が錦天満宮の特徴と言えそうだ。また、鳥居の端が民家の中に突っ込んでいるのも、土地に余裕のない繁華街の神社の様子を如実に示していて面白い。

錦天満宮

(写真は 錦天満宮)

錦の水

 錦天満宮は元は菅原道真の父で参議・是善(これよし)の邸宅であった菅原院に祭られていた。
その後、菅原院が六条河原院に移された時に「天満宮」と称した。桃山時代の天正年間(1573〜92)豊臣秀吉が京都の町作りを進めるに当たって、この天満宮を現在地に移転、錦小路の東にあるので「錦天満宮」と称するようになった。
 以来、400年以上も京都一の繁華街の中で、京都の人びとの篤い信仰を集め、華やいだ京都の町の中で人びとの喜び、悲しみを見つめてきた。境内に京都の名水「錦の水」が地中から湧き出しており、この名水を遠くから汲みに来る人も多い。

(写真は 錦の水)


 
神戸北野天満神社(神戸市)  放送 7月19日(金)
 神戸市の北野と言えば異人館が建ち並ぶ神戸の代表的観光地で、エキゾチックなイメージが強いが、ここにも天神さんが祭られている。と言うよりも、そもそも北野の地名がこの神戸北野天満神社から取ったものである。
 平安時代末の治承4年(1180)平清盛が福原に都を遷した際、都の鬼門を守護するため京都の北野天満宮を勧請した。そこからこの地が北野と呼ばれるようになったもので、800年以上の歴史を有する古社。すぐそばに風見鶏の館が建ち、境内はミナト神戸を眺望する絶好の場となっている。

平相国清盛(月岡芳年画・神戸市立博物館蔵)

(写真は 平相国清盛(月岡芳年画・神戸市立博物館蔵))

神戸北野天満神

 幕末の慶応3年(1867)神戸港が開港、神戸へやって来たの外国人たちは、日本政府が指定した居留地(現・神戸市役所西側一帯)に住んでいた。明治20年(1887)ごろから経済的に安定してきた外国人たちは、見晴らしのよい山手方面へ住居を移すようになった。北野天満神社近くの北野町一帯が住宅地として開発され、洋風住宅が建築された。
 そのころから神戸北野天満神社へも外国人が参拝していたようだ。今も天満神社では北野国際祭り、北野国際いけばな展、北野国際芸術祭(北野国際カラオケ大会)、北野国際イモ煮まつりなど、神戸に住む外国人も参加するイベントが盛りだくさんある。まさに国際都市・神戸の天神さんの本領をいかんなく発揮している。

(写真は 神戸北野天満神社)


◇あ    し◇
大阪天満宮JR環状線天満駅下車15分。 
京阪電鉄北浜駅又は天満橋駅下車15分。
地下鉄南森町駅下車5分。
佐太天満宮京阪電鉄寝屋川市駅または守口市駅からバス佐太天神前下車徒歩7分。 
上宮天満宮JR東海道線高槻駅下車徒歩5分。 
錦天満宮阪急電鉄河原町駅下車徒歩3分。 
京阪電鉄四条駅下車徒歩8分。
神戸北野天満神社JR、阪急電鉄、阪神電鉄三宮駅からシティーループバス北野異人館下車。 
JR、阪急電鉄、阪神電鉄三宮駅下車、JR新幹線新神戸駅下車れ徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
大阪天満宮06−6353−0025 
佐太天満宮06−6901−7500 
上宮天満宮0726−82−0025 
錦天満宮075−231−5732 
神戸北野天満神社078−221−2139 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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