月〜金曜日 18時54分〜19時00分


伊勢市 

 伊勢参りに代表される伊勢市は、三重県の中東部にある観光都市で伊勢神宮への参拝者でにぎわっている。周辺には伊勢志摩国立公園の海辺のリゾート観光地があり、海の幸、山の幸にも恵まれ、京阪神や名古屋方面からの観光客が多い。


 
勢田川と河崎商人  放送 12月15日(月)
 河崎は伊勢市北部を流れる勢田川を利用した水運によって、戦国時代末から本格的に商業の町としての機能を整えはじめ、江戸、明治、大正時代を通じて繁栄した商人の町。川が表通りのように勢田川の両岸に商家や蔵が建ち並んでおり、川がこの商人の町の動脈であったことを物語っている。
 勢田川は伊勢市南部の鼓ヶ岳に源を発する全長わずか7kmの小河川だが、満潮時には水が伊勢湾から逆流して、満々と水をたたえ天然の運河となる感潮河川である。
この満潮時を利用して、荷物を満載した舟が難なく川をさかのぼり、伊勢の台所と言われた河崎の町へさまざまな生活物資を運んだ。

勢田川

(写真は 勢田川)

伊勢河崎商人館

 河崎の町に集積された物資は地元の人びとの生活物資はもとより、大勢の伊勢参り客の食糧を調える伊勢の台所となり、伊勢神宮を核にしたこの地方の経済の中心だった。だが、戦後になって陸上輸送が急速に発達し、物資の輸送はトラック輸送が主流を占めるようになる。こうした流通手段の変化で河崎の町は、徐々に衰退の道をたどり始め、陸上輸送に適した郊外の地域へ店を移したり、店じまいする問屋も現れた。
 こうして衰退の道をたどり始めた河崎の町には、甍(いらか)の波が続く懐かしい街並みだけが残された。伊勢の経済の中心地を誇った河崎の歴史遺産を朽ちさせることなく、有効利用しようとの動きが生まれ、いろいろな人びとが立ち上がった。

(写真は 伊勢河崎商人館)

 「商人の町・河崎を後世へ残そう」とする人たちの熱意の現れのひとつとして、平成14年(2002)に「伊勢河崎商人館」がオープンした。江戸時代からの酒問屋を営んでいた小川酒店の蔵7棟、町家2棟など、延べ1000平方mの商家が伊勢市へ寄贈され、市は敷地を買収、建物を修復整備し、管理運営を「NPO・伊勢河崎まりづくり衆」にまかせた。
 三つの大きな蔵には、26のミニ店舗が入り、日常生活で使う雑貨、食品などの販売と展示をしている。母屋は伊勢河崎商人館の中心施設で、商家の和室と京都・裏千家の茶室・咄々斎(とつとつさい)を模した茶室、商家の道具、資料などを展示している。ほかに蔵を利用したイベントホール、伊勢と河崎の歴史と文化資料を展示した「河崎まちなみ館」などがある。

河崎まちなみ館

(写真は 河崎まちなみ館)


 
問屋街の老舗  放送 12月16日(火)
 室町時代の中ごろに勢田川のほとりを埋め立てて田畑にし、原野を拓いて宅地を造成して生まれた河崎の町は、安土桃山時代に伊勢神宮周辺の経済の中心地となった。
この河崎の町は勢田川の水上運送を利用して江戸時代には大きな問屋街へと発展し、昭和時代初めまで商業の中心としての機能を保ち続けた。
 水上運送に変わり、戦後は陸上を中心にしたトラック輸送に取って代わられ、こうしたトラック輸送に適した郊外へと移転した問屋も出てきたが、河崎の町に残り商売を続けている老舗も多く、繁栄した往時の姿と商人街の町並みの風情を今に伝えている。

河崎の古地図

(写真は 河崎の古地図)

和具屋

 河崎の町で昔ながらの風情を保ちながら商売を続けている商店には、室町時代から伊勢の経済の中心地として発展してきた河崎の町の歴史と風格がある。特に河崎の町独特の雰囲気が、建ち並ぶ商家の建物からにじみ出ており、河崎の町ならではの商店の情緒と雰囲気が感じられる。
 こうした商店のひとつ、全国の陶器を扱っている和具屋は、創業が宝暦6年(1756)と言うから、250年になんなんとする河崎一の老舗。和具屋は陶器問屋を営むと同時に伊勢神宮の御師(おし)の家でもあった。御師とは全国を歩いてお伊勢さんのありがたさを説いて回り、参拝客のために宿の斡旋から御札の手配までした現代の旅行代理店のようなものだった。

(写真は 和具屋)

 御師を兼業していた和具屋には、伊勢参りが最も盛んだった江戸時代の旅のガイドブックや当時の百科事典のたぐい、錦絵などが残っている。これらの伊勢参りの資料と和具屋の先代の当主が集めた古い陶器が一般公開されており、博物館的な要素も兼ね備えた商店でもある。
 和具屋には店先から奥の蔵まで、かつて荷物を運んでいたトロッコレール60mが残っており、往時の活気と繁栄ぶりがしのべる名物となっている。現在残っているレールは当時の半分だと言うから、いかに奥行きの長い商店であったかがうかがえる。
和具屋のもうひとつの名物は14代目の老女将。この河崎一の名物おばあちゃんは、予約しておけば流暢な伊勢言葉と笑顔で商人の町・河崎や伊勢の歴史を語ってくれる。

トロッコレール

(写真は トロッコレール)


 
河崎の伝統工芸  放送 12月17日(水)
 河崎の町には妻入造りの町家が多い。伊勢地方では伊勢神宮の正殿が平入造りなので、一般民家は伊勢神宮に遠慮して妻入造りにしたと伝えられている。切妻の瓦屋根がギザギザのノコギリのように続く河崎の町並みは、甍(いらか)の美しい町だ。
 河崎の町家と蔵は、黒く、強く、高く、重厚で河崎商人の力強さと活気を現している。特に商品や財産を守る蔵は、土壁を20〜30cmも塗り重ね、外側を漆喰で仕上げ、さらに「きざみ囲い」と呼ばれる外囲いの板で覆われている。「折れ釘」と呼ばれる太い釘で取り付けられている外囲いは、火事の時、折れ釘を抜いて取り外すと漆喰塗りの壁が現れ、延焼を防ぐようになっている。

折れ釘

(写真は 折れ釘)

隅蓋瓦

 妻入造りの瓦屋根にもふっくらとふくらみを持った「むくり」、はねあがったような形の「そり」、真っすぐな直線の「すぐ」と呼ばれる、さまざまな形があるのにも興味を引かれる。
 河崎の商人たちは重厚で強い建物に情緒を持たせるために屋根瓦にも凝ったようで、各家ごとに意匠を凝らした面白いものが見られる。家紋や文様をデザインした鬼瓦のほかに、波や雲、亀、鯉、蛙など水に関係したものを象った隅蓋(すみぶた)瓦が屋根にあがっている。昔は火事が多かったと言う町だったので、水に関係する隅蓋瓦に火除けの願いをこめると同時に、家屋に対する美意識のレベルの高さがうかがえ、これらの注文に応じられる高い技を持った瓦職人もいたようだ。

(写真は 隅蓋瓦)

 河崎の町の外れにある岩田提灯店は嘉永5年(1852)の創業で、150年も続く伊勢市で唯一の提灯屋さんで、伊勢神宮に納める提灯を作り続けている。
 作業場には祭に使う直径1.8mもある大提灯や長いさおの先につけて高く掲げる高張り提灯などの製品が並んでいる。作業場で当主の岩田茂男さんが木型に竹ひごを器用に巻きつけ提灯の形に仕上げる。刷毛で糊をつけて和紙を張り合わせていく妻の富子さん。二人の息の合った作業には、伝統工芸の技を受け継ぎ、後世へ伝えようとする意気込みが感じられる。岩田提灯店では月、火、木、金曜日の午前8時30分から午後6時まで提灯作りの作業を間近で見学でき、古い提灯の写真を収めたアルバムも見せてもらえる。

岩田提灯店

(写真は 岩田提灯店)


 
神々の国  放送 12月18日(木)
 今から約2000年の昔、垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)は、天照大神を祀るのに最もふさわしい地を求めて大和を発ち、伊賀、近江、美濃などを経て伊勢に入ったとされている。そして五十鈴川の川上こそ天照大神を祀るのに最もふさわしい所として、大神を祀ったのが伊勢神宮の始まりとなった。
 天皇家の祖神・天照大神は当初、皇居内に祀られていたが、天照大神と御殿をひとつにするのはおそれ多いと、第10代崇神天皇の代に大和国・笠縫村に祀られたと伝えられている。その後、第11代垂仁天皇の時代に倭姫命の巡幸によって伊勢の地に鎮座されたという。伊勢の地で天照大神に仕えた倭姫命を祀る倭姫宮が、伊勢神宮内宮の別宮として外宮と内宮の中間の地に大正12年(1923)に創建された。

倭姫宮

(写真は 倭姫宮)

風日祈宮

 伊勢神宮は皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心に14の別宮、109の摂社、末社からなっている。
 内宮は神路山(かみじやま)の麓、五十鈴川のほとりに鎮座している。五十鈴川のほとりにある御手洗場(みたらし)は、昔は参拝をする前に禊(みそぎ)をして身を清めた場所で、今も手と口を清める所となっている。天照大神を祀る内宮正殿は茅ぶき、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)で、御神体は三種の神器のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)。玉砂利が敷き詰められた境内の参道周辺には、巨木の杉木立が続き厳かな雰囲気を漂わせている。

(写真は 風日祈宮)

 内宮、外宮の各神殿の横には古殿地と呼ばれる空き地があり、20年ごとに同じ姿で社殿を建て替える式年遷宮の社殿用地である。式年遷宮は天武天皇の時代に定められ、持統天皇の時に第1回遷宮が行われ、最近は平成5年(1993)に61回目の遷宮があった。
 式年遷宮で建て替えの社殿に使う用材は木曽で伐採され伊勢まで運ばれる。この用材を運ぶ神事を御木曳(おきひき)と言い、内宮へは五十鈴川の使って運ぶ川曳き、陸路を御木曳車で運ぶ外宮は陸曳きがある。
 式年遷宮で取り壊された社殿の古材は再利用される。宇治橋の両側に建っている鳥居の柱は、旧殿の棟持ち柱をそれぞれ使って建て替えられるほか、各地の鳥居、神社の用材として払い下げられており、伊勢神宮には遠い昔からリサイクルの精神があった。

御木曳(川曳)の図

(写真は 御木曳(川曳)の図)


 
おかげ参り  放送 12月19日(金)
 江戸時代には「せめて一生に一度はお伊勢参りを 」と言われ、伊勢参りは庶民の願望であり、楽しみでもあった。各地の街道が江戸時代に入って整備されこともあって、このころ伊勢参りが大変なブームになりおかげ参りと言った。人のおかげ、神のおかげで生活できることへの感謝の気持ちを込めて、伊勢神宮にお参りすることからおかげ参りと言われた。
 とは言え伊勢へは、江戸から片道約15日、京、大阪から4、5日もかかり、峠を越え川を渡り、道中には関所も多く旅費もかなりかかる大旅行だった。

おいせ参り(伊勢参宮名所図会)

(写真は おいせ参り(伊勢参宮名所図会))

おはらい町

 おかげ参りのブームは初め、江戸時代の寛永15年(1638)ごろに起こり、慶安、宝永、明和、文政の各時代にそれぞれ大流行を繰り返した。宝永2年(1705)4月から5月にかけて、50日間に362万人が伊勢参りをしたとの記録がある。
1日平均、実に7万2000人にものぼる人が伊勢神宮へ参った。また文政13年(1830)の3月から9月にかけて450万人が伊勢参りをし、
1日の最高は14万人を超えたと言う。当時の日本の総人口のうち5人に1人がこの年に伊勢参りをしたことになる。
 現代の伊勢参りは観光バスによる団体客やマイカー利用者が多くなったが、相変わらず根強い人気を保っている。また、昔から伊勢は美しくて美味しい食べ物がある国、すなわち「美(うま)し国」と言われており、グルメ旅行を兼ねた参拝者も多い。

(写真は おはらい町)

 江戸時代のおかげ参りのにぎわいぶりが、立体模型や映像でリアルに体感できるのが、内宮前のおかげ横丁にある芝居小屋風の「おかげ座」。伊勢参りの様子がからくり映像で描かれている歴史館では、伊勢参りへの思いを込めて何年も旅費を積み立てやっと実現した人、村人全員の伊勢参りができず村を代表して参った人、仲間と連れ立って楽しい伊勢参りをした人など、一生に一度の願いを実現させた人たちの喜びが伝わってくる。
 主題館では伊勢参りの街道筋で展開されたいろいろな人との出会い、喜びなどの人間模様がミニチュアで表現されている。伊勢音頭や伊勢歌舞伎など伊勢の文化の発進地となり、伊勢参り客の楽しみの場でもあった歓楽街・古市のにぎわいの情景も表現されている。

おかげ座

(写真は おかげ座)


◇あ    し◇
伊勢河崎商人館近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅下車徒歩15分。 
和具屋近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅下車徒歩10分。 
岩田提灯店近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅下車徒歩15分。 
伊勢神宮内宮近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅からバスで内宮前下車。 
倭姫宮近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅からバスで股間徴古館前
下車徒歩5分。
伊勢神宮外宮近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅下車徒歩10分。 
おかげ座近鉄山田線、JR参宮線伊勢市駅からバスで内宮前下車。 
◇問い合わせ先◇
伊勢市産業部観光課0596−21−5565 
伊勢市観光協会0596−28−3705 
伊勢河崎商人館0596−22−4810 
和具屋0596−28−2840 
岩田提灯店0596−28−3041 
伊勢神宮0596−24−1111 
おかげ座0596−23−8827 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会