月〜金曜日 18時54分〜19時00分


小浜市 

 若狭の小浜は古くから日本海の玄関口として開け、大陸や朝鮮半島、蝦夷地から物資が運ばれてきた。北前船や南蛮船の出入りする港町として栄え、海のシルクロード終着駅とも言われた。日本に初めてゾウやクジャクが渡来したのも小浜だった。こうした貿易港当時の面影がそこかしこに残る小浜市の町を訪ねた。


 
御食国・若狭おばま  放送 2月28日(月)
 若狭国は奈良時代から天皇の食料を朝廷に納める御食国(みけつくに)だった。藤原京や平城京から出土した木簡に「若狭国遠敷郡…」など、若狭から海産物や塩が朝廷に納められたことが記録されおり、海の幸に恵まれた若狭が古来、御食国であったことを証明している。朝廷に納めた海の幸はタイなどのすし、イワシやカレイの干物など、多種多様な食品を献上しており、すしは自然発酵させた「馴れずし」と推測される。当時は若狭のほかに志摩、紀伊、淡路などが御食国になっていた。
 朝廷へのこの献上ルートが、若狭湾に臨む小浜で捕れたサバにひと塩した塩サバやその他の食材、さまざまな物資を京へ運んだ鯖街道に引き継がれ、その起点となった町が小浜である。

小浜市漁業センター

(写真は 小浜市漁業センター)

御食国若狭おばま食文化館

 御食国のそんな歴史を踏まえて、小浜市は平成13年(2001)「食のまちづくり条例」を制定、平成15年(2003)小浜市の食にまつわる歴史と文化を紹介する「御食国若狭おばま食文化館」がオープンした。
 この食文化館には奈良時代からの若狭の食文化の歴史を展示したミュージアム、若狭おばまの郷土料理などを作り、味わうキッチンスタジオ、伝統工芸を肌で感じとる若狭瓦、若狭めのう、若狭塗、若狭和紙作りの体験ができる若狭工房。3階には医食同源の観点から心身の疲れを癒す温浴施設「濱の湯」があり、海草風呂、薬草風呂、露天風呂などが、潮の香の中で楽しめ、心身のリフレッシュができる。

(写真は 御食国若狭おばま食文化館)

 ミュージアムの展示コーナーでは、御食国に関連して「奈良時代の貴族の食事」のほか「鯖料理30種」「四季の膳」を現在展示中。ほかに伝承料理研究家・奥村彪生氏のコレクションの「雑煮のさまざま」「京の職人の食事」「江戸時代の惣菜」が展示され、その料理の美しさと食材の豊富さに驚かされる。キッチンスタジオでは地元の食材を使って、お年寄りから子供までが料理作りを体験できる。
 工房コーナーでは、飾り物に最適な染付け瓦、瓦の表札作り、若狭めのうを丁寧に磨き上げてのイニシャル入りのブローチやキーホルダー作り、漆絵の具を使いお盆の絵付けや若狭塗の箸の研ぎ出し、若狭和紙の紙漉きから絵柄付までの作業でコースターや色紙、はがき製作、和紙染めなどできる。いずれも予約制、実費が必要。製作した作品は持ち帰れる。

若狭浜焼き鯖

(写真は 若狭浜焼き鯖)


 
小浜城  放送 3月1日(火)
 小浜は日本海側の玄関口として古くから開けていたが、室町時代に若狭守護職として武田氏が入部、大永2年(1522)5代目、元光が現在の市街地の南部、標高168mの後瀬山(のちせやま)に城を築いた。後瀬山城は山全体を天然の要害とした戦に備えた山城で、平地には現在の空印寺あたりに館を構えていた。後瀬山城からは眼下に北川、南川、海が一望でき、陸と海の両面の防備に適した山城と言える。
 武田氏は永禄11年(1568)織田信長の若狭攻めで滅び、その後は豊臣秀吉の家臣の丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊がそれぞれ城主となった。

後瀬山城跡

(写真は 後瀬山城跡)

小浜城跡

 関ヶ原の戦の後、慶長5年(1600)近江から移封された京極高次が後瀬山城主として入ったが、翌年から北川と南川の河口付近の雲浜に小浜城となる水城を築き始めた。
しかし2代目京極忠高が寛永11年(1634)松江へ移され、代わって小浜藩主となった徳川幕府の重臣・酒井忠勝が、天守閣を建立して城を完成させた。小浜城は川と堀、海を要害として取り入れた水城で、明治維新まで酒井氏の居城となり、町も海運業を中心に栄えた。
 現在、城跡には、本丸の大部分と三の丸の一部、天守閣の石垣などが残っている。ほかに城跡に藩祖・酒井忠勝を祀る小浜神社や根元付近から9本の幹が分かれた「9本タモの木(国・天然記念物)」などがある。

(写真は 小浜城跡)

 小浜城跡近くの侍屋敷だったところには、今も士族長屋が残っており、城下町当時をしのばせている。また、日本海の海運の町として繁栄した小浜市内の香取、飛鳥の両町にまたがる三丁町には、花街だった当時の紅殻格子や出格子の情緒あふれる家並みが残り、今も何軒もの料亭が営業しており、路地からは三味の音がもれ聞こえてくる。
 この三丁町にあった明治初期の名料亭「酔月」を、小浜市が再現した町並みと食の館の「四季彩館・酔月」がある。この館では小浜ならでは海の幸、山の幸を明治時代の料亭の雰囲気の中で味わうことができる。

四季彩館 酔月

(写真は 四季彩館 酔月)


 
お水送り  放送 3月2日(水)
 毎年3月2日、小浜市の遠敷(おにゅう)川の上流の神宮寺でお水送りの行事が行われる。関西に春を呼ぶ奈良・東大寺二月堂のお水取りの時、本尊に供える御香水(おこうずい)を二月堂前の若狭井から汲むが、その水を遠く若狭から送るのがお水送り。二月堂のお水取りが表舞台なら小浜のお水送りは表舞台を支える裏方と言える。
 お水送りの行事は午前中から始まるが、夕方から神宮寺本堂での修二会の達陀(だったん)の行で、火天(かてん)役の行者の持つ松明が、本尊が安置される内陣を3回かけ回る火祭りでいよいよクライマックスへ向かう。この火が本堂前の大護摩に移され、さらに大護摩の火が行者たちの持つ松明に移される。

閼伽井戸

(写真は 閼伽井戸)

鵜の瀬

 神宮寺の閼伽井(あかい)から汲みあげた清らかな水は、大松明、中松明、手松明を手にした約2千人の行列に守られ、夜空に映える壮大な火の行列となって約1.8km上流の鵜の瀬へ向かう。鵜の瀬で再び大護摩が焚かれ、運ばれた御香水が遠敷川に注がれ、この水が地中を通って奈良・東大寺二月堂の若狭井へ届くのだと言う。
 お水送りの起源に面白い伝説がある。天平時代、若狭神宮寺に渡ってきたインドの僧・実忠は、東大寺で二月堂を建立、その二月堂で行われた修二会に日本各地の神を招いた。
若狭の遠敷明神は漁に夢中になっていて修二会に遅刻した。その詫びとして二月堂の本尊にお供えする閼伽水を、若狭の遠敷川から献ずることを約束したのが、お水送りの始まりと伝えられる。

(写真は 鵜の瀬)

 神宮寺は神仏混淆(しんぶつこんこう)の寺で、神像を祀り本尊は薬師如来像。本堂にはしめ縄を張り、仏教で言う結界を表し浄と不浄をわけ、これより先の神域を示している。神宮寺は奈良時代の修験者で加賀北山を開いた泰澄の弟子の滑元が、奈良時代初めの和銅7年(714)に創建、当時は神願寺と称して遠敷明神を祀り、神仏混淆の色彩が強い寺だった。
 今も本堂(国・重文)には本尊の薬師如来像を中心に日光、月光菩薩像、十二神将像、千手観音像、不動明王像、多聞天像などが並び、本堂南側には木造男神像・女神像(いずれも国・重文)が祀られている。

本堂

(写真は 本堂)


 
木の香・風の音  放送 3月3日(木)
 奈良・東大寺二月堂のお水取りへお水送りをするほどの小浜市だから、市内を流れる川の水は清く、山あいの湧き水はおいしい。そしてその水を育むのは森林で、市街地の背後には豊かな自然が多い。
 市街地から南へ4kmほど離れた松永川上流の名刹・明通寺から山麓をさらに歩いて5分ほど入ると、森を背にしてカフェ&ギャラリー「風音(ふうね)」が建っている。だが、その建物はどう見ても喫茶店風ではなく、何やら子供のころの懐かしい匂いが…。それもそのはず、この店は廃校になった小学校の分校を借り、改装しての営業で、山の学校が喫茶店に変身した姿だ。

風音

(写真は 風音)

カフェ

 カフェ&ギャラリー「風音」を開店したのは、神奈川県茅ケ崎市から移り住んだ森下繁さん。森下さんは茅ケ崎市でサラリーマンを辞め、風音と同じような店を茅ケ崎市内で開店、木工を本職にしていた“木工野郎”だった。この腕を生かし、ぼろぼろの校舎を手作りでコツコツと改装し、平成7年(1955)に開店した。
 木造校舎の温もりを残している店は、都会の店にはない温かみを感じる。地元のコーヒー通や観光客、明通寺の参拝者らが立ち寄り、手作りの木工テーブルやイス、調度品、家具の温もりの中でおいしいコーヒーを味わい、ギャラリーの作品を観賞し買い求めて行く。

(写真は カフェ)

 カフェ&ギャラリー「風音」では、コーヒーは自家焙煎の豆を使い、ケーキなどのスイーツも自家製。オリジナルのカレーもじっくり煮込んだもので、この独特の味がなかなかの評判だ。ギャラリーに並んでいる木工製品は、森下さんと長男の手作りで、椅子の背もたれを倒すと踏み台になるアイデア商品などもある。ほかに木彫工芸品や地元の陶芸家の作品の陶器類も展示し、木工品と共に販売している。
 店は森下さん夫妻と3人の子供たちがそれぞれ分担を決め、オリジナルな商品作りに取り組みながら切り盛りしている。玄関先の庭では3匹の犬たちも愛想よく出迎えてくれる。

ギャラリー

(写真は ギャラリー)


 
明通寺  放送 3月4日(金)
 小浜は昔から都とのつながりが深く「海のある奈良」と呼ばれるほど文化財や社寺が多い。こうした中で大同元年(806)征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建と伝えられる明通寺は、国宝の本堂と三重塔をはじめ、堂塔の美しい名刹としてよく知られている。田村麻呂は都からこの小浜を経由して東征に赴いたが、蝦夷との平和を願っていたと言う。
 田村麻呂は山中に住む老居士の命ずるままにお堂を建て、老居士がユズリハの木から薬師如来、深沙大将、降三世明王の三体の像を彫って安置したと伝えられている。ここから明通寺の山号が棡山(ゆずりさん)となった。

本堂と三重塔

(写真は 本堂と三重塔)

本尊 薬師如来坐像(本堂)

 急な石段の参道を登り、山門をくぐって境内にはいると杉木立の中に本堂と三重塔が美しいたたずまいを見せている。
 本堂は正嘉2年(1258)の再建で、鎌倉時代の重厚な入母屋造りの名建築が、苔むす自然石の基壇の上に建っている。内陣には本尊・薬師如来座像(国・重文・平安時代後期)の左右に深沙大将(じんじゃたいしょう=国・重文)と降三世明王(ごうざんぜみょうおう=国・重文)の巨大な像を従えており、いずれも藤原時代の木造仏の逸品。一般的に薬師如来像は日光、月光菩薩像を脇侍に従えているが、明通寺のこのような安置は異例と言える。

(写真は 本尊 薬師如来坐像(本堂))

 三重塔は文永7年(1270)の再建で、本堂と共に鎌倉時代の建築の特色を見せており、塔内には釈迦三尊像と阿弥陀三尊像が安置されている。
 本堂内の深沙大将は玄奘三蔵法師を砂漠で守ったと言う護法神で、頭に髑髏(どくろ)を乗せ、腹部に人面をつけた異形像。降三世明王は4つの顔、8本の手を持つ巨大な明王像で、貪(とん)瞋(しん)癡(ち)の三毒を降伏することから降三世の名がある。
 境内には小浜市の天然記念物に指定されている樹齢500年のカヤの巨木があり、歴史の古さを物語っている。

釈迦三尊像(三重塔)

(写真は 釈迦三尊像(三重塔))


◇あ    し◇
御食国若狭おばま食文化館JR小浜線小浜駅下車徒歩20分。 
JR小浜線小浜駅からバスで食文化館下車。
後瀬山城跡JR小浜線小浜駅下車徒歩20分。 
小浜城JR小浜線小浜駅からバスで城内下車徒歩3分。 
四季彩館・酔月(町並みと食の館)JR小浜線小浜駅下車徒歩20分。 
神宮寺JR小浜線小浜駅からバスで神宮寺下車。 
カフェ&ギャラリー・風音(ふうね)、明通寺JR小浜線小浜駅からバスで明通寺下車徒歩5分。
小浜市内のバスは便数が少なく、運休日もあるので、
JR小浜駅、東小浜駅前にある若狭小浜観光案内所のレンタサイクルを利用するのが便利。
 
◇問い合わせ先◇
小浜市商工観光課0770−53−1111 
若狭おばま観光案内所0770−52−2082 
御食国おばま食文化館0770−53−1000 
四季彩館・酔月(町並みと食の館)0770−52−5246 
神宮寺0770−56−1911 
カフェ&ギャラリー・風音(ふうね)0770−57−2962 
明通寺0770−57−1355 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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歴史街道推進協議会