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公演情報

大阪フィル・ポップス・コンサート
2 Days Special〜Part 1〜

[作編曲・指揮・ピアノ]宮川彬良
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団
[サクソフォン]平原まこと(特別出演) ☆

日時 2010年10月1日(金) 19:00 開演 18:00 開場
会場 ザ・シンフォニーホール
料金 A 5,000円 B 4,000円 C 3,000円

【2公演通し券】
Aセット 10,000円 Bセット 7,500円
※通し券は、ABCチケットセンター(06-6453-6000)のみの販売となります。
※2公演とも同じお席でお取りします。
一般発売日 2010年6月27日(日)
優先予約日 2010年6月24日(木)
プログラム 《明日への想いを届けて》
[いつもの明日に!]
♪ザ・シンフォニック・パラダイス〜大阪フィル・ポップスのテーマ…宮川彬良

【第1部】
[よみがえる明日に!]
♪『アイネ・クライネ・タンゴ・ムジーク』…モーツァルト
♪『悲愴〜その愛』(交響曲 第6番から)…チャイコフスキー
[思い出から明日へ!]
♪『恋のバカンス』…宮川泰
[名人に明日を聴く!]
♪『ニュー・シネマ・パラダイス』☆…E.モリコーネ
♪『さっちゃん』☆…阪田寛夫/大中恩
♪5 Sax Concerto(『見上げてごらん夜の星を』ほか) ☆…宮川彬良

【第2部】
[スタンダードな明日へ!]
♪『アメリカ』…L.バーンスタイン
♪『ジョージア・オン・マイ・マインド』…H.カーマイケル
[うたが拓く明日へ!]
♪『歌よ空に届け〜中山晋平物語』…中山晋平
(『カチューシャの歌』『ゴンドラの歌』『シャボン玉飛んだ』ほか)
[夢の明日へ!]
♪ファンタスティック!『白雪姫』…F.チャーチル
お問い合わせ先 ABCチケットセンター
06-6453-6000

「1人の音楽家が1つのコンサートの全体構成をにらみながら、全曲アレンジするという点が非常に特徴的」(作家・音楽評論家 響敏也氏)な「大阪フィル・ポップス・コンサート」。
16年にわたり、同・コンサートの作編曲・指揮・ピアノ・司会を1人で務めてきた宮川彬良さんに、その栄光の歴史から10月の2公演、さらにこれからを伺いました。


16年前に初めて「大阪フィル・ポップス・コンサート」のお話をいただいた時、音楽の中でオーケストラでやってるポップス、あれは許せなかった。
さあ知ってる曲をオーケストラでやりますよ、ということだけが売り物で、しかも最後に必ずディズニーのメドレーをやるんですが、それがまたギョーザの隣にフォアグラがあってみたいな献立で、「白雪姫」と「ダンボ」と「ピーターパン」の知ってる曲だからいいでしょ、って組み合わせたものがほとんどでした。
僕はディズニーランドで働いていて、毎月毎月新しいショーを作っていました。自分の名前がどこに出るわけでもなく、お客さんを楽しませることだけをやってきたというプライドがあったので、そういうものだけにはしたくなかった。
そのことをザ・シンフォニーホールのプロデューサーの方に話したら、「それでいいんですよ、宮川さん」と。それじゃあ、どんなコンサートがおやりになりたいんですか、と聞いたところ、「ウチは響きが売りです。響きを聴かせるコンサートをやって欲しい」と言われたんです。これでぶったまげまして、東京のホールでは、まずこういう話はしたことがないな、と。
「エレキギターはやめてくれ、エレキベースも使わないでほしい、ドラムも時々ブラシでちょっと叩くぐらいが限度じゃないですか」と具体的に言われて、あ、これなら、僕はここでならプライドを持って自分の許せる、自分の聴きたい音楽が展開することができそうだな、と反射的に思いました。
それからがもう大変でした。16年間で179曲。最初の1年は40曲書きました。レパートリーがないからです。2年目には20曲ぐらい。最初の10年間で140〜150曲ぐらいは書いたと思います。それくらいの勢いで書き始めて、コンサートのある前の月は、ほかの仕事は一切せず、この編曲だけを集中してやっていました。
そして期末試験の点数を見るような気持ちで、オーケストラの音を出してみて、ああこれは良い点が取れた、これはイマイチだったかなということを、一喜一憂しながらやってきました。そこでいろんなことを自由にやらせていただき、楽しいレパートリーがたくさん生まれて、それが僕の音楽家としての活動の上での基礎になっていることは間違いありません。

大阪フィルは、僕が最初に指揮をしたプロのオーケストラでした。僕は作曲家ですから、指揮は本業ではなかったんですけど、皆さんものすごく一所懸命演奏してくださいました。それはおそらく僕が一所懸命譜面を書いたということが、オケの皆さんに響いたからだと思うんです。
でもその時は本当に・・・羽田健太郎さんにお会いしたら「最近大阪フィルに行ってるんだって?大変だね〜」と言われるし、ボブ佐久間さんには「大阪フィル?どうやってんの?」って、つまりそのくらい当時は論客がそろったオケだったわけです。イヤな顔をひとつせず、というのではなく、嫌なときは本当にイヤな顔をしてくれる、そこで僕は「どうしてイヤか」ってことを勉強していくわけです。
そんなオケのメンバーが、練習が終わって、たまに…ときどき…「宮川君、これはいい作品だったね」と言ってくれると、これがまた、この世のものとは思えない喜びで、「そうか、これが僕の音楽なんだ!…」。大阪フィルという《道場》に毎年伺うことで、自分がたくましく育っていったことは紛れもない事実であり、感謝の言葉もありません。

オーケストラも生き物ですから、音が年々変わっていきます。朝比奈隆先生が亡くなった時には、音がまったく変わらなかったという事実を、まず申し上げたい。僕が指揮台に立つと、朝比奈先生みたいな音がする、と誰かがが言ってくれて、それがまた光栄だったんですが、ある時から大阪フィルの音が変化しました。
大阪フィルも進化して次のステップへ行こうということだったと思いますが、母乳のように僕を育ててくれた音ではなくなりました。ナイヤガラの滝のようなあの響きを常に出していないと、本当の「大阪フィル・ポップス・コンサート」ではないんじゃないか。
でもひとつだけ手がある。音が出ないというのは、指揮者の手腕と言えばそれまでなんですが、「やめる」と言うことで、皆が昂ぶってくれるんじゃないか。決して勝算があったわけではないんですけど、それに賭けるしかないんじゃないか、と。
それで去年(2009年)の秋の練習の時、勇気を出して「1回やめてみようと思うんだよ」ということを楽団員に話しました。音楽には序奏があり、エンディングというものがある。それを僕は聴きたい、と。それは決して厭きたからということではなく、朝比奈先生の音を知らない若い楽団員にも、その音を知って欲しい。昔からいる人たちの心を揺さぶりたかった。
去年の今頃は「どうしたらいいんだろう…」とそのことばかり考えていました。でも終わりを知ることは、意味のあることだと思いました。今年4月のザ・シンフォニーホール公演の頃から、少しずつあの頃の音がし始め、そして6月の京都公演の時は、言葉も出ないぐらいすばらしい音が出たんですよ。よかったなあ!これも1つの緊張感の中での音楽だからじゃないかと感じました。

こんなにお客さんが入っているのに、何でやめるのかという意見もあります。1人でもお客さんがいる限り、やり続けるのがショー・ビジネスの根本です。その点だけは心苦しいです。別れは切ないですね…でも切ないと感じる気持ちがあってこその、僕は作曲家です。僕を慕ってくれるお客さんを忘れないためにも、そのつらさを乗り越えて、音楽という発表の場でのエネルギーとさせてください。
この10月のコンサートは、これから何回あるかわからない僕の演奏会の中でも特筆すべき、もの凄い音が出る日であることは間違いありません。それはもう今からわかっていることです。それくらい大きな経験を皆さんと共にさせてください。ザ・シンフォニーホールでお待ちしています!


平原まことさん(10/1)について
平原さんは日本で1本の指に入るサックス奏者で、「こういう風に吹いて欲しい」と言わなくても、本番を迎えられる人です。「大阪フィル・ポップス・コンサート」は1度だけ東京公演をやったことがあるんですが、かぶりつきで聴きにきてくれて、終演後楽屋に飛び込んできて「なんで僕がここにいないのっっ!!?」って(笑)。
今回とっておきの曲をと思い、2人の十八番の曲を3曲演奏します。中でも「ファイブ・サックス・コンチェルト」という曲は、バリトン・サックスからテナー、アルト、ソプラノ、ソプラニーノと5本のサックスを持ち替えて吹き切るという、世にも珍しい、クラシックの奏者では絶対考えられない“荒芸”でございます。

組曲「少年の時計」(10/2)について
この曲は「大阪フィル・ポップス・コンサート」の構成・台本に当たってくださっている響敏也さんの作詞です(作詞のときは“ヒビキ・トシヤ”というカタカナ表記)。
その歌詞というのが、子供の心をお持ちになられたまま、よくぞここまですくすくとお育ちになられたなという感じで(笑)。子供の目、耳、五感のすべてで捉えていた世界を、大人になった皆さんに追体験していただきたくて選びました。

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