2011年12月 1日
■劇を作るとき、ある奇抜な設定を持ち込んで、そこから生まれるあれやこれやを軸にストーリーを展開していく、というのはごく普通のことだと思います。例えば、若い女の子が、父親に自分の恋人を紹介することになるんだけど、実はその恋人は父親より年上の老人で、最初の対面の場面で父は偶然現れた若いイケメンを彼と勘違いしてしまうもんだから、娘はとても真実を明かせなくなり・・・みたいな。まあ『ドラマ』を作るわけですから、喜劇にせよシリアスな劇にせよ、何かしら普通でない状況を登場人物たちに背負わせるのは当然でしょう■問題はその先にある。というか作品の良し悪しは、そこから先で決まる。特別な状況に置かれた特別な人々の物語が、どれだけの普遍性を獲得できるのか、だと思います。別に、物語はすべからく教訓的であれ、などと云っているのではありません。演劇や映画を観るにしても小説を読むにしても、観客あるいは読者が、その作品に触れたことによって、世界や歴史や社会や人間に対する思い、あるいは認識がほんの少しでも変わること。それが、『ドラマ』の存在意義(のひとつ)ではないかと思うからです■なんだか観念的なことを書いていますが、先日観た、ある短い喜劇に対して抱いた違和感が基になっています。数人の男女が登場して、その中の1人を除く全員がある伝染性の病に罹っていることが判明します。いろいろドタバタがあって、結局罹っていない1人だけがある別のアクシデントで死んでしまう・・・というお話(わからないように書こうと思っても知ってる人にはこのネタわかりますよね、ご免なさい)。ま、ゲーム的な短編コメディなのですが、病気や死というものが単なる道具立てとしてだけ使われているのが、かなり気になったのです。トシだから?いやそうじゃないと思う■映画やテレビと違って、演劇は狭い舞台と生身の肉体が全てです。その不自由さが逆に観客の想像力をかきたて、生命の真理でも、究極の愛の姿でも、強烈に描ける可能性を高めている。普遍的な大きな物語が背後にしっかりあること、それがいい演劇の条件なのではないかなあ、と僕は勝手に思っているのです。
■さて、先日青山円形劇場での東京公演を終えたばかりの劇団・イキウメ、本日小屋入りされ、仕込み真っ最中です。ABCホール始まって以来と云えるほどたくさんの照明機材を使用し、緻密な準備が行われています。今回の作品『太陽』は、SFです■バイオテロによるウイルス感染で激減した人類。しかし、感染者の中に奇跡的に生き残った人々がいた。彼らは、肉体的にも頭脳的にも人間をはるかに上回る存在に変異していた。それから数十年。今や多数派となった彼ら「夜の住人」と、古くなってしまった普通の人々が共存する世界・・・。こんな奇抜な舞台設定を、チラシや劇団ウェブサイトで明快に説明しておられます■《別に勿体つけて隠すほどのことじゃない、世界設定からようやく物語は始まるのだから》・・・そんな堂々たる自信の表れだという気がします。いやが上にも期待が高まるわけで・・・■明日金曜からわずか4ステ。前も書きましたが、イキウメ、見逃すべきではないと思います(艦長)
イキウメ 『太陽 THE SUN』 作・演出 前川 知大
12月 2日(金) 19:00
3日(土) 13:00 18:00
4日(土) 13:00
※予約・問い合わせ 06-7732-8888 (キョードーインフォメーション)
※当日券は開演1時間前から発売
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- 2011年12月01日木曜日