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2016年6月10日

演劇界の巨人のこと

■本欄でいつか一度は記させていただきたいと思っていたのが、先ごろ亡くなった蜷川幸雄さんのことです■逝去が報じられてから数日間のメディアの扱いの大きさはものすごいものでした。後世に残る戯曲を書いた劇作家でもない、まして俳優業からは遥か昔に足を洗われている、あくまで裏方である「専業演出家」として、これだけ多くの人から注目されてこられたのは驚くほかはありません■僕が最後に鑑賞した蜷川作品は、今年2月にシアターBRAVA!で上演された『元禄港歌』だったのですが、先日、蜷川さんも大好きだったというこの劇場のお別れ会に出席させていただき、色々感じることがありました。その席上、BRAVA!の11年の歴史で動員したお客様が200万人に達する、という劇場の方の言葉がありました。すごい数です。しかし同時に、テレビの人気番組なら毎回常にそれよりたくさんの人が視聴している、という数字でもあります■誤解ないように申し添えますが、無論僕はテレビがすごいとか、BRAVA!がどうだとか云いたいのではありません。劇場とは、演劇とはそういう媒体(?)だということです。劇場という狭い空間での作業の積み重ねが、これほど多くの人からの賛辞を獲得するというのは、ヨーロッパのように(よく知らないけど)、演劇が文化の大切なジャンルとして手厚く保護されているわけではない日本では、本当に驚くべきことだと思うのです■蜷川さんの作品を初めて観たのは、1980年前後、『NINAGAWAマクベス』が先だったか『近松心中物語』だったか・・・いずれも、アングラから商業演劇に転向されてからの初期の傑作とされる作品です■強烈だったのは、シェイクスピア劇なのに舞台装置がどう見ても仏壇で、その中に登場する人物が全員身に着けている、当時NHKの人形劇等で人気になっていた辻村ジュサブロー(現・寿三郎)デザインの衣装の異様さとか。平幹二朗、太地喜和子の二人が大量に舞い降る雪の中を道行するクライマックスで、森進一が歌うオリジナルソング(作曲:猪俣公章)が大音量で流れる、そのかすれ声、とか。こういうのを『異化効果』って云うのかなあ、などと思いながら観ていたような気がします■『異化効果』というのはドイツの劇作家・ブレヒトが唱えた、たぶん一筋縄ではいかない演劇理論で、≪観客が劇の流れに感情的に没入してしまわず批評的に観るように仕向ける仕掛け≫で完全な間違いではないと思うのですが、社会の変革を目指す運動という側面も有する種類の演劇で、かつてよく使われていた言葉です■当時、蜷川さんは、小劇場から商業演劇の世界に進出したことで多くの人から批判されたそうですが、それが的外れだったことは、その後の歴史が示しているのではないでしょうか。『高いチケットを買って観に来る全ての観客を満足させるための美しさ、豪華さ、役者の見せ場など商業演劇に必要な要素は担保しつつ、演出の底にはしっかりアンダーグラウンドな精神が残っている』、というのが、ずっと変わらない僕の蜷川演劇についての感想です■アンダーグラウンドという言葉が余りに時代遅れだとすれば、『民衆に寄せる思い』と言い換えてよいと思います。晩年の作品で拝見した中では、『ヘンリー4世』、『元禄港歌』で特に印象に残っていますが、蜷川演出の舞台では、大量に登場する市井の人々、中でも社会的に弱い立場にある人たちが、明るく、猥雑だけれど常に力強く描かれます。そしてその描写が、お話の展開の触媒として作品の中で有効に機能しているのです。「実は物語を動かしているのはこの人たち民衆のエネルギーなんだ」、と思わせる部分が確かにあるのです■幸運にも、僕は蜷川さんの稽古場でのお姿を何度か取材、というより見学させていただいたことがあります。実はその体験で、一番強く記憶に残っているのが、アンサンブルと呼ばれる"その他大勢"的な人たちへの細かい目配りなのです。蜷川さんは、どんな若くても無名でも、彼ら一人ひとりが「自立した俳優としてそこにいる」ことを求めます。あくまで厳しく、深い部分で優しい。有名なモブシーンの迫力は、技術ではなく、そんな姿勢から生まれるのだと知りました■蜷川幸雄の『ひとびと』への思いは、きっと劇中の登場人物に対しても、生身の役者に対しても、同じだったのではないでしょうか(艦長)

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