今からおよそ140年前、明治維新を迎えた日本では、江戸時代の「藩」が「県」に置き換えられる廃藩置県が行われた。藩をそのまま県にしたため、その数は300以上。その県が現在の47都道府県になるまでには紆余曲折、様々なドラマがあった。そんな都道府県のドラマに魅せられ、独自の視点で地図や県境に関する著書を多数執筆しているのが、作家であり、日本国際地図学会会員の浅井建爾先生だ。前回の登場では、かつては都があったほどの県であるにもかかわらず、一度は吸収合併により姿を消したこともある奈良県の感動秘話を紹介。2回目の登場となる今回も、仰天秘話が隠されていた都道府県物語を紹介する。
廃藩置県直後は2府57県もあった近畿地方。現在の兵庫県は近畿で一番大きな県だが、かつてはとても小さな県だった。その兵庫県が大きくなった裏にも驚きのドラマがあったという浅井先生。そもそも明治政府で廃藩置県という大仕事に携わったのは、西郷隆盛、大久保利通、大山巌、西郷従道、木戸孝允、井上馨、山縣有朋ら7人の男たち。彼らによって、日本のすべての県境が決められた。貧しかった当時の政府は、富国のために諸外国との貿易で外貨を稼ごうと考え、既に開港していた神戸に着目。だが、当時はとても小さかった兵庫県に港を整備する資金はない。そこから、政府の住民感情を無視したムチャな断行が始まった!兵庫県が近畿一大きな県になるまでの仰天ドラマを紹介。兵庫県でありながら、今も尼崎の市外局番が大阪06の事情とは? また、滋賀県も県境に関してのドラマがあったという浅井先生。そこから、滋賀県民が京都府民に対抗意識をもつ因縁が明らかに!?
前述の7人の男たちは近代日本のそうそうたる顔ぶれだが、県境を決めるにあたっては、今では考えられないムチャな決め方をして、失敗したこともあった。たとえば、和歌山県にある飛び地もそのひとつ。和歌山県でありながら、県本体とは離れ、奈良県と三重県に囲まれた飛び地。それが生まれた理由とは?
その他にも、県境や市と町の境にまつわるミステリーをクイズ形式で紹介。寝っ転がれば、山形県と福島県、さらに新潟県の3県に同時に存在できるという県境ファン垂涎の聖地とは・・・。
「ハテナの自由研究」は、たむらけんじの「サギ写を見抜け!」第8弾。毎回、別人のようなサギ写に騙され、9連敗中のたむけん。そこで今回は“女目線”で見てもらおうと、小泉エリを強力助っ人に迎えて臨む。はたして、連敗を阻止できるのか!?
日本国際地図学会、中部地名文化研究会会員。青年時代に自転車で日本一周旅行をして以来、地図や地名に深い関心を持ち、地理を題材にした著作活動を始める。著書に「大人のための日本地理」「道と路がわかる事典」「平成の大合併・県別市町村名事典」「都道府県の「ん?」ニッポンの雑学」「日本一周サイクリング無銭旅行」など、多数。
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