緑が少ないといわれる大阪市内だが、人々に親しまれている公園は数多い。ビジネス街にある中之島公園は近隣で働く人々のオアシス的存在で、甲子園球場が2つも入る大きさだ。だが、もともとは何があった場所なのか?江戸時代、ここには諸藩の大名の蔵屋敷が建ち並んでいたという。だが、明治維新を経て、大阪市で最初の公園として誕生した。そんな大阪の公園の歴史をひも解いてくれるのが、大阪府立大学教授の橋爪紳也先生だ。大阪の街に造詣が深く、大阪検定の監修を務めるほどの実力派。今回は、橋爪先生が大阪の公園誕生に秘められた歴史を紹介する。
「いま、大阪にある公園は大阪の歴史の転換期に生まれた」という橋爪先生。大阪西区にある靱公園もしかり。そして、靱公園のカタチは南北が150メートルほどに対し、東西はおよそ800メートルと、驚くほど細長い。その理由も大阪の歴史に隠されている。もともと江戸時代は海産物の巨大市場だった靱。明治から大正へと時代が変わっても、賑わいは変わらなかったが、昭和初期に中央卸売市場が開場すると、賑わいは衰える。さらに、第二次世界大戦が勃発。昭和20年3月の大空襲によって、靱の辺りは一面焼け野原に。その後、終戦を迎えたこの土地には、驚くべきものが出来上がる。一同も「知らんかった!」と仰天!今の靱公園のカタチの原型となったのは・・・!?また、この地で激動の歴史を見守り続けた、靱公園内にある「楠永神社」のクスノキ伝説も紹介。印象深い話に一同もしみじみとなる。
大阪のど真ん中にある大きな公園といえば、扇町公園。JR天満駅から歩いてすぐのところにあり、多くの人々に親しまれている。だが、明治時代、この場所には巨大な施設があったのだ。一同が絶叫するほど驚いたその施設とは!?さらに、昭和の水泳ブームやプロレスブームを迎えて花開いた扇町公園の華やかな歴史を振り返る。
靱公園、扇町公園以外にも、大阪の公園には意外な歴史が秘められている。そこで、現在は日本一低い山がある天保山公園とスポーツ施設が集まる長居公園にまつわるクイズを出題。なかでも、長居公園は第2次世界大戦後から昭和30年代半ばまで、スポーツとは違うことで賑わっていた。凡人チームが驚いた、その理由とは?
「ハテナの自由研究」は、たむらけんじの「適正価格HOWマッチ!?」第2弾。店に出向き、適正価格を“ビーバップ流”に判定するこの企画。前回は、食通たちが出した適正価格に対し、どの店の値段も下回っていたという好結果だったが、はたして、今回は・・・!?
大阪府立大学特別教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士(大阪大学、1990年)。 狭義の建築史にとどまらず、広く大阪・関西の都市文化について研究している。2008年度からは「水都」大阪の水辺を生かした街づくりに関心を持つ橋下徹大阪府知事のもとで政策アドバイザーに就任。その知識と経験を生かして、自治体の委員や街づくり関連団体のアドバイザーとしても活躍している。
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