旅行は、日常を離れ、見たことのない景色や文化に触れる感動の体験を我々に与えてくれる。国内だけでなく、海外旅行も大人気で、昨年度の海外旅行者数は全国でおよそ1664万人。しかし、日本人は1964年まで海外へ観光旅行に行けなかったのだ。日本政府にパスポートを発行してもらうためには公的な目的が不可欠だった。そんな夢のような海外旅行が解禁になったのは高度経済成長期。それでも、当初はなかなか庶民に手の届かない贅沢だった。そんな旅行に関する知られざる歴史を教えてくれるのが、大阪観光大学教授の尾家建生先生。大手旅行会社に32年間勤務し、現在では大学で教鞭をとる観光学のスペシャリストだ。今回は尾家先生が、日本の旅行の歴史を紹介する。
日本で新婚旅行に初めて行ったのは、坂本龍馬だという話もあるが、新婚旅行という明確な目的を持って旅行に行くようになったのは明治時代から。イギリス留学をした井上勝之助が西洋人の風習を真似し、新婚旅行として夫婦で熱海に行ったのが最初だといわれている。尾家先生によれば、新婚旅行は当時の若者の憧れや流行が表れていたとか。そこで、日本の新婚さんのハネムーンの歴史やスタイルを紹介する。庶民にとっては新婚旅行が人生の一大イベントだった1960年頃。見合い結婚が主流の時代、一泊二日が普通だった、当時の新婚さんに人気のあった行先とは? 1970年に入ると恋愛結婚も増え、日程は三泊四日。寝台列車に乗って新婚さんが向かったのは宮崎県だった。当時は全国の新婚の三分の一が行先に宮崎を選ぶほどの人気だったが、いったい、その理由とは? 1980年に突入すると、海外旅行を選ぶ人たちも増えるが、初めての海外旅行がハネムーンという人たちも多く、安心の団体ツアーが人気だった。そんな海外でのハネムーンのスタイルを紹介。スタジオでは、既婚のメンバーたちが新婚旅行での忘れがたいエピソードを披露する。
学生時代の修学旅行も思い出深い旅行のひとつ。だが、学校教育の一環として、クラスのほとんど全員で行く旅行は日本独自のものだとか。行先はまちまちで、最近では体験型の修学旅行も人気だが、昨年度の大阪府の小学生の修学旅行先のトップは伊勢志摩だった。では、なぜ伊勢志摩が人気なのか?明治19年に誕生した修学旅行の歴史をひも解きながら、今なお伊勢志摩が人気の理由を解き明かす。
また、超過激体験ができる世界のスリルツアーも紹介!ジェット戦闘機での成層圏飛行や、海中での人食いザメ観察、ロサンゼルスの暗黒街巡りなど、スリル満点の過激ツアーに一同も仰天する。
「ハテナの自由研究」は、たむらけんじの「彼女の前で彼氏が見せるプライドは?」。彼女の目の前で男同士が火花を散らす“彼氏プライド”では、サッカーのPK対決で“彼氏プライド”史上最高にカッコイイ対決が展開する!
大阪観光大学観光学部教授。山口大学文理学部理学科卒業後、近畿日本ツーリスト(株)に入社。海外団体旅行の手配、商品企画、販売促進の業務を経て、大阪と京都の支店でメディア販売と団体旅行営業に従事。西日本営業本部のイベントコンベンション課長、販売部部長として販売促進、販売管理を担当。その後、KNTグループの(株)ホリデイツアーズミクロネシア取締役西日本事業部長を経て、早期退職。立命館大学大学院政策科学研究科(修士課程)を修了、2006年4月より現職。専門は観光学・観光事業論・旅行産業論・フードツーリズム。主な著書に「観光学入門」「これで分かる!着地型観光」「観光の経営史」などがある。
この回の内容に興味がある方は・・・
![]() |
![]() |