世界で最も権威のあるノーベル賞とは、国籍を問わず、ある分野において大きな貢献をした人物に与えられる賞。先頃、iPS細胞の開発が認められ、京都大学の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したことは記憶に新しいが、112年の歴史の中で、これまで839人の個人と24の組織に賞が与えられたうち、日本人の受賞者は19人になる。だが、選考過程は厳重なベールに包まれており、候補者などの情報が公開されるのは受賞者の発表から50年後。その資料でさえ、研究者であるという証明がなければ閲覧できないという。そんな謎に包まれたノーベル賞の真実を解き明かすのが、東京大学准教授の岡本拓司先生だ。限られた人にしか公開されない選考資料や民間に漏れ出た情報を集め、ノーベル賞候補にあがった日本人や日本人受賞者の受賞理由を分析している。今回は、岡本先生が日本人受賞者の受賞理由の裏側を徹底解明する!
1901年に始まったノーベル賞。だが、湯川秀樹が日本人として初のノーベル賞に輝いたのは、スタートからおよそ半世紀近くたった1949年のこと。戦後の傷跡が残る日本に希望の光が灯るようなニュースだった。湯川は1934年、27歳の若さで「中間子の存在」を示す画期的な理論を発表。それは原子核のメカニズムを知る大きなヒントとして世界中の物理学者たちの注目の的となる。だが、その後、世界では戦争が勃発。日本に原爆が投下され、敗戦となった4年後に湯川がノーベル物理学賞を受賞した意味とは!?日本人で初めて文学賞を受賞したのは川端康成。だが、「次のノーベル文学賞は日本人」という噂が流れた際の有力候補には、川端以外に、もう一人の名前が挙がっていた。それは、川端と長年、親交のあった新進気鋭の作家、三島由紀夫。当時、師弟のような関係だった2人の間で交わされたこととは・・・
“がん研究の父”として世界が認める医学博士、山極勝三郎。だが、彼の名を知る日本人は少ない。実は、彼はノーベル賞史上最大ともいえる過ちに関係していた。人工的にがんを発生させる方法を見つけることががんの原因究明への第一歩だった当時、地道な実験で画期的な発見をした山極。そして、1926年のノーベル生理学・医学賞の最終候補にノミネートされる。だが、受賞したのは山極ではなく、デンマークの博士だった。しかし、35年後に仰天の事実が発覚する!山極が幻の日本人ノーベル賞第一号といわれる理由とは!?
また、ノーベル賞の授賞式や晩餐会の様子を紹介しながらクイズを出題する。
「ハテナの自由研究」は、チュートリアルの「リアル女子並べ」。年齢をはじめ、女性には見た目からでは見抜けないことが多い。そんな女性の真実を男性代表のチュートリアル徳井は正確に見抜くことができるのか!?今回は、“彼氏との初キッスの年齢”と“一人暮らしの家賃”をテーマに、それぞれ4人の女子を徳井が正しい順番に並べていく。
東京大学准教授(科学史・科学哲学)。
東京大学理学部物理学科卒業後、ハーヴァード大学に特別研究生として留学するなどして、2005年より現職。専門分野の『科学史』や『科学哲学』の研究とともに、限られた人にしか公開されないノーベル賞の選考資料を元に今まで候補に挙がった日本人を洗い出し、彼らが受賞した理由や背景を詳しく分析。
共著で「ノーベル賞の百年―創造性の素顔」などノーベル賞にまつわる数多くの文献を執筆している。