オリンピックや世界選手権など、世界を相手に大活躍する日本人選手たちが続々と輩出される昨今。だが、かつて、恵まれない環境のなか、世界に戦いを挑み、礎を築いた先人たちがいた。ゴルフの世界では、「プロゴルファー猿」のモデルになったともいわれる“ゴルフの神様”中村寅吉が国別対抗戦で日本に初優勝をもたらしたことから、中村の活躍を機に名だたるプロゴルファーが世界に飛び出した。中村を語らずして、今の華やかな日本ゴルフ界は語れない。そんな様々なスポーツ選手を取材し、現代のスポーツ事情を読み解くのが、スポーツライターの玉木正之先生。今回は、玉木先生が日本のスポーツを語るに欠かせないパイオニアたちの物語を紹介する。
2012年の「全豪オープン」では、気鋭の錦織圭選手が80年ぶりに日本男子ベスト8進出を果たした。しかし、今から80年前に名だたる大会で圧倒的な成績を残し、世界ランク第3位にまで上りつめた男がいた。それが、日本テニス界のパイオニアであり、日本テニス史上最強といわれた伝説のプレーヤー、佐藤次郎だ。生真面目な彼はまじめに練習に打ち込み、瞬く間にトッププレイヤーとなり、デビス杯の日本代表選手に選出される。デビス杯とは男子テニスの国別対抗戦で、当時の日本では「ウィンブルドン」よりも重要視されていた。国を背負い、勝つことが使命。そんな世界に身を置いた佐藤の命がけの壮絶な戦いとは!?一度はテニスと縁を切ったものの、再び戦うことになった佐藤のテニス人生に、一同も衝撃を受ける!
現在では多くの日本人選手が活躍するアメリカのメジャーリーグ。そんな日本人メジャーリーガーのパイオニアといえば、野茂英雄を思い浮かべる人も多い。だが、遥か以前に、日本人メジャーリーガーを誕生させるべく、礎を築いたサムライがいた。それは、彼の地で“アイク”と親しまれた生原昭宏。亜細亜大学野球部の監督を経て、1965年、“自分の手で日本人大リーガーを作る”という夢を抱いて単身アメリカに渡った生原。辛酸を嘗める日々のなか、ひたむきに働く姿がドジャースのオーナーの目に留まる・・・。日米の野球交流に務め、日本野球の発展に大きく貢献した生原。夢のために人生のすべてを捧げたサムライの人生を紹介する。スタジオでは、玉木先生が親交のあったアイクの人柄や、日米の野球の違いなどを解説する。
さらに、女子サッカーやラクロス、女子バレーなど、世界を切り開いた女性アスリートたちも紹介する。
「ハテナの自由研究」は、チュートリアルの「激突!女のセンス~アンタの服どうなん?~」をお届け。ファッションのプロ、モデル軍団とアパレル軍団が互いのファッションセンスを競い合う新企画。火花飛び散る壮絶な舌戦が展開する!
玉木 正之(たまき まさゆき)
スポーツライター。京都市生まれ。
洛星高校卒業後、東京大学に進学するが、中退し、ミニコミ出版の編集者などを経て、フリーの雑誌記者になる。以後、主にスポーツライター、音楽評論家として活躍。雑誌『平凡パンチ』『ナンバー』『週刊現代』『サンデー毎日』『音楽の友』等の雑誌や新聞各紙で連載コラムを執筆、テレビにもコメンテーターとして多数出演。
著書に『スポーツ解体新書』『スポーツとは何か』『スポーツ体罰 東京オリンピック』などがある。
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