今から5年前、オーディション番組で注目され、彗星のように現れた歌姫、スーザン・ボイル。彼女が“奇跡の歌声”で脚光を浴びたのは48歳だった。まさに遅咲きの人生。また、だれもが知る世界的な店のオーナーがその仕事を始めたのは、なんと65歳のときだった。日本人でも、幼い頃から小説家になりたいと思いながら職を転々とし、42歳で花開いた作家は、名作を次々と生んだ。これら遅咲きの成功者たちは、苦労の中で、どのように生き、どうやってチャンスをつかんだのか?そんな大器晩成型の成功者たちの人生について教えてくれるのが、多摩大学教授の久恒啓一先生。「全国の人物記念館を巡り、偉人たちの中には遅咲きの人がたくさんいることを知って、勇気をもらった」という久恒先生が、遅咲きの成功者たちの人生を紹介する。
遅咲きの成功者たちの共通点は、「一つのテーマを追い続け、努力を継続していること」という久恒先生。そんな人物のひとりに関西出身の国民的大女優がいる。大正、昭和、平成と3つの時代を生き、第一線で活躍し続けたある女優。若い頃から活躍しているように思えるが、実は遅咲き。幼い頃から女優を夢見ていたものの、両親が亡くなったことで学校を中退し、働きに出た。しかし、女優の夢をあきらめきれず、親戚のつてを頼って13歳で映画界へ。だが、女優人生は波乱に満ちていた。長い下積みの時代、戦争、襲い来る病魔。そんな彼女の女優人生を大きく変えた出来事とは!?スタジオでは、まだまだいる遅咲きの芸能人をクイズ形式で紹介する。
関西が誇る漫画家はたくさんいるが、なかでも遅咲きとして知られる大人気漫画家がいる。高校卒業後は関西の電鉄会社に就職するも、学歴重視の社風に嫌気がさし、5年で退職。町役場の職員になるが、ラクすぎるという理由で退社。その後はキャバレーなどの水商売を転々としたが、実は小さい頃から絵を描くことが大好きだった。ようやく、44歳で一気に花を咲かせた漫画家とは!?
また、遅咲きの偉人たちに関するクイズを出題する。
「ハテナの自由研究」は、チュートリアルの「見返し美人」。今回も、屈辱の体験から「見返してやる!」と努力した女の子たちが大変身ぶりを披露する。“しゃくれイチゴ”とあだ名された女の子の見返し体験とは!?
久恒 啓一(ひさつね けいいち)
この回の内容に興味がある方は・・・
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