1582年、天下統一を目前にした織田信長が家臣だった明智光秀に京都・本能寺で急襲され、自害した「本能寺の変」。信長を裏切った光秀は新政権を樹立しようとするも、豊臣秀吉に敗戦し、三日天下に終わった。実際に起こった事件ながら、残された謎は多く、日本史上最大のミステリーといわれている。そのひとつが、「なぜ、光秀は信長を裏切ったのか?」。光秀の怨恨説が定説となっているが、光秀は本当に信長を恨んでいたのだろうか。そして、もう一つは、「なぜ、本能寺の急襲の際、信長の警備は手薄だったのか?」。群雄割拠の戦国時代を切り抜けてきた百戦錬磨の信長が、油断し、手薄でいるなどありえたのか。いったい、何が真実なのか?
歴史学者たちが様々な説を唱えるなか、「真実を突き止めたい!」と、明智光秀の子孫が立ち上がった。10年以上の歳月をかけて調査し、独自の観点で1つの真相にたどり着いたのが、光秀の子孫、明智憲三郎先生だ。著書「本能寺の変・431年目の真実」は、研究者の本に書かれていない真実を紹介し、37万部のベストセラーになった。その明智先生が“本能寺の変・434年目の真実”を解説する!
本能寺の変にまつわる大きな謎のひとつは、「なぜ、光秀は信長を裏切ったのか?」。信長を裏切り、謀反を起こした光秀。そもそも2人は不仲であり、光秀の失敗を激しく責め立て、厳しく処分した信長を恨んでの怨恨説が定説だ。だが、これは何を根拠に有力視されるようになったのか?疑問を感じた明智先生は、古い書物や資料を調べあげ、意外な事実に突き当たる!そして、明智先生がたどり着いた、“怨恨説”を覆す、戦国武将ならではの光秀の動機とは!?
本能寺の変にまつわるもうひとつのミステリーは、「なぜ、本能寺の急襲の際、信長の警備は手薄だったのか?」。謀反をまったく予想していなかった信長は、わずか30名ほどの小姓だけを連れて本能寺に滞在し、光秀にあっけなく討ち取られた。「信長は油断していた」というのがこれまでの定説だ。だが、海千山千の相手をしてきた信長がそんな迂闊なことをするだろうか?“油断”ではなく、あえての計画だった!?明智先生が古い書物から導き出した恐るべき真実が明かされる!
また、ドラマチックなエピソードが数々残る織田信長の伝説をクイズ形式で紹介する。
「ハテナの自由研究」は、たむらけんじの「関西人は自分の秘密しゃべっちゃいます!?スペシャル」。“一人しりとり”に挑んでもらい、成功すれば3万円、失敗すれば自分の秘密を暴露してもらうという企画のスペシャルは、関西の最高学府で学ぶ京大生をターゲットにお届けする。テーマが決まっているだけに難易度の高い“一人しりとり”だが、京大生が底力を発揮する!?
明智憲三郎