関西を代表する巨大ショッピング・モールのなんぱパークス、もりのみやキューズモール、阪急西宮ガーデンズ。この3つの施設に共通するのは、かつてそこに野球場があったことだ。現在、なんばパークスの建つ場所には大阪球場があった。南海ホークスの本拠地だった大阪球場の建設には、あのGHQも絡んでいたという。そんな知られざる歴史を掘り起こし、教えてくれるのが、6度目の登場となる大阪府立大学教授の橋爪紳也先生。今回は、橋爪先生が関西の野球場の歴史を通して大阪の歴史を紐解く。
阪神電鉄は甲子園球場、南海電鉄は大阪球場、阪急電鉄は西宮球場、近鉄は藤井寺球場、京阪電鉄は寝屋川球場と、かつては野球場を所有していた関西の電鉄会社。しかし、現在、残っているのは阪神甲子園球場のみとなった。言わずと知れた高校野球の聖地であり、阪神タイガースの本拠地で、名実ともに日本一の球場といわれている。そんな甲子園球場の誕生秘話を紹介。大正13年8月、東洋一の球場として誕生した甲子園球場だが、その建設には様々な難題が待ち受けていた!なかでも、建設地として阪神が白羽の矢を立てた意外な場所とは・・・!? スタジオでは甲子園球場にまつわるクイズを出題。「甲子園球場」と名付けられる前、設計段階で呼ばれていた球場の名前とは?
現在、4年連続で「関西の住みたい街ランキング」の第1位に君臨するのが、阪急西宮北口。いったい、なぜ、西宮北口は関西一住みたい街にまで発展したのか?その答えを解く鍵は阪急西宮ガーデンズの存在にある。そして、かつてそこには西宮球場が建っていた。西宮北口の目覚ましい発展の裏に秘められた、阪急の阪神に対する激しいライバル心とは!?
かつて、大阪には近鉄バファローズという球団が存在したが、その本拠地だったのが近鉄藤井寺球場。「仕事でよく通った」というモモコは、野茂英雄ら選手たちとの思い出を懐かしむ。その球場も2005年、77年に及ぶ歴史に幕を閉じた。球場の跡地は現在、学校になっている。その様子をVTRで紹介し、住宅地に建っていた藤井寺球場にまつわるクイズを出題する。
「ハテナの自由研究」は、ブラックマヨネーズの「一流マニア名人戦」。一流のマニア同士が互いの知識をぶつけ合って対戦する新企画。今回は、一流の換気扇マニアの2人が、互いに難問を出題し合い、まさに名人戦と呼ぶべき超マニアックな熱戦を展開する!
橋爪紳也(大阪府立大学教授)
建築史家、都市計画家。1960年大阪府生まれ。1984年京都大学工学部建築学科卒、1990年大阪大学大学院博士課程修了。近代日本の都市開発などを研究する一方、全国各地で市民参加型のまちづくり事業を企画。ディスプレイデザイン研究大賞、エネルギーフォーラム賞優秀賞などを受賞。著書に、『大大阪モダン建築』、『明治の迷宮都市』、『大阪モダン 通天閣と新世界』、『大阪の引き出し』、『モダニズムの日本』など多数