当時、映画会社が斜陽になって、30〜40歳台の脂の乗り切った監督が余りかえっとったんです。深作欣二、工藤栄一、三隅研次、田中徳三とかね。それがオモロイ言うて必殺シリーズをやってくれた。ある意味において、映画の凄い財産を使わせてもらったね。照明も中島利男というのがいて、これが中村主水と合うたんですな。殺しに行く夜のシーンは、一番明るいライトの羽をグッと絞って、一条だけ光を当てる。その光が通過することによって、光の当たってない闇を表現しよったわけね。明るいところを際立てたら、当たってないところが闇になると。照明の中島と石原興という天才的なカメラマンが相まって、大変面白い映像ができた。小道具係なんかも凄いのがおったよ。何せ彼らは時代劇を背負ってるからね。脚本も第1作は池宮彰一郎が書いてる。
あと早坂暁ね。ただ、彼は原稿が遅い。一番凄かったのは年末。翌年の1月の本をもらいに、彼の泊まってる帝国ホテルに行って。しゃーないから、下のロビーで待ってたんや。そしたら、早坂さんが降りてきて、『書くから』と。すると、真っ青になって大勢の人がとんでくるねん。正月公演の舞台の脚本が、まだできてへんねん。12月29日やで。それ聞いたら、こっちは何も言われへんようになって(笑)。見てたら、早坂さんがその人らに筋書きを説明してるねん。また、これが面白そうに説明するねんね。そやから、それをはよ書きと(笑)。凄い人やったね。