診察室
診察日:2005年12月20日
テーマ: 芸能人症例スペシャル2 本人が警告!私はこれで病気になりました…
『症例 子宮内膜症 ♥さゆりさんの場合』
『症例 肝臓病 力也さんの場合』
『症例 パニック障害 長嶋一茂さんの場合』
『症例 全身性エリテマトーデス 安奈淳さんの場合』

『症例 子宮内膜症 ♥さゆりさんの場合』

♥さゆりさん(女性)/31歳頃(発症当時) 漫才師
底抜けに明るい芸風で人気の夫婦漫才コンビ、「かつみ♥さゆり」の♥さゆりさん。その笑顔の陰には5年以上にも及ぶ、ある病との壮絶な闘いがありました。2000年、「かつみ♥さゆり」を結成し、それまでのタレント活動から新たに漫才師として、ステージに立つようになった♥さゆりさん。ちょうどその頃、最初の異変が起きました。ある朝、仕事に出かける前、それまでにないほどの激しい生理痛に襲われたのです。もともと生理が重かった♥さゆりさんは市販の痛み止めで対処していましたが、生理が来るたび痛みはひどくなるばかり。そんな彼女に、さらなる異変が襲いかかります。
(1)激しい生理痛
(2)出血量が増える
(3)激しいめまい
(4)大量出血
子宮内膜症・子宮筋腫・卵巣のう腫
<なぜ、生理痛から子宮内膜症に?>
「子宮内膜」とは、子宮の内側を覆う膜のこと。受精卵が着床しやすくする役目を果たしま す。これが血液と共にはがれ落ち、体外に出るのが、いわゆる生理。「子宮内膜症」は、この子宮内膜の組織が何らかの原因で、別の場所にまで飛び火し、増殖する病。そして、その場所でも出血するため、生理痛がひどくなったり、出血量が増えたりします。この病自体は、生理のある女性の10人に1人は患っているとも言われ、それほど怖い病気ではありません。しかし、悪化させると子宮の炎症が進み、手術で摘出しなければならないこともあるのです。♥さゆりさんを最初に襲った普段より激しい生理痛。これこそ子宮内膜症の典型的な症状。しかし、生理痛はいつものことと、それまで通り市販の痛み止めで対処した♥さゆりさん。生理が来るたび痛みはひどくなるばかりで、出血量が急激に増え、生理用品さえ役に立たなくなっていました。これは何かの病気なのでは…。そんな思いがよぎりながら、婦人科に行くのが恥ずかしいと、どうしても足を運ぶことができなかった♥さゆりさん。その間にも、病は着実にその勢いを増していました。そして、♥さゆりさんを襲った激しいめまい。実はこの時、♥さゆりさんは、あの大量出血のせいで貧血を起こしていました。このままでは皆に迷惑をかけることになってしまうと、近所の内科を受診した♥さゆりさん。その医師の言葉に、♥さゆりさんはようやく婦人科へ行くことを決意。ところが、せっかく婦人科を予約しても、仕事を理由に結局キャンセル。そんなことを繰り返すうちに、症状は重くなっていく一方でした。この頃、彼女の体では卵巣内にできた子宮内膜が、生理のたびに出血。その血液が溜まって、「卵巣のう腫」と呼ばれる塊になり、どんどん肥大化。ついには、「チョコレートのう胞」と呼ばれる状態に。破裂すると、命にも関わる危険な状態でした。そして運命の日。レギュラー番組のロケ中に大出血し、その場で気を失ってしまった♥さゆりさん。すぐに病院で検査を受けた結果、彼女の体内で起きていた恐るべき事態が明らかになりました。なんと、彼女の子宮と卵巣は、腸に癒着し原形をとどめていませんでした。それだけではなく子宮内には子宮筋腫と呼ばれる腫瘍が、大小合わせて10個以上も。♥さゆりさんは、子宮内膜症、卵巣のう腫、さらに子宮筋腫という、3つの病を併発。すぐにでも手術が必要な状態でした。医師が告げた言葉にようやく手術をする決意をした♥さゆりさん。4時間後、手術は無事成功。そして、わずか3週間後、病との闘いに勝った♥さゆりさんは見事、復帰を果たしたのです。
生理についての問診チェック
『症例 肝臓病 力也さんの場合』
力也さん(男性)/50歳頃(発症当時) 俳優
俳優の力也さんは誰もが認める芸能界No.1の酒豪。1日に飲む量は、テキーラ、ウオッカ などの強いお酒をなんと6本。加えて、タバコも1日60本。さらにパワーの源は、霜降り肉のステーキだと言い切り、なんと3キロをぺろりと平らげることもめずらしくありませんでした。しかし、そんな破天荒な生活を続けた事で、50歳を超えたころ、ついに異変が力也さんを襲うことになります。いつものように酒場へと繰り出した時、あれだけ好きだったお酒がなぜかおいしく感じられなくなってきたのです。その後もさらなる症状が力也さんを襲います。
(1)酒がまずくなる
(2)疲れがとれない
(3)吐き気
(4)胃の辺りが張る
(5)背中の張り
多発性肝のう胞症
<なぜ、酒の飲み過ぎから多発性肝のう胞症に?>
「多発性肝のう胞症」は、肝臓にいくつも、のう胞ができてしまう病。のう胞は、成人のおよそ1%が先天的にもっており、それが小さければなんら危険はありません。しかし力也さ んのように巨大化してしまうと、肝臓の細胞を脇へおしやって肝機能を低下させ、ついには肝不全を起こし、最悪の場合、死を招いてしまう事もあるのです。50歳を過ぎた頃、あれだけ好きだったお酒がなぜかおいしく感じられなくなった力也さん。実はこの時、彼の肝臓は長年に渡る暴飲暴食により機能が低下。その結果、お酒をまずく感じるようになっていました。そして2年後、睡眠はしっかりとっているはずなのに、朝起きるとだるくて仕方がなくなった力也さん。この時、力也さんの肝臓は以前にも増してダメージを受けていました。肝臓には有害物質を解毒するという命に関わる大切な機能があります。力也さんの場合、その機能が低下していたため、解毒できない成分が全身に行き渡り、疲労感や脱力感となって現れたのです。やがて朝食前だというのに、なぜか胃の辺りが張り、しばらくすると、背中の筋肉まで張るような痛みに襲われた力也さん。病院で検査を受けた結果、肝機能を表す数値Γ-GTPが正常な人の10倍以上もあったのです。男としての責任を説く医師の言葉に、力也さんは自ら進んで入院を決意。「多発性肝のう胞症」が明らかとなったのです。では、なぜ、力也さんの「のう胞」は巨大化してしまったのでしょうか?原因はやはり、並外れた飲酒量にありました。はっきりとしたメカニズムは解明されていませんが、大量のアルコールを摂取するとのう胞が肥大化しやすい傾向があるのです。突然の吐き気や、お腹の張り、さらには背中の張りという症状は、巨大化したのう胞が胃を圧迫し、さらにお腹や背中まで、せり出してきたために起きたものだったのです。入院した力也さんは、のう胞を切除する手術を受けました。そして、今年の2月末、無事退院。今ではすっかり元気になった力也さんは禁酒を実践、タバコも完璧にやめました。
『症例 パニック障害 長嶋一茂さんの場合』
長嶋一茂さん(男性)/30歳頃(発症当時) スポーツキャスター
(マルチタレント)
1987年11月、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂さん。天才、長嶋茂雄の息子ということで、彼は入団当初から注目の的。他のルーキーたちと同じ活躍をしても周りは認めてくれず、あの長嶋の息子なんだからもっとやれるはずというプレッシャーの中、理想と現実のギャップに苦しみながら自分を追い込んでいきました。最初の異変が起きたのは、プロ2年目を迎えた1989年のこと。疲れきった身体で眠りについた一茂さんは、毎晩のように空から真っ逆さまに落ちる悪夢を見るようになったのです。その後も、ストレスや不摂生から、さらなる症状が彼に襲いかかります。
(1)落ちる悪夢を見る
(2)地震のような感覚
(3)息苦しさ
(4)激しい動悸
(5)激しいめまい
(6)多量の発汗
パニック障害
<なぜ、ストレスからパニック障害に?>
「パニック障害」とはストレスなど様々な原因で脳内の神経伝達物質に異常が起こり、突然不安にかられ、様々なパニック発作を起こしてしまう病。25歳から35歳までの間で発症することが多く、現在、日本には約100万人の患者がいると言われています。では一体、なぜ長嶋一茂さんは、この病の手中に落ちてしまったのでしょうか。実は一茂さんが毎晩のように見た「落ちていく夢」こそ、病からの最初の警告。さらに練習を終え、お酒を飲んでいた時、地震で体が揺れているような感覚を覚えます。そして1ヶ月後、トイレに立った一茂さんを突然襲ってきたのは、妙な息苦しさでした。異変に驚いた友人に連れられ、救急車で病院へ運ばれ緊急処置を受けた一茂さん。実はこの時、パニック障害が原因で、一茂さんの脳の中枢神経は誤作動を起こしていました。そのため脳は酸素が足りないと勘違いし、もっと酸素を取り込むようと誤った指令を出してしまったのです。そして鼻と口に袋を当てて呼吸することで、乱れていた体内の酸素と二酸化炭素のバランスが回復。一茂さんの異変は治まったと考えられました。しかし、この後、医師から告げられた「自律神経失調症」という病名が、彼の運命を変えることになります。「自律神経失調症」とは、体内を正常に保とうとする自律神経のバランスが崩れることで、めまいや動悸など様々な症状が現れる状態のこと。これ自体はパニック障害の要因の一つでしかありません。しかし、当時はまだパニック障害という病がよく知られていなかったため、自律神経失調症と診断されてしまうことが多々ありました。そのため、パニック障害全てをカバーする適切な処置が行なわれなかったのです。そして、一茂さんも病の正体に気づかぬまま様々な症状に悩まされることになります。突然襲う激しいめまい。朝、練習に行こうと車に乗っても、なぜかハンドルを握る手がビショビショになるほどの大量の汗をかく。さらに再び息苦しさが一茂さんを襲います。病院に足しげく通っても病の正体は見つからないまま、精神的に追いつめられていった一茂さんは、ついにあらぬことさえ考え始めてしまいます。実はこれこそパニック障害の最も恐ろしい所。パニック障害自体は、命にかかわる病ではありません。しかし、度々襲う発作の不安から、うつ状態になったり、最悪の場合、自ら死を選ぶケースも少なくないのです。そんな中、父長嶋茂雄さんから戦力外通告を受け、ユニフォームを脱いだ一茂さん。しかし、この引退が、彼の病を思わぬ方向に導きます。引退を機に、すべての重圧から解き放たれた一茂さんは、その後、病の本当の正体を知り、しっかり向き合えるようになりました。すると、持ち前の明るさを取り戻し、病もゆっくりと快方へと向かい始めたのです。一茂さんは「パニック障害で一番大切なのは、自分を責めずストレスを上手くぬいてあげることだ」と言います。パニック障害という病と気長につきあっていく決心をした一茂さんは今、スポーツキャスターとして役者として様々な可能性を秘め、第2の人生をゆっくりと歩み始めているのです。
『症例 全身性エリテマトーデス 安奈淳さんの場合』
安奈淳さん(女性)/48歳(発症当時) 女優
「ベルサイユのばら」でオスカル役を演じ一世を風靡、退団後も舞台を中心に活躍してきた安奈淳さん。彼女は5年前、死の淵をさまよう病に倒れました。安奈さんを最初の症状が襲ったのは、1995年の夏の暑い日のこと。稽古場に入ったとき、真夏だというのになぜか指先が冷えて仕方ありませんでした。ところが、その小さなサインを見過ごしてしまった安奈さん。その後、新たな異変が彼女に襲いかかります。
(1)指先の冷え
(2)障子が開けられない
(3)関節がこわばる
(4)足のむくみ
(5)おしっこが出ない
(6)立つのも辛いほどの倦怠感
(7)呼吸困難
全身性エリテマトーデス
<なぜ、指先の冷えから全身性エリテマトーデスに?>
「全身性エリテマトーデス」とは、本来外敵を攻撃するはずの免疫細胞が異常をきたし、自 らの体を傷つけてしまう膠原病の一つ。身体の広い範囲で炎症が起きます。現在、患者数は約5万人、その90%は女性で、しかも、20代から50代の人に多いのが特徴です。原因はまだわかっていませんが、早期発見し、正しい治療をすれば、決して死に至るような事はありません。では、いったいなぜ安奈さんは、死の淵をさまよう程の重症になってしまったのでしょうか。ある朝、目覚めてみると、関節がこわばり、痛みもあって自由に動かせなくなった安奈さん。実はこの時、彼女の体内では、免疫異常が起きていました。指先の冷えや筋力の低下も、それが原因。そして免疫異常は体を覆う膜にまで症状を起こしました。そのため、寝ている間に関節の周囲に水分がたまり、朝、関節がこわばるようになったのです。しかし不思議なことに、症状は昼間になると消えてしまいます。実はこれこそが全身性エリテマトーデスの落とし穴。一度体を動かし始めると、たまった水分が分散されるため、一時的に症状が消えてしまうのです。その間にも、病魔は安奈さんの体を着実に蝕んでいました。そして全身で起きていた免疫異常は、ついに目に見える形で現れます。いつものハイヒールが入らないほどの、足のむくみ。原因は腎臓の炎症。免疫異常によって作られた物質が、今度は腎臓で炎症を引き起こしていたのです。その結果、本来濾過してはいけない血液中のタンパク質まで尿として排出してしまいました。そのため、全身を流れる血液の濃度が低下、血管の中にとどまる力を失った水分が外にしみだし、むくみとなって現れていたのです。尿意をもよおし、トイレに行ってもおしっこが殆ど出ない。あれは炎症によって腎臓の機能がさらに低下。ついに尿が作られなくなったのです。そして、立っているのも辛いほどの猛烈な倦怠感を感じるようになった安奈さん。彼女は突然、呼吸困難に襲われました。救急車で病院についたとき、安奈さんの体は極めて危険な状態にありました。免疫異常がさらに活発化、ついに心臓や肺を包む膜が炎症を起こして水がたまり、いつ死んでもおかしくない状態になっていたのです。病院ではすぐさま、全身にたまっていた水分を抜く作業が行われました。60キロもあった体重は、いっきに38キロに。そして、発病から5年目にしてようやく「全身性エリテマトーデス」という本当の病が明らかになったのです。その後、薬による治療が続けられ、安奈さんは徐々に体調を回復していきました。そして2年近い療養生活を経て2002年、再び、芸能界に復帰。現在も、薬で体調をコントロールしながら、以前と変わらぬ活躍を見せています。
全身性エリテマトーデスの問診