診察日:2008年4月1日
豪華2本立て!3時間スペシャル
『本人自ら病を警告!芸能人症例&病気にならない料理 動脈硬化徹底予防スペシャル』
『私なら治せる!絶望から患者を救う名医スペシャル』
テーマ:
「症例 大動脈解離〜加藤茶さんの場合〜」
「本当は怖い倦怠感〜悪魔の風船〜」
「本当は怖い歯痛〜闇にこだまする悲鳴〜」
【芸能人症例&病気にならない料理 動脈硬化徹底予防スペシャルブロック】
『症例 大動脈解離〜加藤茶さんの場合〜』
加藤茶さん(男性)/65歳(現在)
タレント
今から3年前の春、健康診断で精密検査を受けたところ、狭心症と診断された加藤茶さん。原因は日頃のハチャメチャな食生活によるもの。血管はいつ心筋梗塞が起きてもおかしくない状態にまで悪化していました。このままでは危険なため、動脈硬化を起こしている場所にステントと呼ばれる特殊な金属の筒を入れ、血管を拡げる手術を受けた加藤さん。しかし、節制を勧める医師の助言を受け流し、再びハチャメチャな生活に戻ってしまいました。そして手術から1年半後の2006年秋、地方での仕事が終わりホテルに戻ったとき、突然、胃の辺りに激痛を感じた加藤さん。その痛みは背中や肩に移動していったばかりか、新たな症状も襲いかかりました。
(1)激しい胃痛
(2)背中の痛み
(3)肩の痛み
(4)体がだるい
(5)発熱
大動脈解離(だいどうみゃくかいり)
<なぜ、激しい胃痛から大動脈解離に?>
「大動脈解離」とは、心臓から全身に血液を送り出す大動脈、その血管壁に亀裂が生じ、流れ込んだ血液によって、本来1本のはずの流れがわずか数秒で2本になってしまう病。2本に分かれた血管は極めてもろく、破裂すれば即死してしまう恐ろしい病です。では、なぜ加藤さんはこの病になってしまったのでしょうか?それはやはり長年の暴飲暴食、ハチャメチャな食生活に原因がありました。そもそも私たちの血管壁は、内膜、中膜、外膜の3層構造になっています。ところが加藤さんのように、肉類などコレステロールの多い食事ばかりを続けていると、血液中に増えた悪玉コレステロールが、血管壁の中に入り込んで動脈硬化を起こしてしまいます。すると内膜と中膜がもろくなり、ちょっとした刺激でも壊れやすくなります。その引き金を引いたのが、加藤さんの高血圧。あのホテルの夜、もろくなった内膜に高い血圧がかかり破れてしまったのです。加藤さんの場合、大動脈は心臓近くから腹部にまで裂けてしまっていました。そのため、おなかや背中、肩までが強い痛みに襲われたのです。さらに裂けた血管では炎症が起き始めます。それがあの長く続いた発熱の原因でした。そう、加藤さんはあの激痛が起きた時から体内に爆弾をかかえ、いつ死んでもおかしくない状態で仕事を続けていたのです。大動脈が破裂する前に、一刻も早い手術が必要でした。しかし大きな壁が医師団の前に立ちはだかったのです。実は加藤さん、日頃の不摂生から起きた狭心症のため、血液が固まりにくくなる薬を服用していました。このまま手術を行なうと、出血がとまらず、死亡する危険性が高くなると判断されたのです。薬の効果が弱まるには時間が必要でした。いつ破裂するとも知れない爆弾をかかえ、加藤さんはただ待つしかなかったのです。緊急入院から5日目。医師団は加藤さんの容態からこれ以上は待てないと判断。ついに手術に踏み切りました。それは大動脈の一部を人工血管にとりかえるというもの。人工心肺をつけ、心臓の動きを停止して行なう大手術。もろくなった血管が破れてしまえば一巻の終わり。それは、まさに生死が紙一重の慎重な作業。朝9時に始まった手術は、実に10時間にも及びました。そして無事手術は成功。加藤さんの心臓は再び脈を打ち始めたのです。
【私なら治せる!絶望から患者を救う名医スペシャルブロック】
『本当は怖い倦怠感〜悪魔の風船〜』
N・Sさん(男性)/48歳(現在)
会社員
夢のマイホームへの引越しを1ヵ月後に控えた頃、微熱をともなった風邪のような倦怠感を覚えたN・Sさん。その後、咳や胸の圧迫感などの症状に襲われた彼は、病院に駆け込んだところ、原因不明のある心臓病と診断され絶望の淵に立たされました。治療法は投薬治療か心臓移植のみ。そんなある日、新聞記事で「バチスタ手術」と呼ばれる画期的な治療法の存在を知ったN・Sさん。わらにもすがる思いで湘南鎌倉総合病院を訪れた彼は、一人の医師との運命の出会いを果たします。
(1)倦怠感
(2)咳
(3)胸の圧迫感
(4)嘔吐
特発性拡張型心筋症(とくはつせいかくちょうがたしんきんしょう)
⇒バチスタ手術により回復
<特発性拡張型心筋症の画期的治療法、バチスタ手術とは?>
「特発性拡張型心筋症」とは心臓を覆っている心筋の一部が何らかの原因で変質、血液を送り出す筋肉の力が弱まり、血液が心臓の中に溜まり続けてしまう病。その結果、心筋が薄くなり、膨らんだ風船のように心臓が肥大、最悪の場合、重篤な心不全や不整脈で突然死に至る原因不明の難病です。N・Sさんの心臓は肥大し、収縮力は健常者の3分の1程度しかありませんでした。彼を襲った症状の全ては、この心臓の肥大が原因。心臓が膨れ上がってしまったことで、肺など心臓周りの臓器を圧迫、喘息に似た症状が出てしまったのです。拡張型心筋症は、およそ1万人に1人が発症するといわれ、5年生存率は50%。N・Sさんに告げられた治療法は2つでした。まずは薬剤の投与によって、弱まった心臓の収縮力を補う方法。しかしこれは、あくまで対症療法に過ぎず、抜本的な治療にはならないといいます。最後の手段は心臓移植。しかし当時の日本では心臓移植は行われておらず、可能性があるのは海外のみ。その費用は数千万円とも言われ、ドナーもいつ回ってくるか分からないという状況。事実上、N・Sさんに残されていたのは、薬剤による対症療法だけ。しかしこの治療法では、延命は出来ても完治の望みはありません。地獄のような暮らしが始まって半年。N・Sさんは新聞で、拡張型心筋症の画期的治療法としてバチスタ手術と言われる新しい外科手術が紹介されているのを見つけ、わらにもすがる思いで湘南鎌倉総合病院を訪れました。そして当時、心臓バイパス手術で、日本の医学界にその名を轟かせていた
磯村正先生(現在は葉山ハートセンター心臓外科センター長)
と運命の出会いを果たすのです。「バチスタ手術」とは1980年代、ブラジルのバチスタ博士が考案した、斬新な外科手術。心臓が膨れ上がり収縮力が落ちたのなら、その変質した心筋を切り取り小さくしてあげれば、心臓の収縮力は回復するはず。そんな大胆な発想から生まれた手術です。しかし、当時はまだ全世界で200例ほどしか手術例がなく、日本ではわずか1年前に導入されたばかり。術後1年の生存率も、およそ6割と低く、極めて難易度の高い手術でした。愛する家族に背中を押され、バチスタ手術にかけてみることを決意したN・Sさん。1998年4月27日、神の手を持つ磯村先生による運命のバチスタ手術が始まりました。磯村先生は、心臓を通さず全身に血液を循環させることができる人工心肺装置を用い、肥大した左心室の切除を開始。心臓を動かしたまま、指先でじかに変質部分を確認しながら切除していきます。午後3時30分。最後のヤマ場、縫合にかかります。ここにも磯村先生独特の技が。まずは心臓を包んでいる心膜を切り取り、この心膜を切除部分にあてがうようにして縫合。こうすることで縫合部分の強度が飛躍的にアップ。力強く甦った心臓を守ってくれるのです。手術開始から3時間、バチスタ手術は無事成功。N・Sさんは半年後には仕事に復帰し、元気に働いています。
『本当は怖い歯痛〜闇にこだまする悲鳴〜』
I・Fさん(女性)/72歳(現在)
無職
5月のある朝、顔を洗おうとした時、虫歯のような痛みが左頬に走ったI・Fさん。その後、食事などの度に左頬の激痛に襲われるようになった彼女は、病院で検査を受けたところ、ある神経の病と診断されました。やがて笑顔を作ったり、冷たい風に当たったりするだけで激痛が走るようになり、こんなに苦しいなら死んだ方がましとまで思いつめたI・Fさん。しかし、ある名医との出会いが彼女の運命を変えていきます。
(1)歯の痛み
(2)食事をする左頬に激痛
(3)笑顔を作ると激痛
(4)冷たい風が当たると激痛
三叉神経痛(さんさしんけいつう)⇒ガンマナイフ手術により回復
<三叉神経痛の新しい治療「ガンマナイフ手術」とは?>
「三叉神経痛」とは、頭部の脳神経の一つである三叉神経に、何らかの原因で異常な刺激が伝わり、数秒から数分間に渡り耐え難い痛みを引き起こす病。現在、日本人の2万人に1人、推定6千人がこの病を患っていると考えられています。I・Fさんの三叉神経に異常な刺激が伝わるようになった原因は、三叉神経の周囲を走る血管にありました。加齢などが原因で動脈硬化が進行すると、血流が変化し血管がクネクネと蛇行。長い年月の末に、本来触れる位置にない三叉神経を圧迫してしまうことが。すると神経が極端に過敏な状態になり、顔に伝わるわずかな感覚が増幅され、異常な痛みと感じられるのです。I・Fさんの場合、歯に近い部分からの信号を受ける三叉神経に異常が発生。そのため、痛みを虫歯によるものと勘違いしてしまいました。実際この病は虫歯と勘違いされることが多く、中にはあまりの痛みから、悪くもない健康な歯を自ら頼んで歯医者さんに抜いてもらう人もいるのです。ようやく痛みの原因がわかったI・Fさん。しかし投薬治療には、じんましんや強烈なめまいなどの副作用が。開頭手術によって血管を神経から遠ざければ痛みはなくなりますが、手術には全身麻酔が必要で、I・Fさんのような高齢者には身体の負担が大きすぎて危険でした。副作用の少ない薬は、2週間も経つ頃には効かなくなり、やがて笑顔を作ろうとしたり、冷たい風が頬に当たったりしただけでも激痛が走るようになったI・Fさん。しかし2007年12月、担当医から紹介された病院で一人の医師と出会ったことが彼女の運命を変えます。その医師こそ、
東京女子医科大学脳神経外科講師、林基弘先生
。三叉神経痛の新しい治療法によって、これまで400人以上の患者を救ってきた名医です。彼の用いる三叉神経痛治療の秘密兵器こそ、ガンマナイフ。「ガンマナイフ」とは、放射線の一種であるガンマ線を用いて、外科手術ではなく脳腫瘍などの病気を治す放射線治療。201本の目には見えないガンマ線を病巣に集中照射。ほかの脳細胞などにダメージを与えることなく、腫瘍だけを壊死させるという画期的な治療法です。まさに「神の見えざる手」。林先生は、このガンマナイフを三叉神経痛の治療に利用しようというのです。その方法とは、微弱なガンマ線を三叉神経に照射することで、三叉神経の性質そのものを変えてしまおうというもの。すると正常な感覚はそのままで、痛みだけがとれるというのです。そのためには直径わずか3ミリという三叉神経の中心にピンポイントで照射することが必要不可欠。しかも、すぐ側には自律神経を司る脳幹があり、ここに少しでもガンマ線が当たると、痺れや麻痺など重い後遺症が残る危険性があります。つまりガンマナイフとは、0.1ミリ単位の照射位置の調整が要求される極めて精密な治療法。林先生はCTとMRIを併用することで正確な照射位置を決定し、通常80%と言われるガンマナイフ治療の成功率を98%にまで引き上げているのです。2007年12月29日午前11時、I・Fさんの治療が始まりました。林先生はまず頭に局所麻酔を行い、チタン製のフレームをしっかりと固定。撮影したMRIとCTの画像を元に、照射位置を決めていきます。やがて、I・Fさんの患部の状態が3D画像として浮かび上がり、三叉神経が2本の血管によって挟まれるように圧迫されていることが判明しました。林先生は、MRIとCTの画像に映った骨のズレを修正していきます。作業開始から30分、ついに照射位置が決定しました。あとは、ガンマナイフの照射を受けるI・Fさんを見守るのみ。そして50分後、ガンマナイフ照射は終了。1ヵ月後、診察にやってきたI・Fさんは、激痛から解き放たれ、本来の明るさを取り戻していました。