【私なら治せる!絶望から患者を救う名医スペシャルブロック】 |
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『本当は怖い倦怠感~悪魔の風船~』 |
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N・Sさん(男性)/48歳(現在) |
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会社員 |
夢のマイホームへの引越しを1ヵ月後に控えた頃、微熱をともなった風邪のような倦怠感を覚えたN・Sさん。その後、咳や胸の圧迫感などの症状に襲われた彼は、病院に駆け込んだところ、原因不明のある心臓病と診断され絶望の淵に立たされました。治療法は投薬治療か心臓移植のみ。そんなある日、新聞記事で「バチスタ手術」と呼ばれる画期的な治療法の存在を知ったN・Sさん。わらにもすがる思いで湘南鎌倉総合病院を訪れた彼は、一人の医師との運命の出会いを果たします。 |
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(1)倦怠感
(2)咳
(3)胸の圧迫感
(4)嘔吐 |
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特発性拡張型心筋症(とくはつせいかくちょうがたしんきんしょう)
⇒バチスタ手術により回復 |
<特発性拡張型心筋症の画期的治療法、バチスタ手術とは?> |
「特発性拡張型心筋症」とは心臓を覆っている心筋の一部が何らかの原因で変質、血液を送り出す筋肉の力が弱まり、血液が心臓の中に溜まり続けてしまう病。その結果、心筋が薄くなり、膨らんだ風船のように心臓が肥大、最悪の場合、重篤な心不全や不整脈で突然死に至る原因不明の難病です。N・Sさんの心臓は肥大し、収縮力は健常者の3分の1程度しかありませんでした。彼を襲った症状の全ては、この心臓の肥大が原因。心臓が膨れ上がってしまったことで、肺など心臓周りの臓器を圧迫、喘息に似た症状が出てしまったのです。拡張型心筋症は、およそ1万人に1人が発症するといわれ、5年生存率は50%。N・Sさんに告げられた治療法は2つでした。まずは薬剤の投与によって、弱まった心臓の収縮力を補う方法。しかしこれは、あくまで対症療法に過ぎず、抜本的な治療にはならないといいます。最後の手段は心臓移植。しかし当時の日本では心臓移植は行われておらず、可能性があるのは海外のみ。その費用は数千万円とも言われ、ドナーもいつ回ってくるか分からないという状況。事実上、N・Sさんに残されていたのは、薬剤による対症療法だけ。しかしこの治療法では、延命は出来ても完治の望みはありません。地獄のような暮らしが始まって半年。N・Sさんは新聞で、拡張型心筋症の画期的治療法としてバチスタ手術と言われる新しい外科手術が紹介されているのを見つけ、わらにもすがる思いで湘南鎌倉総合病院を訪れました。そして当時、心臓バイパス手術で、日本の医学界にその名を轟かせていた磯村正先生(現在は葉山ハートセンター心臓外科センター長)と運命の出会いを果たすのです。「バチスタ手術」とは1980年代、ブラジルのバチスタ博士が考案した、斬新な外科手術。心臓が膨れ上がり収縮力が落ちたのなら、その変質した心筋を切り取り小さくしてあげれば、心臓の収縮力は回復するはず。そんな大胆な発想から生まれた手術です。しかし、当時はまだ全世界で200例ほどしか手術例がなく、日本ではわずか1年前に導入されたばかり。術後1年の生存率も、およそ6割と低く、極めて難易度の高い手術でした。愛する家族に背中を押され、バチスタ手術にかけてみることを決意したN・Sさん。1998年4月27日、神の手を持つ磯村先生による運命のバチスタ手術が始まりました。磯村先生は、心臓を通さず全身に血液を循環させることができる人工心肺装置を用い、肥大した左心室の切除を開始。心臓を動かしたまま、指先でじかに変質部分を確認しながら切除していきます。午後3時30分。最後のヤマ場、縫合にかかります。ここにも磯村先生独特の技が。まずは心臓を包んでいる心膜を切り取り、この心膜を切除部分にあてがうようにして縫合。こうすることで縫合部分の強度が飛躍的にアップ。力強く甦った心臓を守ってくれるのです。手術開始から3時間、バチスタ手術は無事成功。N・Sさんは半年後には仕事に復帰し、元気に働いています。 |