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<W・Sさんが受けた腫瘍の摘出手術、「フェイシャルディスマスキング法」とは?> |
「フェイシャルディスマスキング法」とは、顔の3分の2もの皮膚を、顔面神経ごとはがすという大胆なもの。岸本先生は、元々形成外科で行われていたこの手術法を取り入れ、飛躍的に腫瘍摘出の可能性を向上させたのです。顔を大きく開くことで、顔の底にある大きな腫瘍を取り残すことなく、摘出することが可能な手術法。さらに顔面麻痺などの後遺症や、傷もほとんど残らないといいます。
2008年10月6日、ついに手術を受けることになったW・Sさん。まず形成外科チームがフェイシャルディスマスキング法で頭蓋骨を露出させることから始められました。
次に脳神経外科チームが、頭蓋骨の一部を取り外し、そこから脳に食い込んだ部分の腫瘍を摘出します。脳に食い込んでいた腫瘍は、およそ3センチ。血管や神経を傷つけないよう、電気メスで焼き切りながら、慎重に腫瘍をはがしていきます。そして、9時間もかけて、脳に食い込んだ部分の摘出が終了。
いよいよ岸本先生ら頭頸部外科チームによる、頭頸部の腫瘍摘出です。岸本先生が右頬骨と頭蓋底の一部を外すと、ソフトボールほどもある腫瘍の本体が現れました。腫瘍が骨にがっしりと食い込み、癒着部分にメスを入れることができないため、岸本先生は自らの指を使って腫瘍をはがしにかかりました。メスを無理やり入れ正常な組織を傷つけるより、長年培った感覚で腫瘍をはがす方法を選んだのです。そして、腫瘍が溶かしてしまった大きな隙間には、術後の感染に強いとされるお腹の筋肉が移植されました。
最後に顔を戻し、20時間にも及ぶ大手術は、無事終了したのです。 |
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<盛田さんが受けた腫瘍の摘出手術とは?> |
盛田さんの腫瘍には、2つの深刻な問題がありました。1つ目の問題は、上矢状洞(じょうしじょうどう)という髄膜の中を通る太い血管の壁から腫瘍が発生していたこと。この血管を傷つければ、すぐに大出血を起こします。
2つ目の問題は、運動野の真ん中に腫瘍ができていることでした。そこは野球選手にとって命ともいえる運動機能を司る場所。わずかでも傷つければ、確実に後遺症が残ってしまいます。そう、盛田さんの腫瘍は、少しも傷をつけることができない箇所に囲まれていたのです。
手術では、なんとしても太い血管と運動野を守らなくてはなりません。そこで、腫瘍を少しずつ切り離し、その隙間に綿を挿入。太い血管と運動野を守りながら腫瘍を摘出していく方法がとられることになりました。これを幾度となく繰り返し、ようやく腫瘍の全摘出ができるのです。しかし、盛田さんの腫瘍は脳の中心に達しそうなほど巨大化し、手術は途方もなく長く、大変なものになることが予想されました。
手術が行われたのは、1998年9月10日。まず脳を露出させるために、頭蓋骨にドリルで穴を開け、それを線でつなぐように頭蓋骨を切り取ることから始まりました。上矢状洞から腫瘍を少しずつ切り離します。この時、桑名先生が使うのが、第一のワザ「バイポーラピンセット」と呼ばれるもの。先端に電極がついているピンセットを使い、癒着した腫瘍を焼いて切り離します。
第二のワザは、「手術顕微鏡」。高さ2メートルの巨大な顕微鏡を使い、患部を12倍にまで拡大しながら数ミリ単位の作業をこなす集中力こそが、先生の真骨頂です。30分以上かけ、癒着部分を5ミリほど太い血管からはがしたら、綿を挿入します。こうして少しずつ、太い血管の安全を確保。血管と腫瘍の境界を明確にしていきます。
そして第三のワザが「超音波手術器」。機械内部で発生する超音波が、1秒間に2万5千回もの振動を腫瘍に与えると、腫瘍は液化し吸い取れるようになるのです。とはいえ、1時間で吸い取れる腫瘍の深さは、およそ1cm。太い血管を守りながら繊細な作業を続け、ようやく腫瘍が姿を現しました。そして、ついに10時間に渡った腫瘍の摘出手術は、無事成功。盛田さんはその後、1年に及ぶリハビリを経て、マウンドへの復活を果たしたのです。 |
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