月〜金曜日 20時54分〜21時00分


京のご利益詣り 

 新年の神社仏閣は無病息災や家内安全を願う初詣の参拝者でにぎわう。長引く不況からの脱出を願ったり、高校、大学の入学試験合格、良縁を願う人など、それぞれに思いがこもっている。新年早々の歴史街道はこれらの社寺のご利益の一部を紹介する。


 
蛸薬師  放送 1月7日(月)
お前立ちさん(薬師如来) 京都随一の盛り場・新京極の土産物店が並ぶ繁華街の間に、ほの暗くひっそりたたずむように建つ蛸(たこ)薬師は、鎌倉時代創建の寺で元は永福寺と呼ばれていたが明治に妙心寺と改められた。この蛸薬師は昔から庶民の信仰を集め、イボ、タコ、ウオノメの治療、安産祈願、夫人の髪の毛を美しくするなど様々な願いごとに霊験があるとされている。
 本尊の石造りの薬師如来像は秘仏となっているが、数多い参詣者はとっつきの小さな釣り鐘を撞木でつき、奥の木彫りの蛸をなでて祈願する。
(写真は お前立ちさん(薬師如来))

章魚薬師縁起 昔、この寺に住む親孝行な善光と言うお坊さんが、病の母を寺に引き取り看病していた。その母親が「タコが食べたい」と言うので、戒律の厳しい僧侶の身ながら母親の気分を晴らしてやりたいとタコを買って寺へ持ち帰った。ところが周りの人たちは「僧にあるまじきこと」と善光を取り押さえ、タコの入った箱のふたを開けさせた。善光が「どうかこの窮地をお救いください」と薬師如来を念じつつ箱のふたを開けたところ、不思議なことに箱の中にはタコの代わりに経本が入っており、霊光があたりを照らし母親の病気も治った。それ以来、この寺を蛸薬師と呼ぶようになったとの伝えがある。
(写真は 章魚薬師縁起)


 
誓願寺  放送 1月8日(火)
扇塚(誓願寺) 新京極の小広場に面する誓願寺の門前の石段に、若者たちが座りこんでいる風景は現代の世相を現しているようだ。だが、この寺は天智天皇のころ奈良に創建され、桓武天皇の平安遷都の時、京都・深草に移った。その後、天正13年(1585)豊臣秀吉の命令で現在地に移り、秀吉の側室・松丸殿の発願で諸堂宇が造営された。当時は広大な寺域と本堂、阿弥陀堂、三重塔など多数の堂塔を誇っていたが、数度の火災と明治5年(1872)の新京極開設で寺域が縮小され、現在の新京極の繁華街に囲まれる格好となった。
 山門を入ってすぐ右に扇塚があり、本堂の両わきには奉納された数多い扇子があでやかに掲げられている。白拍子らが舞いの上達を願って、扇を奉納したのが始まりのこの習慣が一般に広がり、芝居、音楽、舞踊、お笑いなど種々の芸事上達の願いが奉納された扇子に納められている。
(写真は 扇塚(誓願寺))

和泉式部(誠心院蔵) 誓願寺55世法主・安楽庵策伝上人は落語家の祖と言われる、美濃の生まれで笑い話が得意だった。笑いで人の心を開き、仏の教えを説く説教上手なお坊さんだったと言う。
元和元年(1615)小僧のころから聞いた面白い話を集め「醒睡笑(せいすいしょう)」8巻を著し、当時の京都所司代板倉重宗に献上したと言う。この中には古典落語として今も語られているものがある。
 茶人としても知られていた策伝は、誓願寺塔頭・竹林院境内に安楽庵と名付けた茶室を構え、隠居後は安楽庵と号し風流三昧の日々を送った。
 誓願寺南にある誠心院は娘の小式部の死によって尼になった和泉式部を哀れみ、藤原道長が寺を建てたのが起こり言われている。本堂の本尊脇には和泉式部と藤原道長の像があり、境内には和泉式部の供養塔が建っている。
(写真は 和泉式部(誠心院蔵))


 
わら天神(敷地神社)  放送 1月9日(水)
お守り 金閣寺南東約500m、西大路通りを望むわら天神は衣笠町一帯の産土(うぶすな)神で、京都では安産の神さんとして名高い。安産祈願にお詣りすると授与されるお守りがわらでできており、このわらに節があれば男の子、節がなければ女の子が授かると言われ、ここから「わら天神」と親しみをもって呼ばれるようになったが、正式には敷地神社と言う。
(写真は お守り)

大山祇神社(綾杉明神) 境内の樹齢約1500年の杉の根が祭られている「綾杉明神」は、神功皇后が身ごもられた時、この綾杉の下で腹帯を締めたと伝えられていることから「はら帯天神」との呼び名もある。
 境内の摂社・六勝稲荷神社は、縁起の良い語呂の名称から必勝、開運、成功の守護神として信仰する人が多く、商売繁盛、特に入学試験を控えたこの時期は入学試験、各種試験の合格祈願の参詣者が絶えない。
 わら天神は古くは金閣寺の北西の北山天神丘にあって北山の神と呼ばれていたが、足利義満が現在の金閣寺の地にあった北山殿を造営する際に現在地に移した。
(写真は 大山祇神社(綾杉明神))


 
幸神社  放送 1月10日(木)
神猿 出町柳から西へ向かい、同志社女子大に近い住宅街の中にある幸神社(さいのかみのやしろ)は、鳥居、境内、本殿のいずれもがひっそりと小さいが、平安時代初期の創建と見られ京都市内では最も古い神社のひとつ。
 名前を聞くだけでも幸せになれそうな気がする神社で、藤原定家が住んでいた冷泉家が近くにあり、定家の「明月記」にも出雲路道祖神との記載が見られる。古くはこの一帯に出雲氏の住んでおり、この一族の氏神として祭られ、出雲路幸神・出雲路道祖神社と称し道祖神を祭る神社として崇敬されていた。
(写真は 神猿)

御石神 祭神が道案内の神・猿田彦神でこれが道祖神信仰と結びついて、縁結びの神、幸福な家庭を築く神、さらには交通安全の神として信仰を集めるようになった。また御所の鬼門の守護神として御所・猿ヶ辻の鬼門除けの木像の猿と同じものが本殿横に祭られている。
 境内の一隅には男性を象徴する陽石が神石として鎮座している。小さな鳥居の奥に鎮座している神石に対し、女性がこれを拝むのはよいが、さわるとたたりがあるといわれている。
(写真は 御石神)


 
御霊神社  放送 1月11日(金)
御霊神社 相国寺の北、京都の人たちが「ごりょんさん」と親しげに呼ぶ御霊神社は、京都御所の南、中京区の下御霊神社に対して上御霊神社とも呼ばれている。創建は古く、延暦19年(800)早良(さわら)親王の霊を慰めるため建立された。
 早良親王は桓武天皇の同母弟で桓武天皇の皇太子に立てられたが、延暦4年(785)の藤原種継の暗殺事件に連座して皇太子を廃され、淡路へ流される途中、断食して死んだ。親王の死後、当時天変地異や疫病が相次ぎ怨霊に悩まされたため御霊神社を建立して霊を慰めた。
(写真は 御霊神社)

唐板煎餅(水田玉雲堂) その後、祭られた8祭神もすべて政争の犠牲となり非業の死を遂げた人たちばかりである。
当時は、天災や悪疫などはこれらの怨霊のたたりによるものだと信じられていた。貞観5年(863)怨霊を慰めるために御霊会が行われ、その後の御霊会の始まりとなり御霊信仰が生まれた。怨霊による厄災を避ける怨霊信仰から京都の人たちは、悪疫退散の祈願を御霊神社にするようになった。
 元禄3年(1690)御霊神社に参詣した松尾芭蕉は「半日は 神を友にや 年忘」の句を奉納した。その句碑が境内にある。
 鳥居前にある水田玉雲堂の唐板煎餅(からいたせんべい)を食べると、悪病が鎮まると京都の人たちは信じている。
(写真は 唐板煎餅(水田玉雲堂))


◇あ    し◇
蛸薬師阪急電鉄河原町駅下車 徒歩5分。 
京阪電鉄四条駅下車 徒歩10分。
京都市バス四条河原町下車 徒歩7分。
誓願寺京阪電鉄三条駅下車 徒歩8分。 
京都市バス四条河原町三条下車 徒歩2分。
誠心院京阪電鉄三条駅下車 徒歩10分。 
京都市バス四条河原町三条下車 徒歩5分。
わら天神(敷地神社)京都市バスわら天神前下車 徒歩3分。 
幸神社京阪電鉄出町柳下車 徒歩10分。
京都市バス河原町今出川下車 徒歩7分。
 
御霊神社・水田玉雲堂地下鉄烏丸線鞍馬口下車 徒歩4分。 
◇問い合わせ先◇
蛸薬師075−255−3305 
誓願寺075−221−0958 
誠心院075−221−6331 
わら天神(敷地神社)075−461−7676 
幸神社075−231−8774 
御霊神社075−441−2260 
水田玉雲堂075−441−2605 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会