月〜金曜日 20時54分〜21時00分


花の下影 

 幕末の浪花の“うまいもの処”を紹介した「花の下影」が芦屋市の個人宅にあった。
現代でいえばうまい物ガイドブックで、今回は現在ものれんを掲げている店を訪ねてみた。


 
幕末の食いだおれ  放送 1月14日(月)
『花の下影』 「楽しみは花の下より鼻の下」としゃれっ気をまじえた言い回しがある。つまり花より団子で、うまいものを飲み食いするのが人生最大の楽しみ。特に大坂人は「浪花の食いだおれ」と言われるくらい昔からうまいもんへの探求心が強く、食べることに執着した。
 そんな浪花の「うまいもの処」を紹介したのが「花の下影」である。禁門の変などが起こっている幕末の騒然たる世情をよそに、元治元年(1864)の前後数年間に、まんじゅう屋、もち屋、菓子屋、ようかん屋、せんべい屋などの甘党の店から料亭、鮓、めし、うどん、そばなどの高級店から大衆的な店まで、大坂中の多様な食べ物屋の店頭風景を軽妙な筆致、豊かな色彩で316枚に描いた画帖「花の下影」である。
(写真は 『花の下影』)

道頓堀 「花の下影」の作者は不明だが、1頁に1店ずつ描かれ、そこに登場する人物の表情は豊かで、当時の様々な庶民の暮らしぶりが伝わってくる。筆致は洒脱でユーモアあふれており、四季折々の風情が1枚の絵の中に織り交ぜて描かれ、見る人を思わず当時へタイムスリップさせる魅力がある。同時に店の内外の描写が優れており、貴重な郷土資料、風俗資料でもあると研究者から評価されている。
 雪・月・花の3巻に分かれた「花の下影」は、大坂市中はもとより近郊にまで足を伸ばして紹介しており、しかも庶民に人気のある食べ物屋を描いている。交通の便の良くない当時、食べ物にこれほどの執着心を持っていた筆者は相当な食い道楽をした人物と見られる。
(写真は 道頓堀)


 
阿み彦(うなぎ)  放送 1月15日(火)
『花の下影』難波橋下うなぎ 「花の下影」に描かれている食べ物店の中には、その形は変わっていても今も同じ場所で営業している店が何軒かある。木造の難波橋の欄干から夕涼みの男ふたりが「ええ匂いやなあ」と、のぞきこんでいる河岸のうなぎ屋は「あみ彦」(現在は阿み彦)。
 江戸時代初期の寛永年間(1624〜44)に阿み彦の先祖・奥田彦兵衛が川魚商を始め、元禄年間(1688〜1704)に3代目彦兵衛が、現在の北浜の証券取引所のあるあたりに、屋形船でうなぎ屋を開業したのが始まり。現代は11代目が営業している。
株の相場が“うなぎ上り”と言うのも北浜の証券取引所と阿み彦に関係あるのだろうか?。
(写真は 『花の下影』難波橋下うなぎ)

阿み彦のうなぎ うなぎの開き方は江戸と大坂では違う。大坂は腹を割り、江戸は背中をさく。侍の町だった江戸ではうなぎと言えども「腹を切る」の忌み嫌ったのだとか。
 炭火の上で焼かれる独特の香ばしい匂いはたまらない。日本人はうなぎが好きで、元気をつける食べ物として人気がある。真夏の暑さに負けないために土用の丑の日にウナギを食べるが、この習慣が起こった理由については諸説紛々である。天然物のうなぎしかなかった時代は、高級料理だったかもしれないが、今は養殖うなぎが出回りスーパーでもかば焼きを売っており、うなぎ好きにはこたえられない。また、血液をサラサラにする効果があるとかでさらに人気が高まっている。
(写真は 阿み彦のうなぎ)


 
二ツ井戸 津の清(おこし)  放送 1月16日(水)
『花の下影』二ツ井戸津の清 大阪は今も続々と新しい名物を生み出す土地柄だが、誰もが認める代表的な名物と言えばはやり粟おこし。おこしは平安時代の10世紀に出された日本最初の漢和辞書の和名抄にも記されているほどの古い菓子である。
 平安時代初期からの歴史があるおこしを、初めて板状にのばし、粟おこしと命名して宝暦2年(1752)に売り出したのが初代、津の国屋清兵衛である。屋号の「津の清」は津の国屋清兵衛の名から取り、二ツ井戸は店のすぐ東、道頓堀と東横堀が交わるところに豊かな清水を湧かせる二つの井戸があったことにちなんでいる。平安時代からの伝統の菓子・粟おこしも、幕末に輸入された落花生を使ってピーナツ入れたものやバター、ミルクを入れた和洋折衷の新しい粟おこしを「津の清」では作っている。
(写真は 『花の下影』二ツ井戸津の清)

二ツ井戸津の清の粟お越し 「二ツ井戸 津の清」の粟おこしは、江戸時代の随筆家・喜田川守貞が嘉永6年(1853)ごろ、自ら見聞した風俗を図を添えて書いた「守貞漫稿」や近松門左衛門の浄瑠璃「生玉心中」、最近では山崎豊子の小説「のれん」にも取り上げられている。
 江戸時代の二ツ井戸は、豊富な水量を誇っており、貨幣鋳造の用水に使われたほか、東横堀の荷上場に集まる荷車を引く馬たちの格好の水飲み場になっていた。明治年間に井戸は埋められ井桁が残っていたが、戦後「津の清」の店が西へ約100m移転したのに伴い、その門前に御影石製のものを作り替えて置き、その由来を伝えている。
(写真は 二ツ井戸津の清の粟お越し)


 
おきな昆布  放送 1月17日(木)
『花の下影』翁昆布 おこしと並ぶ大阪名物の横綱格が昆布である。江戸時代から心斎橋筋には昆布屋が何軒もあったようで、「翁昆布」は慶応2年(1866)の創業で、今も「おきな昆布」として心斎橋筋で営業を続けている。
 お客の長寿と健康を祈ってふすまに翁の面を描き「翁昆布」として売り出した。秤り売りの荒昆布、小切りの菓子昆布を商っている様子が「花の下影」に描かれている。江戸時代中期から北前船によって北海道・松前から大坂に昆布が集積され、味にこだわる浪花の技術が昆布を“浪花の味”にした。
(写真は 『花の下影』翁昆布)

おきな昆布の百翁 昆布は平安時代から宮廷の宴での貴重な食品として愛用されていた。鎌倉、室町時代も武士や僧侶ら上級階級の愛好品として親しまれ、庶民の食卓に上がるようになったのは江戸時代になってからのことだ。
 織田作之助の「夫婦善哉」にも出てくるが、昔は各家庭で塩昆布を作っていた。大きな昆布をはさみで小さく切り、醤油で何時間もグツグツと煮込むと塩辛い塩昆布ができ上がった。現在、市販されているような佃煮式の塩昆布にして売り出されたのは明治以降のことである。
(写真は おきな昆布の百翁)


 
本福寿司  放送 1月18日(金)
『花の下影』福本鮓 大坂の繁華街で最も代表的な心斎橋筋商店街の大丸百貨店の向かいに「本福寿司」のこじんまりした店がある。この店は文政12年(1829)創業で、当時の屋号は「福本鮓」。「花の下影」にはちょうちん片手に出前に急ぐ者、箱すしを押す職人の姿などが描かれている。江戸時代の随筆家・喜田川守貞が書いた守貞漫稿には「福本鮓のネタの厚さは他の店の3倍以上あり、門前市をなした」と記している。幕末から江戸前のにぎりずしが大坂にも進出してきたが、大阪の味はやはり木型で押す箱ずしと言う人が多い。この店では伝統の箱ずしが手軽な値段で味わえる。
(写真は 『花の下影』福本鮓)

本福壽司の箱壽司 江戸時代、すしの字は江戸では鮨、大坂では鮓だった。ここにも江戸と大坂の違いがある。大坂の箱ずしは安い魚をつかった庶民的なもので、小腹がすいた時に食べる「虫養い」とも言う。箱ずしの箱とは四角いすしの形を言うのではなく、押す工程に使う木型のことをさす。
 大坂の押しずしは近江のフナのなれずしの系統で、一番おいしいのは作ってから数時間たってからである。江戸でも大坂風の押しずしが主流だったが、気の短い江戸っ子は食べごろになるまで待ちきれず、文政年間(1818〜30)ににぎりずしと言う早ずしを考え出した。これが江戸っ子の口に合ってたちまち押しずしに取って代わった。それが大坂にも伝わり文政年間末にはにぎりずしを売り出す店もできたが、大正末期まではまだまだ押しずしが主流だった。
(写真は 本福壽司の箱壽司)


◇あ    し◇
阿み彦京阪電鉄、地下鉄堺筋線 北浜駅下車。 
二ツ井戸 津の清近鉄難波線、地下鉄堺筋線、千日前線 日本橋駅下車、
地下鉄谷町線、千日前線 谷町九丁目駅下車  徒歩10分。
おきな昆布
本福壽司
地下鉄御堂筋線、長堀鶴見緑地線 心斎橋駅下車。
◇問い合わせ先◇
阿み彦06−6231−0278 
二ツ井戸 津の清06−6211−1151 
おきな昆布06−6251−2258 
本福壽司06−6271−3344  

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