月〜金曜日 21時54分〜22時00分


伊丹

 伊丹は猪名川と武庫川の間に開けた平野にあり、数多い縄文、弥生時代の遺跡が示すように、古代から開けた土地。古代から中世にかけては猪名寺、伊丹寺、昆陽寺などの寺院の大伽藍が建立され、仏教文化のひとつの中心地となった。伊丹の中心地を西国街道が通り、昆陽宿の宿場町としても栄え、また、酒造りの町としても知られている。近代に入りベッドタウン、工業地域として発展したが、あちこちに歴史の香りが残っているのが今の伊丹市。


 
旧西国街道 放送 1月17日(月)
山崎通り分間延絵図 伊丹市を東西に走っているのが旧西国街道。京都・東寺を起点に京の都と中国、九州地方を結ぶ幹線道路だった。江戸時代に五街道からはずされたが、京と西国を結ぶ大動脈としての働きには変わりはなかった。
 東海道・伏見宿から分かれ、山崎(大山崎町)、芥川(高槻市)、郡山(茨木市)、瀬川(箕面市)、昆陽(伊丹市)、西宮(西宮市)の六宿場までの西国街道を山崎通りと呼んでいた。江戸時代の文化3年(1806)に作成された「山崎通分間延絵図(やまざきどおりぶんけんのべえず)」には、距離、宿場、橋など西国街道筋の様子が詳しく記されている。
(写真は 山崎通り分間延絵図)

辻の碑 猪名川を渡ると西国街道は伊丹の中心に入る。多田街道と交差する所に「辻の碑(いしぶみ)」がある。高さ92cmの自然石には、多くの文字が刻まれていたが、長年、風雨にさらされて摩滅し、今は上部の「東寺より十里」と刻まれた文字だけが読み取れる。
 ここから伊丹坂を越えると有馬街道と交わる大鹿。ここに残る道標には「すぐ京」「すぐ大坂」などと刻まれている。この「すぐ」は「真すぐ行くと」との意味。伊丹市内の西国街道筋には、このような石の道標が数多く残っており、昔をしのばせる。さらに西に進むと古い民家が残り、昔の街道筋の面影がわずかに感じ取れる千僧(せんぞ)天神社あたりへと西国街道は延びている。
(写真は 辻の碑)


 
有岡城跡 放送 1月18日(火)
女郎塚(墨染寺内) JR宝塚線伊丹駅前に史跡公園として整備されているのが有岡城跡。鎌倉時代に台頭し、摂津国守護をつとめた伊丹氏の居城だったが、天正2年(1574)、戦国時代の武将・荒木村重に滅ぼされた。村重が入城して有岡城と改めた。
 村重は平城だった城郭に手を加えて強固なものにした。人工の堀を建設したり、土塁をめぐらせた惣構(そうがまえ)の城にした。猪名野神社には北の守りの「きしの砦(とりで)」の跡、墨染寺(ぼくせんじ)には西の守りの「女郎塚砦」の跡が残り、城郭の規模を示している。
(写真は 女郎塚「墨染寺内」)

有岡城跡の石垣(史跡) 有岡城の本丸があった周辺は、明治37年(1904)に開通した阪鶴鉄道(現在のJR宝塚線の前身)が突っ切り、城郭の中心部が失われた。線路の東側に残っていた城跡部分もいつしか削り取られてしまい、伊丹駅の西側に城郭の跡をわずかに残すだけとなっていた。
 伊丹駅周辺の整備事業を行う前に、昭和50年(1975)から3回にわたる発掘調査が行われた。発掘調査の結果、残った城郭部分の保存と整備を図るため、史跡指定を国に申請し昭和54年(1979)、国の史跡に指定された。史跡指定に伴い史跡公園として整備され、開発の波に押し流され破壊される運命ををまぬがれた。史跡公園の中に復元された石垣や土塁の名残などを見ることができる。
(写真は 有岡城跡の石垣「史跡」)


 
酒造りの街 放送 1月19日(水)
鴻池稲荷碑 日本山海名産図会に「伊丹は日本上酒の始めとも言うべし」とあるように、古くから酒造りが盛んだった。江戸時代元禄期(1688〜1704)には40軒、正徳期(1711〜1716)には72軒の造り酒屋が軒を並べ、この一帯が伊丹郷町と呼ばれていた。
 伊丹の酒を全国にその名を知らしめたのは、これまでの濁酒から澄み切った清酒を造ったことにある。この清酒発祥の地を示す「鴻池稲荷祠碑」が伊丹市鴻池中北の児童公園内に建っている。酒造業・鴻池屋の由来を記したもので、慶長年間(1596〜1615)の鴻池屋初代・幸元の代に清酒醸造法が考え出された。質の良い伊丹の清酒は、江戸へ樽廻船でどんどん出荷され、酒造りは繁栄した。
(写真は 鴻池稲荷碑)

白雪長寿蔵 伊丹郷町の江戸時代の酒蔵は、昭和42年(1967)には10棟ほどあったが、その後、酒造りの近代化や廃業によって少なくなった。今も市内のあちこちに残っている白壁の酒蔵が、江戸時代の繁栄をしのばせる。
 江戸時代初期の延宝2年(1674)に建てられた旧岡田家住宅は、伊丹市に残っている町家では最も古く、同家の酒蔵は昭和59年(1984)まで、大手柄酒造の酒蔵として使われていた。酒造会社・小西酒造の長寿蔵は、内部を博物館に改装して酒造用具などを展示、併設のレストランも伊丹の古い町並みを訪ね歩く人たちの人気を集めている。
(写真は 白雪長寿蔵)


 
旧家の景観 放送 1月20日(木)
坂上邸 伊丹市内には旧西国街道沿いなどを中心に、古い農家や町家の町並みが残っている。伊丹市はこれらの古い町並みの良さを受け継ぎ、後世に伝え、魅力ある都市景観を形成する事業に力を入れている。
 5年前の阪神・淡路大震災前までは、26件の農家、町家が伊丹市の都市景観形成建築物に指定されていたが、大震災で14件が倒壊などの大被害を受け、指定が解除され新しい建物に立て替えられた。残った12件の指定建物もかなりの被害を受けたが、所有者が何とか後世に伝えようと、多額復旧費をかけて修復した。現在、新たに指定された3件を含め15件が都市景観形成建築物に指定されている。
(写真は 坂上邸)

谷垣邸 多田街道に面した伝統的な農家の構えを見せる坂上邸は、江戸時代中期の享保期に建てられた古い建物。また、外壁に船板を張った特徴的な蔵がある谷垣邸など、それぞれの建物が特徴を持っており、大阪空港を飛び立つジェット旅客機の下で、昔ながらのたたずまいを見せている。
 これらの古い建物は、現在も住宅として使われている。伊丹市はこれらの指定建物を保存、維持していくために助成金を出しているが、何よりも所有者の深い理解と協力が景観保存の大きな原動力になっている。
(写真は 谷垣邸)


 
昆陽寺(こやでら)・昆陽池(こやいけ) 放送 1月21日(金)
昆陽寺山門(県文化財) 大仏造営に協力した奈良時代の名僧・行基が建立したのが昆陽寺。今も伊丹市内の町名に行基の名が残るほど、伊丹には深い関係と大きな足跡を残した僧と言える。
 昆陽寺は天平3年(731)、行基63歳の時に創建された。行基が畿内に創建した49院のひとつで、当初は貧しい人たちを救う昆陽施院として建てられた。行基が大僧正になるとともに寺院の形態を整え、寺運も隆盛になった。天正7年(1579)の荒木村重の乱の時、織田信長の兵火ですべての堂塔が焼失した。兵庫県の文化財に指定されている、現在の観音堂や山門は江戸時代中期に建てられた。朱塗りの山門は、細部に施された絵様繰形(えようくりがた)の形式は、江戸時代の手法をよく伝えている。
(写真は 昆陽寺山門「県文化財」)

昆陽池 行基はかんがい用の池を掘ったり、橋を架けるなどの社会事業にも力を尽くした。昆陽池は猪名野一帯を開墾した田畑のかんがい用の池。行基は伊丹に昆陽上池、昆陽下池、院前池など5つの池を掘った。そのうちの昆陽上池が現在の昆陽池と見られ、昔から歌や俳句にも詠まれた有名な池。
 昭和36年(1961)に池の東北部分が埋め立てられ、3分の2ほどの大きさになってしまった。昭和47年(1972)から池全体が野鳥公園として整備された。
今は渡り鳥の白鳥やカモのオアシスとなり、阪神間最大の野鳥の楽園として、優雅に泳ぐ白鳥の姿が市民らに親しまれ、憩いの場になっている。
(写真は 昆陽池)


◇あ   し◇
西国街道 JR宝塚線伊丹駅、阪急伊丹線伊丹駅。
有岡城跡 JR宝塚線伊丹駅。
小西酒造長寿蔵  JR宝塚線伊丹駅、阪急伊丹線伊丹駅。
昆陽寺・昆陽池 阪急伊丹線伊丹駅からバス
                       寺本公団前下車。
◇問い合わせ先◇
伊丹市商工観光課 0727−84−8047
伊丹市都市住宅部指導室
       都市景観担当
0727−84−8125
伊丹市観光物産協会  0727−70−7060
伊丹市文化財保存協会 0727−84−8090
猪名野神社(きしの砦)  0727−82−2704
墨染寺(女郎塚) 0727−72−2764
小西酒造長寿蔵  0727−75−1524
昆陽寺   0727−81−6015
昆陽池公園(伊丹昆虫館) 0727−85−3582

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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