月〜金曜日 20時54分〜21時00分


相生市 

 兵庫県の西南部に位置する相生市は、深く入り込んだ相生湾が天然の良港として繁栄、昔から回船や商船の出入りが多かった。明治時代末に相生湾岸に造船所が創設され、次第に工業の町、造船の町として発展、第二次世界大戦中や戦後のタンカーブームの時代は活況を呈した。市北部には7世紀ごろの古墳や渡来人が居住した遺跡などの文化財があり、海辺には万葉歌人が歌に詠んだ瀬戸の景観が広がる。5月の相生ペーロン祭はよく知られている。


 
感状山城跡  放送 1月21日(月)
感状山城跡 南曲輪石垣 瀬戸内海から山間部まで南北に長い相生市の北部、標高301mの感状山の山頂付近に石垣で固められた典型的な中世の山城・感状山城跡が残っている。
 建武3年(1336)建武の新政に反旗をひるがえした足利尊氏が、都での戦に敗れ九州に逃れた。それを追う新田義貞軍を赤松円心が本拠地の上郡町の白旗山城で迎え撃ち、円心の三男・則祐がこの感状山城にこもって阻止した。その間に九州で勢力を回復した尊氏が再び京にのぼり、最終的には幕府を開く結果に至った。軍勢の建て直しをする時間を稼いでくれた赤松氏に、尊氏が感状を与えたことからこの城は感状山城と呼ばれるようになった。円心は室町幕府成立後、初代播磨国守護に任じられ、赤松氏の守護大名としての基礎を築いた。
(写真は 感状山城跡 南曲輪石垣)

感状山城跡 出土品(相生市立歴史民俗資料館) 感状山城跡は発掘調査された結果、極めてよく整備された山城であることがわかった。
石垣や建物の礎石、井戸などの遺構が比較的よく残っており、西播磨地方の代表的な中世の山城として平成8年(1996)国の史跡に指定されている。
 相生市最北の市境にある三濃山へのハイキングコースの途中から、整備された山道を登ると城跡に達する。近くには瓜生羅漢石仏群などもある。この城は鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築いたのが始まりで、その後赤松則祐が本格的な山城として整備し、白旗山城の有力な支城となった。
(写真は 感状山城跡 出土品(相生市立歴史民俗資料館))


 
万葉の岬  放送 1月22日(火)
縄の浦 山部赤人万葉歌碑 相生湾を抱え込むように伸びる金ケ崎と釜崎のふたつの岬。東側の岬、金ケ崎は万葉の岬と呼ばれ、瀬戸内海へ向かって180度の視界が開け、沖合いにかすむ淡路島、家島群島、本土側は明石海峡から岡山県の牛窓までを望むことができる。岬の眼前には辛荷の島、室の浦など1200年前の昔、山部赤人が船旅の途次に眺め、歌に詠んだ景観を目の当たりにすることができる。
 その山部赤人が詠んだ歌「縄の浦ゆ 背向(そがひ)に見ゆる奥(おき)つ島 漕ぎ廻(み)る舟は 釣しすらしも」(万葉集巻3)が歌碑に刻まれており、縄の浦とは相生湾、奥つ島は沖つ島で鬘(かずら)島のことである。
(写真は 縄の浦 山部赤人万葉歌碑)

君島 近くには鳴島万葉歌碑があり「室の浦の 湍戸(せと)の崎なる 鳴島の 磯越す浪に 濡れにけるかも」(万葉集巻12)と作者不明の歌が刻まれている。鳴島は金ケ崎眼下の君島。金ケ崎と鳴島の間が湍戸で磯波のしぶきに濡れる舟行旅愁の歌である。
 造船所から相次いで新船が進水した相生湾の入り口付近では今、カキ養殖が盛んで「相生カキ」として味の良さを誇っている。金ケ崎には相生市営の国民宿舎「あいおい荘」があり、岬を訪れる観光客もこの岬の眺望を満喫している。また、岬の東側には御津町の梅林があり、2月頃が見ごろになる。
(写真は 君島)


 
文学碑の森  放送 1月23日(水)
佐多稲子 文学碑 相生市内には金ケ崎の万葉歌人の歌碑から現代作家に至るまで、19もの文学碑が建てられている。いずれも相生市出身か同市に関係のあった人々である。相生市街地の海に近い中央公園は「相生文学の森」と呼ばれ、6つもの碑が集まっており「佐多稲子文学碑」「野口雨情詩碑」などがある。
(写真は 佐多稲子 文学碑)

野口雨情 詩碑 「佐田稲子文学碑」は中央にみずみずしい少女の姿が浮き彫りにされた青銅板が埋め込まれている。。佐多稲子は大正7年(1918)から3年間、14歳から16歳までの多感な少女の時期を相生で過ごしている。そしてこの第一次世界大戦のころの相生を舞台にした小説「素足の娘」を書いた。また、野口雨情詩碑は「播磨港ぶし」の一節が刻まれている。
(写真は 野口雨情 詩碑)


 
大ムクの木と磐座神社  放送 1月24日(木)
磐座神社 相生市矢野地区の山間部は、中国山地につながる自然豊かな地域で、草木や野鳥などいろいろな自然の珍しい姿に接することができる。その代表的なものが幹周り5.2m、樹高16m、樹齢600年以上と言われている大ムクの木。昔、この地にあった神社の御神木として大切にされていたので今日まで残り、今なお樹勢は旺盛とのこと。
(写真は 磐座神社)

矢部神山 万葉歌碑 大ムクの木の近くにある磐座(いわくら)神社は、万葉歌人だった柿本人麻呂が大和と石見を行き来する途次、この境内の紅葉を見て「妻籠もる 矢野の神山露霜に 匂ひそめたり 散らまく惜しも」(万葉集巻10)と詠んだ所である。境内に矢野神山万葉歌碑が建っている。
 また境内のコヤスの木の林は兵庫県の天然記念物に指定されている。コヤスの木は西播磨地方南部と岡山県東部にしか成育しないと言われる珍しい植物である。
(写真は 矢部神山 万葉歌碑)


 
羅漢の里  放送 1月25日(金)
瓜生羅漢石仏 城跡がある感状山の麓、矢野川沿いの渓谷を源流に向かってさかのぼって行き、羅漢の里公園を過ぎたところに「瓜生の羅漢さん」として名高い石仏群に出会う。幅9mもある巨大な一枚岩の下の岩窟に、釈迦如来像を中心に脇侍の文殊、普賢の両菩薩像、そして16体の羅漢像が左右に居並んでいる。16体の羅漢像は瞑想している者、巻き物を詠んでいる者などさまざまな形態で、それぞれ素朴でユーモラスな表情の羅漢たちである。
(写真は 瓜生羅漢石仏)

らかん安産杉 この石仏群は欽明天皇の時代(6世紀)に高句麗から渡来した僧が物部氏に追われ、この地に庵を建てて隠棲し、衆生結縁の願をたてて刻んだものと伝えられている。
 この地方には聖徳太子の時代に朝廷に仕えていた秦河勝の伝説が残っている。渡来人・秦一族がこの地を切り開き、この流れをくむ豪族がこの地方を支配していた渡来人の里であったと見られている。ちなみに磐座(いわくら)神社にあるコヤスの木は中国からの帰化植物である。
(写真は らかん安産杉)


◇あ    し◇
感状山城跡JR新幹線、山陽線相生駅からバス瓜生下車 徒歩40分。 
万葉の岬・金ケ崎JR新幹線、山陽線相生駅からバスあいおい荘下車。 
文学碑の森・中央公園JR新幹線、山陽線相生駅から
 バス松ノ浦又は市役所前下車 徒歩5分。
JR新幹線、山陽線相生駅下車 徒歩20分。
大ムクの木と磐座神社JR新幹線、山陽線相生駅からバス森下車 徒歩10分。 
羅漢の里・羅漢石仏群JR新幹線、山陽線相生駅からバス瓜生下車 徒歩15分。 
◇問い合わせ先◇
相生市地域振興課0791−23−7130 
相生市観光協会0791−22−7177 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
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