月〜金曜日 21時54分〜22時00分


竹内街道

 日本書紀に記された日本最古の官道と言われたのが竹内街道。飛鳥時代、飛鳥京と難波を結び、仏教などの外国文化や外国からの使節がこの街道を通って都へ入った。奈良県當麻町、大阪府太子町の旧街道筋には、今も昔の面影をしのばせる建物や旧跡が残っている。その一部を訪ね当時の街道のにぎわいに思いをめぐらせてみた。


 
最古の官道 放送 1月24日(月)
竹之内街道大和棟の民家 飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道は、推古天皇21年(613)に設けられたと日本書紀にある。「難波より京(みやこ)に至る大道を置く」とあり、二上山の南麓を通り、竹内峠を越えて難波に通じたわが国初の“国道”とも言える。このルートが後に堺と奈良・当麻町を結ぶ竹内街道となった。
 飛鳥時代、このルートを通って仏教が伝来し、中国、朝鮮半島からの大陸文化が入り、飛鳥文化が花開いた。また、大陸からの使者、わが国から大陸への遣隋使、遣唐使もこの道を往来した。奈良に都が遷るまでこの街道は、飛鳥・藤原京時代のシルクロードの終着点としてのにぎわいを見せた。
 (写真は 竹内街道大和棟の民家)

太子町立竹之内街道歴史資料館の銅鐸 大阪・太子町、奈良・当麻町の竹内街道沿いには、古代からの歴史を刻んだ遺跡、寺院、旅籠(はたご)、民家など文化的遺産が数多く残り、人の往来が絶えなかった華やかな時代をしのばせてくれる。
 太子町の竹内街道周辺には聖徳太子墓のほか推古、敏達、用明、孝徳天皇陵などの古墳30基があり、別名“王家の谷”とも言われている。また、太子、当麻両町の街道筋には、大和棟と呼ばれる建築様式の古い民家が残り、松尾芭蕉らが行き来した時代の匂いを感じさせる。
 街道沿いの「太子町立竹内街道歴史資料館」には、時代とともに変わっていった街道の歴史を資料の展示や映像でわかりやすく紹介しており、街道の歴史が学べる。
 (写真は 太子町立竹内街道歴史資料館の銅鐸)


 
太子信仰の道 放送 1月25日(火)
叡福寺境内の聖徳太子廟 飛鳥時代、竹内街道は中国、朝鮮半島からの使節、渡来人らが往来し、わが国から中国へ派遣された遣隋使、遣唐使らの外交団は、この街道を通り中国へ渡った。こうした外交の道、大陸からの文化伝来の道としてにぎわった竹内街道も都が奈良・平城京へ遷ってからはその使命を終え、主役の座から降りた。
 飛鳥時代、特に推古天皇の時代に活躍した聖徳太子は、生前、太子町の叡福寺境内に当たるところに母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の墓所を造営した。太子と妃の膳部大郎女(かしわでのおおいらつめ)の死後二人が合葬され、3人が眠る「三骨一廟」の墓となった。聖徳太子磯長墓と呼ばれる。叡福寺は推古天皇が太子追福のため創建したのが起こり。その後、724年に聖武天皇の勅願で東西の伽藍が建立され、東が東福院、西が叡福寺となった。
 (写真は 叡福寺境内の聖徳太子廟)

聖徳太子像 聖徳太子信仰が盛んになるにつれ、聖徳太子廟や太子の霊をまつる叡福寺が霊場となり、竹内街道は太子廟へ参詣する太子信仰の人たちの道筋となった。叡福寺には太子にまつわる遺品などがあり、今も太子信仰の中心となっている。
 また叡福寺周辺は“王家の谷”と言われ、推古、敏達、用明、孝徳天皇陵などがある。地元の人たちから「いもこいさん」と呼ばれ親しまれている小野妹子の墓と伝えられている直径15m、高さ3mの小さな塚がある。小野妹子は聖徳太子が派遣した遣隋使として有名だが、小野妹子の墓と裏付ける定かな史料は何もない。また、蘇我馬子の塚と伝えられるものも残っているほか、多くの古墳や源氏三代の墓などもあり、竹内街道は古代から“葬送の道”でもあった。
 (写真は 聖徳太子像)


 
国技の源郷 放送 1月26日(水)
ケハヤ塚 近鉄当麻駅から当麻寺へ向かう途中に大きな五輪塔がある。日本で始めて天覧相撲をとった当麻蹶速(たいまのけはや)の墓と伝えられている。そばには蹶速の顔を彫った記念碑が建っている。
 日本書紀によると垂仁天皇の時代、当麻に屈強な力自慢の当麻蹶速と言う男がいた。天皇は出雲から野見宿禰(のみのすくね)と言う男を呼び寄せ対決させた。蹶速は脇腹を蹴られ骨を折って死亡した。当時の相撲は現代の相撲とは違い、原始的な格闘技で足蹴りなどの荒技があったようだ。宿禰はこの勝負に勝って天皇から蹶速の土地を与えられたと言う。この相撲がわが国の相撲の発祥とされ、2人は相撲の祖とされている。また天皇の前で相撲と取る天覧相撲の始まりとなる。
 蹶速は高慢な人物のように伝えられているが、本当は野性味あふれるで素朴な人物で、彼の死を悼んで五輪塔が建てられたとも言われており、史料的な裏付けより蹶速という人物に相撲の原点を求めたロマンであろう。
 (写真は ケハヤ塚)

当麻町相撲館けはや座 当麻蹶速塚のすぐ横に「当麻町相撲館(けはや座)」がある。相撲の祖と言われる蹶速と言う人物を後世へ語り継ぐと同時に、今も国民の人気を集めている国技の相撲を詳しく紹介しようと、平成2年(1990)にオープンした。相撲だけにスポットを当てた市町村の施設は全国でもあまり例がない。
 館内に入ると目を引くのが1階の中央にある土俵。大相撲の本場所と同じ大きさの土俵で、日本相撲協会の呼び出しらによって作られた。ます席もあり大相撲本場所の臨場感がある。この土俵を使ってちびっ子相撲や相撲教室などが行われている。
 2階の資料展示室には番付、取組表、星取表、錦絵など約1560点や化粧まわし、明け荷、板番付などが展示され、約5000冊の相撲に関する書籍もそろえている。館内の大スクリーンでは「けはや物語」などが上映される。
 (写真は 当麻町相撲館けはや座)


 
石光寺 放送 1月27日(木)
中将姫像 飛鳥時代の天智天皇のころ(668〜670)、当麻の地に光りを放つ場所があり、掘ってみると光り輝く弥勒三尊の石仏が出てきた。天皇の勅願で役小角(えんのおずぬ)が堂宇を建て、石光寺と呼んだのが寺の起こりと言う。弥勒堂には本尊で秘仏の弥勒菩薩像がまつられている。また、堂内には松香石の弥勒石仏が安置してある。弥勒堂の下から発見されたもので、1300年前、この地から掘り出されたと伝えれる光り輝く石の弥勒三尊が連想される。
 寺の創建時期、伽藍(がらん)配置につながる手がかりは少ない。その中で奈良時代の物と見られる南門そばの塔の大心礎、粘土に仏を彫って焼いたせん仏、瓦などの出土物から、すぐ近くの当麻寺と同じ7世紀後半の創建ではないかと見られているが、謎に包まれた部分が多い。
 (写真は 中将姫像)

寒牡丹 奈良時代の伝説上の非運な女性・中将姫ゆかりの寺でもある。中将姫が当麻曼荼羅(たいままんだら)を織る蓮糸を五色に染め上げた井戸が石光寺の「染の井」。ここから石光寺を染寺とも呼ぶ。染めあげた糸を枝にかけたと言われる桜の木が井戸のそばにあった。これを糸掛桜と言い、今は古株だけが残っている。また、この糸掛桜は役小角が、仏教興隆を願い植えた桜との説もある。中将姫にまつわる伝説は、石光寺をあでやかな雰囲気に包み込んでいる。
 石光寺は花の寺としても知られている。四季を通じ境内の庭に何かの花が咲き、寺を訪れる人たちの心を和ませてくれる。この中でもボタンが有名。境内に約500種、4000本が4月下旬から5月上旬にかけて一斉に大輪の花をつけ咲き競う。また、肌を刺すような寒さの中、わら帽子の下でかれんな花をつける寒ボタンは、人の心をとらえる不思議な魅力を持ち、冬の風物詩として当麻の里の名物になっている。
 (写真は 寒牡丹)


 
街道の起点・長尾神社 放送 1月28日(金)
竹内街道 竹内街道は堺市大小路から河内平野を東へ進み二上山南麓の竹内峠を越え、奈良・当麻町竹内を抜け当麻町・長尾神社までの約26km。
 飛鳥時代はシルクロードの延長で大陸からの文化や珍しい品が飛鳥の都へ入り、外国の使節、渡来人、日本からの遣隋使、遣唐使らが行き来した文化、外交のルートだった。都が平城京へ遷ってからは、聖徳太子廟へ詣る太子信仰の人たちが往来し、江戸時代には伊勢参りや当麻寺、長谷寺、壷坂寺などへの参拝者でにぎわう庶民信仰の道となった。
 松尾芭蕉も当麻町竹内在の高弟の案内でこの街道を何度も通っている。当麻町には芭蕉の句碑が建つ綿弓(わたゆみ)塚がある。竹内峠は鴬の関と呼ばれ、明治時代まで茶店や宿屋があった。
 (写真は 竹内街道)

長尾神社の絵馬 竹内街道の奈良側の起点、長尾神社は近鉄磐城駅のすぐそばにある。長尾神社を起点に東へ向かう伊勢・長谷道、南へ向かう吉野・壷坂道、西へ向かう竹内街道がある。長尾神社から竹内までの旧街道は、当時の面影をよく残しており、作家・司馬遼太郎氏は「街道をゆく」で「この道は国宝に指定されるべき道であろう」と言っている。
 竹内地区にも旅籠(はたご)や大和棟の民家が残り、周囲の自然とマッチしてしっとりと落ち着いた雰囲気をかもし出している。道路脇の溝には二上山からわき出るきれいな水が流れ、すがすがしさを感じさせる。のんびりとこの集落を歩くと世事を忘れ、心が洗われる。
 長尾神社の絵馬堂には多くの絵馬が掲げられており、江戸時代中期の安永8年(1779)と記された古い絵馬もある。
 (写真は 長尾神社の絵馬)


◇あ    し◇
竹内街道  太子町側からは近鉄貴志駅からバス六枚橋下車。
当麻町側からは近鉄磐城駅下車。
竹内街道歴史資料館 近鉄貴志駅からバス六枚橋下車。
推古陵古墳 近鉄貴志駅からバス御陵前下車。
用明陵古墳 近鉄貴志駅からバス磯長小学校前下車。
敏達陵古墳  近鉄貴志駅からバス太井川橋下車。
孝徳陵古墳 近鉄貴志駅からバス六枚橋下車。
叡福寺、聖徳太子廟  近鉄貴志駅からバス太子前下車。
小野妹子の墓 近鉄貴志駅からバス御陵前下車。
当麻町相撲館「けはや座」 近鉄当麻寺駅下車徒歩7分
石光寺 近鉄当麻寺駅下車徒歩20分
長尾神社 近鉄磐城駅下車
当麻寺 近鉄当麻寺駅下車徒歩15分
◇問い合わせ先◇
太子町産業課  0721−98−5525
当麻町観光協会 0745−48−2811
竹内街道資料館 0721−98−3266
叡福寺  0721−98−0019
当麻町相撲館「けはや座」 0745−48−4611
石光寺 0745−48−2031
長尾神社 0745−48−3018

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会