月〜金曜日 21時48分〜21時54分


京の匠 

 京都に都が遷されて以来、明治維新まで千余年の間、王朝文化を下支えしたのが 京の匠たちの手仕事による数多くの工芸品だった。職人の手から手へと引き継がれて きた技は、匠たちの限りない英知と情熱によって磨きがかけられ、精緻を極め、雅を 含んだ工芸品へと洗練されて行った。こうした京都の伝統工芸品には独特の風雅さを 醸し出す品々が多い。


 
京都伝統産業ふれあい館  放送 2月5日(月)
京都伝統産業ふれあい館 明治44年(1911)に設立された京都市勧業会館が、平成8年(1996) に新しく生まれ変わった時、館内にオープンしたのが「京都伝統産業ふれあい館」。 館内を「出会いと発見のゾーン」に分け、伝統産業の工芸品66品目などを展示して いる。
 「出会いと発見のゾーン」では、平安遷都以来、今日まで1200年の歴史に育ま れた伝統産業品を展示、映像、情報資料で紹介している。「探求のゾーン」では、伝 統産業に関する幅広い情報を図書、ビデオなどさまざまなメディアで提供している。 また、Tシャツ、ハンカチなどへの友禅染め体験コーナーや京都市内の伝統産業製作現場を訪れ、オリジナルな工芸品を製作する体験ツアーの企画もある。
(写真は 京都伝統産業ふれあい館)

京友禅 66品目の伝統産業工芸品が展示されている常設展示場では、京都の伝統 工芸品を1ヵ所で見学することができる。
 京都を代表する京織物の西陣織、京友禅。京の雅を表す京扇子や京うちわ、京人 形。茶道をリードする京都の存在をアピールする京焼、清水焼。古寺、名刹が多い京 都ならではの京仏壇、京仏具。祇園の舞妓の髪を飾る花かんざし。京の女性の奥ゆか しさを表す薫香。三十三間堂の通し矢が行われるなど、弓道が盛んな京都で作られる 京弓など、京の匠たちが精魂込めて作り上げた作品が並んでおり、ゆっくりと心行く まで見学できる。
(写真は 京友禅)


 
西陣つづれ  放送 2月6日(火)
西陣界隈 室町時代中期・応仁の乱の時、西軍の山名宗全がこの地に陣を置き西陣と呼んでいたのが、そのままこの地域の呼び名になった。平安時代に織物の職人たちがこの周辺に集まり、織物の町を形成したのが西陣織の町の起こりとなり、京の代表産業・西陣織へと発展して行った。
 西陣織は江戸時代が最盛期だった。戦後、急速に洋服が普及し斜陽化したが、今も西陣の町を歩くとあちこちから「ガチャン、ガチャン」と手機(てばた)の音が聞こえてくる。斜陽化に歯止めをかけようと最近の西陣織にはさまざまな工夫やアイデアが取り入れられて、幅広い用途に活路を求め伝統産業を守り続ける努力を重ねている。
 その中のひとつに「西陣つづれ」がある。つづれ織の技法は古く、古代エジプトや中国・漢代、南米インカでつづれ織の源があった。日本へはシルクロードを通じて奈良時代に伝えられ、正倉院御物や法隆寺の遺品の中に残っている。中将姫伝説で有名な奈良・当麻寺の国宝「当麻曼荼羅(たいままんだら)」もつづれ織。
(写真は 西陣界隈)

手織りつづれ(袱紗) つづれ織はさまざまな色の横糸で模様を織り出す技法で「爪織つづれ」「手織つづれ」「機械織つづれ」がある。この中でも最高級品は爪織つづれで、爪をノコギリ状にヤスリで研ぎ横糸をかき寄せる技法で、1日に1cmほどしか織れない。手織つづれは模様に応じた紋紙を使って縦糸を上げ下げし、横糸を手で通して織り上げる。 機械織つづれはすべてを機械で織り上げるので低価格、量産ができる。最近はコンピューターで制御する織機も出てきた。
 つづれ織は帯や袋物、壁掛け、ネクタイなどに使われるが、つづれ織の代表製品のひとつに袱紗(ふくさ)がある。袱紗は婚礼の結納品や贈答品にに掛けたり、包んだりするほか、茶の湯の茶器を清める茶袱紗などがある。袱紗には鶴、松や能の羽衣、高砂などめでたい図柄が使われる。
(写真は 手織りつづれ(袱紗))


 
花かんざし  放送 2月7日(水)
祇園白川巽橋 京都・祇園の通りを歩く舞妓の日本髪には、四季折々の草花を意匠した花かんざしが飾られている。舞妓たちは1月の松竹梅から始まり、2月は梅、3月菜の花、4月桜、5月藤、6月柳、7月祇園祭の祭かんざし、8月ススキ、9月桔梗、10月菊、11月モミジ、12月南座の招き看板と餅花を組んだ飾りの花かんざしを揃えている。ほかに3月の桃、5月のアヤメなどもあり、季節ごとに花かんざしを変え四季の風情を表現している。
 花かんざしは日本髪の髪飾りとして生まれ、江戸時代末に芸者衆の髪飾りとして盛んに作られた。しかし、芸者衆が減り、花かんざしを作るのは、京都・祇園の金竹堂一軒だけになってしまった。
(写真は 祇園白川巽橋)

花かんざし 金竹堂は花かんざしが全盛期の江戸時代末の創業で、その当時は祇園に200人もの舞妓がおり、商売も大繁盛だったようだ。今、伝統の花かんざしを作り続けているのは5代目当主・定永光夫さん。
 花かんざしの花は、色とりどりに染められた羽二重(はぶたえ)を花びらの形に型抜き、1枚1枚ピンセットでのり付けして花の形に仕上げる。小さな花にもふっくらとした膨らみを持たせなければならず、根気のいる作業が続く。できあがった花や葉を髪に挿すかんざしの脚に取り付け、華やかな花かんざしができあがる。
 花かんざしは舞妓が日常的に使うほか、京都に春を呼ぶ4月の都をどりの総踊りの場面で、大振りな花かんざしが挿され、都をどりに豪華な印象を与える。都をどりが始まった明治5年(1872)に、花かんざしを納めたのが金竹堂の初代当主。中学時代から家業を手伝っていた現当主・定永さんは「花の色合いに一番気を使う」と言う。
(写真は 花かんざし)


 
弓  放送 2月8日(木)
弓(柴田勘十郎作) 戦国時代の天正10年(1582)本能寺の変で、攻め入ってきた明智勢に向かって織田信長が引いた弓が「柴田の弓」だったと言い伝えられている。現在の弓師・柴田勘十郎さんは21代目。
 日本の弓は合戦を前提に発達してきたので、弓から放たれた矢がどれだけ遠くへ飛ぶかの機能が追求された。狩猟を主な使用目的にした洋弓とは異なった形、強さを持っている。竹の持つしなやかさとハゼノキの硬さの絶妙な組み合わせによって、強い反発力を持つ弓が誕生する。中心にハゼノキ、両側に竹を張り合わせる三層構造になっており、弓の強弱は竹の厚さで調整し、弓を直角に引いた時に必要な力によって弓の強弱が決められる。
(写真は 弓(柴田勘十郎作))

弓作り 現当主の柴田さんが弓作りに自信を持ったのは「平成5年(1993)の伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮に59張の梓弓を奉納した時だった」と当時を振り返る。
祖父、父とともにそれぞれ2回、3回と納めてきたが「次の遷宮は自分と息子の2人で納めることになるだろう」。さらに柴田さんは「伝統の技術、作法、様式の上に、私なりに何かをプラスしたい。機能美こそが弓の最も優れたデザインでしょう」と言っている。
 合戦用の兵器だった弓は、現代ではスポーツの弓道となり若者たちの間で根強い人気がある。柴田さんが作る京弓の大部分は弓道の競技用に使われており、弟子と2人で製作している。京弓はほかに独立した弟子のひとりが作っているだけで、現在の日本の弓の大部分は宮崎県都城市で作られているものが多い。
(写真は 弓作り)


 
虹染め  放送 2月9日(金)
本郷大田子邸 上賀茂神社の摂社・大田神社の鳥居近くにある上賀茂神社の社家だった古い家を、住宅と工房にしているのが虹染めの染色作家・本郷大田子(たいでんし)さん。虹染めを考案した初代・大田子さんの次男で2代目を継いだ。大田子の雅号は氏子だった大田神社からいただいたと言う。
 虹染めとは染料を白い生地にたらしてにじまぜ、さらに違う色を何色も何色もにじませていくと、色と色が重なりあい色がぼけあって玉虫色と言われる虹効果が生まれる。これが虹染めで「にじむ」ことと「虹色」になることから虹染めと命名された。
(写真は 本郷大田子邸)

虹染め 虹染めは単なる染色の技法でなく、作家の個性や感性、表現技術の表れと言える。刷毛を使って染料をにじませる作業は機械的なものではなく、作家の芸術的感性がそのにじませ具合を左右する。白い生地のキャンバスに色をにじませながら重ねていく過程で、色が生き物のように変化していく。従って同じデザインの作品でも同一の色合いをした作品はないと言える。
 日本の着物の染色技術は、基本的には紋様をどう表現するかが追求され、世界的に高く評価される美しい布を作り上げてきた。だが、虹染めはこれらの染色とはおのずから原理が違い「染めを染色作家の感性で芸術にまで高めたのが虹染めです」と本郷さんは言っている。
(写真は 虹染め)


◇あ    し◇
京都伝統産業ふれあい館地下鉄東西線東山駅下車。 
京都市バス東山二条下車又は京都会館・美術館前下車。
西陣つづれ・野崎京都市バス乾隆校下車。 
花かんざし・金竹堂阪急京都線河原町駅駅、京阪四条駅下車徒歩10分。 
京都市バス祇園前下車。
弓師・柴田勘三郎京阪五条駅下車徒歩5分。 
虹染め・本郷大田子京都市バス、京都バス上賀茂神社前下車5分。 
◇問い合わせ先◇
京都伝統産業ふれあい館075−762−2670 
西陣つづれ・野崎075−451−0293 
花かんざし・金竹堂075−561−7868 
弓師・柴田勘十郎075−351−1491 
虹染め・本郷大田子075−781−2583 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会