月〜金曜日 20時54分〜21時00分


三重・JR名松線 

 松阪市から美杉村までの山間地をぬうようにして走る名松(めいしょう)線は、沿線住民が「乗って残そう名松線」を合い言葉にした存続運動が実り、赤字ローカル線廃止線からはずされ存続してきた。今回はこの沿線の文化財や遺跡、名勝を訪ねてみた。


 
名松線・松阪からどこまで?  放送 2月11日(月)
JR東海の名松線は松阪駅から西へ43.5km、伊勢奥津(おきつ)駅まで延びているローカル線である。その名称にある「松」は松阪からとられているが、では「名」はどこなのか?。終着の伊勢奥津駅までの14駅に名の字のつくところはない。名松線は松阪市と名張市を結ぶ鉄道として計画されもので、名張の「名」を取って名松線と名づけられた。
 昭和2年(1927)松阪市側からに着工し、昭和10年(1935)ようやく美杉村の伊勢奥津駅まで開通した。この後、世界恐慌、第二次世界大戦の影響のほかに、参宮急行電鉄(現近鉄大阪線)が松阪から名張まで、青山トンネルを貫通して直線で結ぶ鉄道を完成させたため、伊勢奥津駅までで建設中止になってしまった歴史がある。

名松線

(写真は 名松線)

開通当時の名松線(美杉ふるさと資料館蔵)

 山間地を走る赤字路線で一時はバスへの転換が検討されたが、道路が狭く大型バスのすれ違いが困難なことと、沿線住民の根強い存続運動が実り現在に至っている。1両でワンマン化のディゼルカー、駅の無人化など徹底した合理化で何とか維持している。
 名松線は過疎地を結ぶ鉄道と見られてきたが、最近は過疎地の自然を逆手に取り、宿泊施設や林間学校、キャンプ場、東海自然歩道を歩くハイキングコース設定などが沿線で積極的に進められ、豊かな自然を求めて都会からハイカーや行楽客が訪れるようになった。
また、沿線の史跡、文化財をテーマにした文化講演会などを開いて、都会では求められない特徴を出し、その存在感をアピールしている。

(写真は 開通当時の名松線(美杉ふるさと資料館蔵))


 
家城駅から(白山町)  放送 2月12日(火)
 松阪駅の次の上ノ庄駅から終着の伊勢奥津(おきつ)駅まで無人駅ばかりの名松線の中で、唯一の例外が家城(いえき)駅。単線の名松線で上り下りの列車が、行き違いできる設備があるのがこの家城駅で、この駅にはちゃんと駅員さんがいる。
 松阪駅を発った下り列車は伊勢奥津駅へ向かって、伊勢奥津駅を発った上り列車は松阪駅へ向かって駅員に見送られ出発して行く。どこの駅でも見られる風景だが、名松線では家城駅でしか見られない風景になってしまい、ここでも名松線の苦悩を見せられた。

家城神社

(写真は 家城神社)

こぶ湯(家城神社)

 家城駅の北側に家城神社がある。この神社は明治42年(1909)諏訪神社があった現在地に、周辺の村の神社やその境内にあった小さな神社など、16社を集めて祭り家城神社と改めた。諏訪神社の名はなくなったが、土地の人たちは今も家城神社のことを「諏訪さん」と親しみを込めて呼んでいる。
 この神社の裏手の竹薮を抜けたところに「こぶ湯」と呼ばれる温泉が岩の間から湧き出ており、かすかに硫黄の匂いがする。日本書紀にも登場する古い温泉で、この温泉を湯の花と一緒に汲み取り、家城神社に祈願してこぶのあるところに塗るとこぶが取れると言われ、「こぶ湯」の名がついた。またこぶとは「子部」のことも意味し、出産育児、産後の乳不足に霊験があるとも言われており、こぶ取りや安産、子育てなどへの霊験を求めて今もこの温泉を汲み取りに来る人が多い。

(写真は こぶ湯(家城神社))


 
伊勢八知へ(美杉村)  放送 2月13日(水)
 家城(いえき)駅の次の伊勢竹原駅から終着の伊勢奥津(おきつ)駅まで名松線の五つの駅が美杉村内にある。その二つ目、伊勢鎌倉駅を過ぎると列車は急カーブが連続する山肌をぬって走る。そして到着するのが美杉村の玄関口の伊勢八知駅。
 駅舎は美杉産のスギ、ヒノキなどをふんだんに使った純日本建築。美杉村が平成元年(1989)に林業振興と地場産業のPRを目的に林業関係者の活動拠点にしようと建築したグリーンハウス美杉と呼ばれる美杉村林業研修集会施設に駅舎を併設した。駅前は村役場や学校、農協、観光ホテルなどがある村の中心地である。

伊勢八知駅

(写真は 伊勢八知駅)

長楽寺(大御堂)

 伊勢八知駅の南西の高台にある長楽寺は、壬申の乱の時、地元民に助けられた大海人皇子のちの天武天皇がその恩に報いて白鳳10年(681)に建立した寺。
 兄の天智天皇の皇子の弘文天皇と争った大海人皇子は、朝廷軍に追われ近江からこの付近まで逃れてきた。その時、きこりが丸木で作っていた水槽にかくまわれて助けられたので、お礼にこの地に薬師寺を建てようと約束した。また空腹と疲れで倒れA農夫に助けらた時には七堂伽藍(がらん)を建てようと約束した。壬申の乱に勝利し、天武天皇として即位した後、約束通り薬師瑠璃光如来座像を安置した長楽寺を建立したとの伝えがある。

(写真は 長楽寺(大御堂))


 
比津・北畠氏の里(美杉村)  放送 2月14日(木)
 伊勢八知駅から雲出(くもず)川に沿って走り比津(ひつ)駅へ。比津駅の周辺はわずか30戸余りの集落だが、北畠氏の居城だった多気の里への入り口となっている。
 南北朝時代、北畠親房(ちかふさ)は後醍醐天皇の絶大な信任を得て南朝の中核として活躍した。親房の三男、顕能(あきよし)が初代伊勢国司となり、天然の要害の地と言える多気の里に興国3年(1342)霧山城を築いて本拠地とした。その城下町は「小京都」とも言われ、伊勢の山間地に文化の華を咲かせた。各地の国司が戦国大名に滅ぼされる中で、伊勢の北畠氏は、天然の要害の地の利に守られ、約240年間にわたって伊勢国司として君臨した。

北畠神社

(写真は 北畠神社)

北畠氏館跡庭園

 北畠氏の館跡に建てられた北畠神社は北畠親房、長男・顕家(あきいえ)、三男・顕能を祭っており、その境内の北畠氏館跡庭園は、野性的で豪壮な石組みが特徴となっている。
大庭園の多くは寺院の境内に多いが、神社の境内に付属しているものは少ない。北畠氏館跡庭園は武家の庭園らしく質素、豪放で、山側に林泉庭園、谷側に石組みの枯山水を配している。作庭者は7代伊勢国司北畠晴具(はるとも)の義父で後に室町幕府の管領となった細川高国と言われている。近くの村立美杉ふるさと資料館では、北畠氏ゆかりの資料や民具などを展示している。

(写真は 北畠氏館跡庭園)


 
終着・伊勢奥津(美杉村)  放送 2月15日(金)
 名松線が山を抜け、あたりが開けてくるともう終着の伊勢奥津(おきつ)駅。無人駅だが構内に今も残っている給水塔が、昭和49年(1974)まで走っていたSL時代をしのばせている。
 駅前を伊勢本街道が通っている。伊勢本街道は大和国と伊勢神宮を結ぶ街道で、別名参宮本街道、伊勢中街道とも呼ばれ、飛鳥、藤原京時代は大和の朝廷と伊勢神宮を結ぶ重要な街道だった。街道筋の造り酒屋の白壁の酒蔵や旧旅籠(はたご)などが宿場町の面影を残している。道ばたには江戸時代後期の年号が刻まれている常夜灯や自然石の道標が今も残っており、道標には「すぐいせ道」「すぐはせ道」と刻まれており、この「すぐ」は直行を意味している。

伊勢奥津駅給水塔

(写真は 伊勢奥津駅給水塔)

川上山若宮八幡神社

 伊勢奥津駅からさらに雲出(くもず)川の源流に近い、深い谷あいに分け入って行くと仁徳天皇とその皇后・磐之姫(いわのひめ)の遺徳をしのんで、1500年余り昔の履中天皇の時代に創建された川上山若宮八幡神社が建っている。室町時代には北畠氏、江戸時代には津藩主・藤堂氏の崇敬が篤かった。一方、今も昔も庶民の神として信仰を集め「川上山」「若宮さん」「川上八幡さん」「若美や八幡さん」などと親しみを込めて呼ばれている。
この神社では英文のおみくじも準備し、外国人や学生さんたちに関心を持ってもらい信仰を呼びかけている。
 川上山若宮八幡神社がある辺りの雲出川の渓谷を「一志峡」と呼び、春から初夏にかけての新緑、秋の紅葉などが楽しめる行楽地として人気を集めている。

(写真は 川上山若宮八幡神社)


◇あ    し◇
家城神社JR名松線家城駅下車。 
美杉村林業研修集会施設(グリーンハウス美杉)JR名松線伊勢八知駅下車。 
長楽寺JR名松線伊勢八知駅下車徒歩5分。 
北畠神社・北畠氏館跡庭園、美杉ふるさと資料館JR名松線伊勢竹原駅から村営バス北畠神社前下車。JR名松線比津駅又は伊勢奥津駅下車徒歩約1時間。
川上山若宮八幡神社JR名松線伊勢奥津駅から村営バス川上下車徒歩約40分。 
◇問い合わせ先◇
JR東海広報部052−564−2330 
家城神社05926−2−4012 
白山町教育委員会05926−2−7022 
美杉村役場地域振興課05927−2−8085 
美杉村教育委員会05927−2−8090 
三杉ふるさと資料館05927−5−0240 
美杉村林業研修集会施設(グリーンハウス美杉)05927−2−0137 
長楽寺05927−2−0150 
北畠神社05927−5−0615 
川上山若宮八幡神社05927−4−0157 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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