月〜金曜日 20時54分〜21時00分


西国三十三カ所巡り

今回は大津市の西国三十三カ所札所の寺を探訪し、さらに天智天皇の近江大津宮にかかわる神社や琵琶湖の味覚などを紹介する。


 
第十二番札所・岩間寺(大津市) 放送 2月25日(月)
 京都府との境にある岩間山の南にある正法寺は、一般に岩間寺と呼び親しまれている。女帝の元正天皇の病を祈祷で治した泰澄(たいちょう)大師が、天皇の勅願によって養老6年(722)にこの寺を創建した。本尊は元正天皇の念持仏だった金銅製の千手観世音菩薩像で秘仏となっている。この千手観音像は、衆生の苦を救うため毎夜地獄を駆けめぐり、夜明けに汗びっしょりになって帰ってくることから通称「汗かき観音」とも呼ばれている。
 泰澄大師が岩間山に来た時、桂の木の大樹から千手観音を現れ啓示を受けたと言われており、その霊木と言われる桂の木が境内にある。

泰澄大師

(写真は 泰澄大師)

御前立ち千手観音菩薩

 岩間寺は平安時代には熊野権現、吉野・金峰山と共に日本三霊場と言われていたが衰退、これを憂いた正親町天皇が天正5年(1577)修理をして再興した。
 本堂と不動堂の間には松尾芭蕉が詠んだ「古池や 蛙飛び込む 水の音」の句にちなむ池がある。岩間寺近くの石山の幻住庵に住んでいた芭蕉が、岩間寺にこもった時にこの句を詠んだと言われている。当時、岩間寺には俳聖・芭蕉の心をとらえる静寂な空間があったのだろう。
 岩間寺からの琵琶湖の眺めは素晴らしい。海抜441mの岩間山の山頂に登れば奈良や大阪の夜景も眺められ、岩間寺で夜景を楽しむのも夏の観光スポットかも知れない。
 御詠歌「みなかみは いずくなるらん いわまでら きしうつなみは まつかぜのおと」。

(写真は 御前立ち千手観音菩薩)


 
第十三番札所・石山寺(大津市)  放送 2月26日(火)
 石山寺は東大寺の建立にあたっていた良弁(ろうべん)僧正が、琵琶湖周辺の山々から切り出された東大寺建立用材の集積地として石山院と言う役所を設けたのが始まりと言われている。東大寺完成後の天平宝字5年(761)寺にした。本尊・如意輪観世音菩薩半跏像(国・重文))は、自然の岩盤の上に安置されている秘仏で、33年に1度開帳されろ。
次の開帳は2024年。
 平安遷都後は京に近い観音霊場として歴代天皇や藤原氏をはじめとして貴族の参詣、参篭が多くなり、物見遊山を兼ねた「石山詣」が盛んだった。

御前立ち如意輪観世音菩薩

(写真は 御前立ち如意輪観世音菩薩)

源氏の間

 石山寺境内には国の天然記念物に指定されている硅灰石(けいかいせき)の岩塊があり、石山寺の寺名もこの硅灰石に由来していると言われている。
 石山寺は平安文学の舞台となったところで「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「枕草子」「更級日記」などに取りあげられている。紫式部が瀬田川の対岸の山から昇る名月を眺めながら、源氏物語の須磨の巻から書きはじめたとの伝承があり、境内の諸堂のたたずまいや周辺の景観には源氏物語を生んだ風情が感じられる。本堂(国宝)の右に紫式部が参篭した「源氏の間」が残されており、紫式部の人形が置かれている。
 石山寺付近から眺める月は素晴らしく、近江八景のひとつ「石山の秋月」としても有名で、月見亭からは瀬田川や琵琶湖などの眺望が美しい。
 御詠歌「のちのよを ねがうこころあは かろくとも ほとけのちかい おもきいしやま」。

(写真は 源氏の間)


 
第十四番札所・三井寺(大津市)  放送 2月27日(水)
 三井寺の正式名は長等山園城寺(おんじょうじ)。三井の名は山内に湧く霊泉が天智、天武、持統の三帝の産湯に用いられたので御井(みい)と呼ばれたことに由来している。あるいは三井寺を再興した智証大師・円珍が三部潅頂(かんじょう)の法水にこの水を用いたことから三井と呼ばれことに由来したとも伝えられている。今も閼伽井屋(あかいや)(国・重文)と呼ばれる建物の中には豊かな清水が湧いている。
 本尊の秘仏・如意輪観音像(国・重文)は平安時代に円珍が香木に刻んだものと言われている。西国三十三カ所札所・観音堂は境内北部にあり、静かで厳かな三井寺の中にあって庶民的な温かい雰囲気が漂い、線香の煙が絶えない一角である。この観音堂は元禄2年(1689)に再建されたもので、観音信仰の信者らが石突きを行って再建を手助けした。

御前立ち如意輪観世音菩薩

(写真は 御前立ち如意輪観世音菩薩)

石突の図

 三井寺は壬申の乱の犠牲になった弘文天皇(大友皇子)の皇子・大友与多王が父の菩提を弔うため、自分の領地・田園城邑を献じて寺を創建したことから園城寺の寺名がつけられた。
 三井寺を再興した智証大師・円珍は、中国の唐で密教の奥義を修得して帰国、天台宗第五世座主となり、勅命で三井寺を賜った。やがて天台宗は、三世座主円仁派と五世座主円珍派が対立するようになった。延暦寺を拠点とする山門派と三井寺を拠点とする寺門派の抗争が激しくなり、三井寺は山門派による焼き打ちで何度も焼失した。現在の三井寺の堂塔は鎌倉時代から桃山時代に再建されたもので、寺所蔵の彫刻、絵画、工芸品、古文書など共に多くの建物が国宝、重要文化財に指定されている。
 鐘楼(国・重文)にある鐘は「弁慶の引摺鐘(ひきずりがね)」とも呼ばれる名鐘で、近江八景のひとつ「三井の晩鐘」として知られている。
 御詠歌「いでいるや なみまのつきを みいでらの かねのひびきに あくるみずうみ」。

(写真は 石突の図)


 
湖畔の美味(大津市)  放送 2月28日(木)
 石山寺東大門の南約50mの駐車場の一角に石山貝塚がある。今から約6000年前の縄文時代前期の遺跡で、南北約50m、東西約20mある。瀬田シジミやタニシなど、2mの貝層があり、出土した貝の大部分が瀬田シジミだった。淡水産の貝塚としてはわが国最大級のもので、砲弾型の尖底土器や打製石斧、骨製の針なども出土している。他に京阪電鉄石山寺駅近くに縄文時代の蛍谷貝塚がある。
 縄文時代にはここに瀬田川のシジミをとって暮らす人たちがいたことを物語っている。
シジミは古代から琵琶湖周辺の人々の貴重な蛋白源として、また黄疸(おうだん)に効くなど肝臓の守護神、最高の強肝食品として大量に消費されてきた。

しじみ掻き

(写真は しじみ掻き)

しじみ料理

 瀬田シジミは琵琶湖特有の貝で、昭和30年(1955)ごろまでの最盛期には年間6000トンも捕れていた。長い竹竿の先に貝掻(か)き網を付けたタマと呼ぶ道具で、湖底から掻き上げるシジミ掻き言う漁は、瀬田川独特の人力だけに頼る漁法。
 近年、瀬田シジミは激減した。昭和59年(1984)に大津市で開かれた世界湖沼環境会議で、瀬田シジミを増殖させると琵琶湖の環境保全につながると研究者が提案。瀬田シジミの激減に危機感を持っていた地元の人たちが、瀬田シジミの増殖に取り組み始めた。
4月23日を「シジミの日」とし、昭和61年(1986)4月23日に第1回セタシジミ祭が開かれて以来、毎年この日に開催してシジミの増産と消費拡大に取り組んでいる。
 シジミの増殖と消費拡大に理解してもらうため、一般の人たちにも漁師さんと一緒に伝統漁法のシジミ掻きの体験してもらっている。申し込みは瀬田しじみ観光遊船協同組合。
貝が大きく、身もプリッとしていておいしい瀬田シジミを使ったシジミ飯やシジミ汁なども、石山寺周辺のレストランや旅館で味わえる。

(写真は しじみ料理)


 
近江神宮(大津市)   放送 3月1日(金)
 近江神宮は昭和15年(1940)に紀元2600年を記念し、天智天皇を祭神として創建された歴史の新しい神社。朱塗りの壮大な楼門をくぐると外拝殿があり、その背後に回廊で結ばれた内拝殿、中門、祝詞(のりと)殿、本殿がある。
 天智天皇の業績は土地、人民の私有を禁ずる公地公民制、戸籍の編纂や班田収受法制定などの大化の改新が代表的。そのほか漏刻(水時計)を設けて時刻制度を確立したことは、後世に大きな影響を与えた大きな業績と言える。また近江令を制定したほか、わが国初の官立大学勧学院を設け、教育制度の整備、各方面で学者を重用して学問を奨励した。技術開発、産業振興に努め、その結果として燃える水(石油)、燃える土(石炭)の採掘があった。

漏刻

(写真は 漏刻)

火時計

 日本書紀によれば天智天皇10年(671)4月25日、近江大津京の内裏に漏刻(水時計)を置き、鐘や鼓を鳴らして時刻を知らせた。この日を太陽暦に直すと6月10日になり、大正9年(1920)この日が「時の記念日」に制定された。
 近江神宮境内には漏刻や古代中国の火時計が復元され、時計博物館が昭和38年(1963)オープンした。博物館には古今東西の人々の知恵の結晶である珍しい時計約2300点を収蔵、展示している。珍しいものでは江戸時代初め水戸城で使われていた高さ2.5mの櫓(やぐら)時計、江戸時代中期の太鼓時計、火縄や線香を使った火時計、おもりを利用した尺時計、携帯用紙製日時計、香の燃焼の長さで時刻をはかる香時計などがある。

(写真は 火時計)


◇あ    し◇
岩間寺JR東海道線石山駅、京阪電鉄石山坂本線京阪石山駅からバス中千町下車徒歩40分。 
毎月17日の縁日には岩間寺までバスが運行される。
石山寺、石山貝塚京阪電鉄石山坂本線石山寺駅下車徒歩10分。 
JR東海道線石山駅からバス石山寺山門前下車。
三井寺京阪電鉄石山坂本線三井寺駅下車徒歩5分。 
近江神宮京阪電鉄石山坂本線近江神宮前駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
大津市観光振興課077−528−2756 
岩間寺077−534−2412 
石山寺077−537−0013 
三井寺077−522−2238 
瀬田しじみ観光遊船協同組合 077−537−0939 
近江神宮077−522−3725 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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