月〜金曜日 21時48分〜21時54分


橋本市 

 橋本市は紀ノ川の上流、和歌山県の北東端に位置し、東は奈良県五条市と接し交 通の重要地点として栄えた。高野山の興隆で宿場町として発展し、江戸時代には京、 大阪方面から高野山へ通じる高野山街道と、和歌山方面から伊勢参りをする大和街道 (伊勢街道)が交差する交通の要所として伝馬所が置かれた。また紀ノ川を利用した 川船が運んでくる物資の集散地としての商業地でもあった。


 
恋し野の里  放送 3月12日(月)
中将倉 橋本市の紀ノ川南岸、奈良県に隣接した恋野地区の地名は、中将姫伝説から生まれたと伝えられている。中将姫は奈良時代の権力者のひとり、右大臣藤原豊成の娘として生まれたが、5歳の時母を亡くした。豊成は後妻に照夜と言う女性を迎えたが、 中将姫は成長するにつれ容姿端麗、英知にも富み何事にも優れた女性になった。継母の照夜はこうした中将姫に嫉妬し、憎むようになった。その嫉妬心がますます強まり命をも狙われそうになり、姫は恋野の雲雀(ひばり)山に逃れ、仏に仕えて住むようになったという。
 だが、奈良の都や亡き母を思う心は募るばかりで「母恋し 恋しの野辺や…」と中将姫が詠んだ歌から恋野の地名が生まれた。中将姫は後に奈良・当麻寺に移り、ハスの茎の糸で曼荼羅(まんだら)織ったと伝えられている伝説上の女性である。
(写真は 中将倉)

似賀尾池 恋野の里にはこの中将姫にまつわる伝説の旧跡が数多くある。中将倉は姫が身を隠していた洞窟。父の豊成がこの里へ狩りに来て、この洞窟で一心に読経するやつれた女性に出合った。初めはお互いに父娘とわからなかったが、そのうち姫が気づき涙を浮かべ父のふところに飛び込んだと伝えられている。
 このほか姫の命を救うため姫は昨年亡くなったと報告したことにちなむ去年川(こぞがわ)、姫がこの橋にかけた糸の懸橋、亡き母を思って通ってきた峠の三本松の布経(ぬのへ)の松、姫が観音さまをまつった中将が森などが点在している。これら伝説の旧跡巡りをするハイキングコースが設けられており、中将姫伝説に思いをはせながら春の里を歩くのも楽しいかも知れない。
(写真は 似賀尾池)


 
修験者の道   放送 3月13日(火)
馬頭観音像(小峯寺蔵) 橋本市の北方には、山岳信仰の修験者が修行を積んだ山々がある。そのひとつが役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝えられる古刹の小峯寺。寺名の小峯寺は山門からはるか遠くに見える修験道の山・大峰山から由来したと言われている。戦国時代の天正年間の兵火で焼失するまでは、5つの坊が建ち並んでいた。境内には、鎌倉・室町時代のものと推定される古い2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があり、江戸時代初期の作とされる梵鐘は、橋本市内の名鐘のひとつである。
(写真は 馬頭観音像(小峯寺蔵))

不動山 小峯寺からさらに北、635段の階段を登る不動山の山頂付近には、いくつもの巨岩がある。その中の巨岩に直径20cmほどの穴が開いており、穴に耳をあてると「ゴオー」という音が聞こえる。「日本の音風景100選」に選定されているこの不思議な音を「この世の音」「あの世の音」「紀ノ川の音」などと言われているが、あなたは何の音にきこえるでしょうか?。
 巨石群にかこまれたこの山も役行者によって開かれた修験場で、不動明王、金剛童子、八大竜王などを祭る小さな祠(ほこら)があり、今も参拝する人たちの姿が見られる。
(写真は 不動山)


 
祈りの道の交差点  放送 3月14日(水)
橋本町銀札 橋本市は伊勢へ通じる大和街道(伊勢街道)と高野詣の高野街道が交差する交通の要所だった。この両街道が交差した十字路には伊勢参りや高野詣の旅人たちも、通りすがりに見た「右こうや 左京大阪道」と刻まれた「東家の道標」が残っている。 この辻のにぎわいは紀伊国名所図会の「東家往来」に描かれている。
 中世から近世にかけて宿場町として栄え、参勤交代の紀州藩主の本陣も置かれていた。高野詣の客が多い時には紀ノ川の渡しが24時間行われたほどだ。
(写真は 橋本町銀札)

利生護国寺 橋本は、紀ノ川の水運を利用した物資の陸揚場でもあり、商いの町としても繁栄した。銀と交換できる兌換(だかん)紙幣の「銀札」が発行されていたことが、その繁栄ぶりを証明している。
 高野山中興の祖・応其(おうご)上人は、町の発展と高野山への参拝を容易にするため紀ノ川に橋を架けたが、3年後に流失し再び渡し舟になった。橋本の地名はこの橋に由来しているといわれる。また、応其は豊臣秀吉に橋本での「塩市売買免許」を認めてもらい、町の商業振興に努めている。市内の応其寺は応其の里坊で、天正15年(1587)に創建された。
 地元の人たちから「大寺さん」と呼ばれ親しまれている利生護国寺は、聖武天皇の勅命で行基が創建したと伝えられ、本堂は国の重要文化財。中世にはこの地方に勢力を持っていた武士団・隅田党の氏寺として栄えた。
(写真は 利生護国寺)


 
杉村公園  放送 3月15日(木)
松林荘 約12haの広大な敷地に樹木が茂り、四季折々の花が咲き競う杉村公園は、橋本市民のほか近隣の人たちの憩いの場になっている。橋本市が生んだ実業家・杉村光造(林之助)氏が昭和45年(1970)、手入れの行き届いた山林と邸宅を橋本市へ寄贈した。
 自然愛好家だった杉村氏は、敷地内のブナ科や針葉樹の木々を大切に育ててきた。 またツツジやヤブツバキなどの花をつける木を植えて、林に彩りを添えた。谷間をせき止めて作った池は、付近の稲作の水源としての役割も果たした。
(写真は 松林荘)

橋本市郷土資料館 整備された公園内は、芝生広場やアスレチック、池に架かるつり橋などがあり、家族連れで一日中自然が楽しめる。園内の橋本市郷土資料館には「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」のラジオ実況放送で有名な、橋本市が生んだ昭和11年(1936)のベルリン五輪の金メダリスト・兵藤(旧姓前畑)秀子さんの資料などが展示されている。
 杉村氏の邸宅だった建物は、改修して生活学習施設「松林荘」として利用されている。建築された昭和初期の台所の大きなかまどや冷蔵庫など、当時の懐かしい生活用品を目にすることができる。和室は市民に開放され研修会や生活学習の場を提供している。
(写真は 橋本市郷土資料館)


 
紀州竿の里 放送 3月16日(金)
高野街道 細く、軽く、強いの三条件を満たし、しなやかで強靱、優美な紀州へら竿は太公望たちの垂涎(すいえん)の的である。和歌山県伝統工芸品の第1号として指定されたほどで、橋本市の竹竿は全国の90%を生産している特産品でもある。
 昭和の初めごろから本格的に作られるようになった紀州へら竿は、近くにへら竿に適した高野竹、矢竹、真竹があったことによる。風雪に耐え小さくても強い高野竹は、大峰山系や高野山付近にしかない。現在、橋本市にいる約40人の竿師たちが、匠の磨き上げた技と勘で芸術品とも言えるへら竿作りに腕を振るっている。
(写真は 高野街道)

竿師玉成の竿 へら竿はしなやかな穂先に真竹、2番目の穂持ち高野竹、3番目から手元にかけて矢竹を使う継ぎ竿。厳選された材料の竹を数週間から数ヶ月かけて天日干し、さらに室内でじっくり乾燥させる。数年間も乾燥させるものもあるという。こうして選び抜かれた竹を使って(生地組み、火入れ、中抜き、込削り、絹糸巻き、漆塗り、握り造り、穂先削り、胴漆塗り、仕上げなどの工程を経て)見事なへら竿ができ上がる。
 特に竹のくせを直し、竹の繊維を引き締めて反発力を高める火入れの作業は、竿師の経験と勘が必要とされる。竹の節を抜く中抜き作業に使う50〜60本のキリは、それぞれ竿師が自分で作ったものだ。このように丹精込めた手作業で作られるへら竿は、注文してから手元に届くまで、数年かかる高級品もある。
(写真は 竿師玉成の竿)


◇あ    し◇
恋し野の里JR和歌山線隅田駅下車徒歩約1時間。 
利生護国寺JR和歌山線下兵庫駅下車徒歩5分。 
応其寺JR和歌山線、南海高野線橋本駅下車徒歩5分。 
杉村公園、橋本市郷土資料館、松林荘南海高野線御幸辻駅下車徒歩8分。 
小峯寺南海高野線林間田園都市駅からバス初芝橋本高校前下車徒歩5分。 
不動山南海高野線林間田園都市駅からバス初芝橋本高校前下車徒歩30分。 
◇問い合わせ先◇
紀州製竿組合0736−32−8130
橋本市産業振興課0736−33−1111 
橋本市郷土資料館0736−32−4685

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会