月〜金曜日 21時48分〜21時54分


大阪・四天王寺 

 聖徳太子が建立した四天王寺を中心に、南の天王寺公園の茶臼山から、北の生国魂(いくくにたま)神社にかけての上町台地と呼ばれる丘陵地帯には、寺院や神社が多い。また、この丘陵地帯から眺める夕日が素晴らしく夕陽丘と呼ばれており、古代から信仰の地、景勝の地とされていた。


 
舎利信仰  放送 3月19日(月)
聖徳太子絵伝(重文) 四天王寺は、聖徳太子が建立した日本最古の官寺として知られている。皇位継承問題をめぐって崇仏派(渡来した仏教を推す)蘇我馬子と廃仏派(日本古来の宗教を推す)の物部守屋が争った時、聖徳太子は崇仏派の蘇我についた。苦戦を強いられた戦いに勝利するためヌルデの木に四天王の像を刻み戦勝を祈願した。守屋を倒した後、推古天皇元年(593)に難波の地に四天王寺を建立、仏教思想を基にした統一国家建設の道場とした。
 聖徳太子はこの時、金堂のある四天王寺敬田院のほかに貧困者救済の悲田院、薬を作り施す施薬院、病人のための療病院を作り、仏教思想に基づく物心両面からの救済(庶民救済)と平和国家の樹立を願っていた。
(写真は 聖徳太子絵伝(重文))

救世観世音菩薩尊像 四天王寺は南大門、中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂が南北に一直線に並び、中門と講堂を結ぶ回廊が五重塔と金堂を囲む形式の伽藍(がらん)配置で、この伽藍配置を四天王寺式という。これらの伽藍は創建以来、たび重なる戦火や落雷、天災によって焼失、倒壊しており、現在の建物は昭和38年(1963)に再建された鉄筋コンクリート製だが、様式、規模は創建当初のものを引き継いでいる。
 金堂には本尊の救世観音菩薩像がまつられ、四方には持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が安置され本尊を守っている。堂内の舎利塔には南無仏の舎利が安置され、毎日午前11時に舎利出し法儀が行われ、参詣した多くの信者がお舎利を頭に当ててもらいご利益をもらう。
(写真は 救世観世音菩薩尊像)


 
太子信仰  放送 3月20日(火)
石舞台 四天王寺境内南東部にある太子殿(聖霊院)は、聖徳太子をまつり、太子信仰の中心となっている所。前殿には南無仏といわれる太子二歳像と太子十六歳像、奥殿には太子四十九歳像(秘仏)がまつられている。
 聖徳太子が2歳の時、東に向かって手を合わせ「南無仏」ととなえた姿の太子二歳像の前で、毎年2月22日行われる「太子二歳まいり」は、太子の高い知恵にあやかろうと大勢の親子連れの参拝者でにぎわい、子供たちの頭に太子の徳を表した宝印をいただく。この「二歳まいり」の祈とうは、今は2歳の子供に限らず誰でも受けることができる。
(写真は 石舞台)

舞楽面陸王(重文) 4月22日は聖徳太子の霊を慰める聖霊会舞楽法要の日である。聖徳太子の命日の法要で四天王寺では最も重要な儀式のひとつ。太子の命日は旧暦2月22日だったが、明治以降は毎年4月22日に行われるようになった。六時堂の前で太子の御影を安置して法要が営まれた後、石舞台(亀の池の上にかかっている石橋に組まれた舞台)で古式の作法にのっとった舞楽が舞われる。
 天王寺舞楽(無形文化財)は、仏教伝来とともにわが国に伝わったもので、今日に受け継がれている。天王寺には聖霊会舞楽法要の時に使う陵王面など舞楽面が現在32面、舞楽装束81点が伝えられており、国の重要文化財に指定されているものが多い。
(写真は 舞楽面陸王(重文))


 
浄土往生  放送 3月21日(水)
南鐘堂 「暑さ寒さも彼岸まで」とか「四天王寺さんのお彼岸」といって、関西の庶民に親しまれている四天王寺の彼岸の法要は、全国的に知られている。彼岸とは、こちらの岸から向こうの岸に渡ること、つまり現世の苦の世界から極楽の世界に渡るという意味である。
 四天王寺の浄土思想は平安時代中ごろから盛んになり、春秋の彼岸には極楽往生を願う貴族から庶民にいたる人たちが四天王寺に参り、五重塔と金堂の中心に立ち西の石の鳥居の中心から難波の海(大阪湾)に沈んでいく夕日を拝して、西方の極楽浄土を思い浮かべる日想観(にっそうかん)と言われる修行をした。
(写真は 南鐘堂)

扇面法華経冊子(国宝) 今日の四天王寺の彼岸会の日も境内は参拝者でごった返す。遠く極楽まで響くといわれる北鐘堂でつかれる引導鐘の音が、一日中絶えることなく響き渡っている。境内のお堂で回向をすませた経木(きょうぎ)を亀井堂の亀甲の水盤に流し、一度沈んだ経木が浮かんでくると「これでご先祖さまも浮かばれた」と参拝者は安心する。これも浄土信仰のひとつである。
 国宝の扇面(せんめん)法華経冊子も浄土思想と平行して、来世の再生を期し女人成仏を説いた法華経信仰の表れのひとつ。極彩色の扇面形の紙に写経されたもので、下絵は庶民生活や風俗、草花鳥獣、物語などの絵が豊かな色彩で描かれている。法華経の強い信仰と耽美的文化が結びついた傑作のひとつとされている。
(写真は 扇面法華経冊子(国宝))


 
愛染さん  放送 3月22日(木)
愛染明王 大阪の人は、寺や神社を「さんづけ」にして親しみをもって呼ぶ習わしがある。大阪に夏を呼ぶ愛染(あいぜん)祭りでおなじみの「愛染さん」の正式名称は勝鬘院(しょうまんいん)愛染堂。愛染堂は聖徳太子が四天王寺を建立した時の敬田院、悲田院、施薬院、療病院の4ヶ院のひとつの施薬院の跡に建てられたもので、太子が勝鬘経を講じた場所だったことから勝鬘院と呼ばれるようになった。本堂には衆生救済する三目六臂(さんもくろっぴ・3つの目と6本の腕)の愛染明王が安置されていることから愛染堂と呼ばれている。この愛染明王は秘仏で愛染祭りの時と正月にだけ開帳され拝観することができる。人気を得ようとする芸能人、商売繁盛を願う商人、縁結びを願う人たちらから篤い信仰を集めている。
(写真は 愛染明王)

多宝塔(重文) 聖徳太子が建立したとされる多宝塔は焼失、文禄3年(1594)に豊臣秀吉が再建した。現在の多宝塔(国・重文)は、大阪市内では最古、品格のある美しい建造物といわれている。
 難波の夏祭りのトップを飾る愛染祭りは、紅白の布とアサガオの造化で飾られた宝恵(ほうえ)かごに、浴衣姿の芸者衆が乗り「ホエカゴホイ」のかけ声と共に登場することで人気を集めている。愛染祭りの時に難波の女性たちが浴衣をおろして着始めるので、浴衣祭りとも呼ばれている。境内の愛染めの霊水を飲むと愛の心がかなえられ、愛敬を授かり運が開けると言う。また、藍がよく染まるので藍染物業者らから深い信仰を集めていたが、今はこの水が料理学校やお茶会でも重宝されていると言う。
(写真は 多宝塔(重文))


 
夕陽丘(ゆうひがおか)  放送 3月23日(金)
『夕陽岡』の石碑 勝鬘院愛染堂(しょうまんいんあいぜんどう)の愛染さんの西、大江神社の西側から下寺町へおりる長い石段のおり口に「夕陽岡」と彫られた自然石の碑がある。大阪・上町台地と呼ばれる丘陵地の西端、四天王寺の西から生国魂(いくくにたま)神社にいたる一帯を夕陽丘と呼んでいる。
 昔は台地のすぐそばまで海がせまり、この海に沈む夕日に染まるあかね色の空と海の美しさから「夕陽丘」と呼ばれるようになったようだ。この夕日の美しさは歌人や俳人が歌や句に詠んでおり、素晴らしい眺めであったことが想像される。今は、海がはるか彼方に遠のき、海に沈み行く夕日の素晴らしさを味わうことは難しい。
(写真は 『夕陽岡』の石碑)

家隆塚 鎌倉時代前・中期の歌人・藤原家隆が晩年出家してこの上町台地に移り住んだ。
その住まいを夕陽庵と呼んでおり、西の海に沈み行く夕日を一心に拝み、西方の極楽浄土を思い浮かべる日想観を修していたといわれている。その家隆の思いは「契りあれば 難波の里にやどり来て 波の入日を 拝みつるかな」と亡くなる直前に詠んだ歌に現れている。夕陽丘の呼び名は、家隆の夕陽庵にちなんでいるともいわれており、夕陽丘には家隆の墓「家隆塚(かりゅうづか)」がある。
(写真は 家隆塚)


◇あ    し◇
四天王寺、愛染堂、大江神社、家隆塚 地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘駅下車徒歩5分。JR、地下鉄天王寺駅、近鉄南大阪線阿部野橋駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
四天王寺06−6771−0066 
勝鬘院愛染堂06−6779−5800 
大江神社06−6779−8554 

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     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
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     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

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(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
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