月〜金曜日 18時54分〜19時00分


春の南紀  

 南紀の春は早い。2月ごろから菜の花が咲き乱れ、立春が過ぎれば潮干狩りも始まる。
黒潮流れる熊野灘も春の光を受けてキラキラと輝き、春の到来を喜んでいるかのようだ。
黒潮の香りのする春本番を迎えた南紀を訪ねた。


 
春の海の輝き(串本町)  放送 3月31日(月)
 本州最南端の町・串本の東側の海岸から対岸の大島に向かって、大小40余りの岩柱が約850mにわたってそそり立っているのが橋杭岩。弘法大師と朝までに橋を架ける競争をした天邪鬼が、大師を負かすため鶏の鳴き声を真似して夜明けを告げ欺いた。橋脚ができ上がりあとは橋を架けるばかりになっていたが「約束の時間だ」と大師は作業をやめ、橋は未完成に終わったとの橋杭岩伝説が残る。
 橋杭岩の生成は地震で亀裂のできた頁岩(げつがん)の割れ目に石英粗面岩が噴出して岩脈となり、柔らかい頁岩が波に洗われて硬い石英粗面岩が残ったものである。地殻変動、岩脈、海食などの地質学上の貴重な資料でもあり、国の天然記念物に指定されている。この橋杭岩から昇る朝日、沈む夕日の素晴らしさは定評がある。

橋杭岩

(写真は 橋杭岩)

樫野崎灯台

 大島東端・樫野崎の断崖の上に建つ樫野崎灯台は、明治3年(1870)に点灯されたわが国最古の石造りの灯台で、今もなお現役として役目を果たしている。イギリス人が設計したこの灯台は、現在は自動点灯される無人灯台になり内部を見ることはできないが、光達距離約34kmで大島沖の熊野灘を航行する船の安全を見守っている。灯台の周辺にはかつて常駐していたイギリス人技師が植えたと言うスイセンが群生し、冬には可憐な花が咲き乱れ甘い香りを放っている。灯台の近くにはトルコ軍艦遭難碑、トルコ記念館、日米修好記念館、ピラミッドのような奇岩が切り立つ海金剛などがある。
 海中の美しさを満喫できる半潜水型海中観光船「ステラマリス」が串本海中公園を運航している。船底の窓から海中を泳ぐ魚やテーブルサンゴを目の当たりに眺めることができる。

(写真は 樫野崎灯台)


 
くじらの町(太地町)  放送 4月1日(火)
 太地町の太平洋に突き出た燈明崎は、新宮藩が熊野灘を航行する船の安全のために、寛永13年(1636)日本で初めて鯨油を用いた行灯式燈明台が設けたことからこの名がついた。新宮藩から派遣された士分の者が燈明台の管理を行い、明治5年(1872)に廃止されるまでこの燈明台はその役目を果たした。
 岬の突端にはかつて沖の鯨を発見するとその進路や潮流、風向きなどを、それぞれの鯨舟に指令を下すための「山見」があった。太地は慶長11年(1606)から始まった古式捕鯨発祥の地で、熊野灘に面した岬の突端には山見やのろし場が設けられていた。燈明崎の山見は太地に5ヶ所設けられていた山見のひとつだったが、今は復元された山見台や行灯式燈明台が観光客を迎えている。

太地浦捕鯨の国(江戸時代)

(写真は 太地浦捕鯨の国(江戸時代))

くじらの博物館

 「太地町立くじらの博物館」は世界一のスケールを誇る鯨専門の博物館で、昔から現代に至る400年の捕鯨の歴史や鯨の生態を知ることができる。鉄筋3階建て博物館の中央は1階から3階までの吹き抜けのホールになっており、体長15mのセミクジラの実物大模型やモリで鯨を突いて捕獲した古式捕鯨の勢子舟がつるされている。ほかにも鯨の骨格や古式捕鯨の用具、絵図などの資料約1000点が展示されている。
 博物館の近くには南極の南氷洋で活躍したキャッチャーボート・第11京丸が捕鯨船資料館として保存されている。船内には南極の荒海を乗り切ったエンジンがそのまま残り、船首にはシロナガスクジラなどを射止めた捕鯨銃が据え付けられ、捕鯨国日本の往時をしのぶことができる。

(写真は くじらの博物館)


 
黒潮の恵み(太地町)  放送 4月2日(水)
 くじらの博物館や海洋水族館、捕鯨船資料館などがある一帯は「くじら浜公園」となっており、黒潮の香りいっぱいの見学や体験ができる数々の施設が整い、楽しい一日が過ごせる。
 海洋水族館は熊野灘の黒潮が育む海の生き物の生態が観察できる。水量630トンの水中トンネルの大水槽は頭の上を泳ぐ魚の姿が圧巻だ。入り江のプールではイルカやクジラ、シャチのショーが行われ、ショーの合間にはイルカやシャチに接近してエサをやったりイルカと握手ができるので子供たちは大喜びだ。イルカたちと一緒に泳ぐことができるドルフィン施設もあり、夢のような体験ができる。

鯨土鈴

(写真は 鯨土鈴)

くじらフルコース(南紀太地温泉花游)

 太地町の民芸品としてはくじらの土鈴が伝わっており、自分好みの色づけ体験もできる。くじらの土鈴は戦国時代、村上水軍と戦った志摩の九鬼水軍が鯨の大群に囲まれて船を進め、大勝したことから吉祥の印としてくじら土鈴がお守りになった。また、母性愛の強いセミクジラにあやかって安産、育児のお守りにされている。
 太地ならではの贅沢は温泉で旅の疲れを癒した後、湯あがりに味わう鯨料理のフルコース。商業捕鯨が禁止されてから鯨料理は希少価値となった。捕鯨発祥の地・太地を代表する味覚が鯨料理で、尾の身の刺し身から始まるフルコースには誰もが満足する。太地町内の観光旅館では特別メニューとして用意している。

(写真は くじらフルコース
(南紀太地温泉花游))


 
ゆかし潟(那智勝浦町)  放送 4月3日(木)
 熊野灘から深く入り込んだ穏やかな入り江は、新宮出身の作家・佐藤春夫が「なかなかに 名告げざるこそ ゆかしけれ ゆかし潟とも 呼ばば呼ばまし」と詠んだことから「ゆかし潟」と名づけられた。佐藤春夫はこの地がお気に入りで、晩年はここに隠棲しようと思っていたほどで、国道わきには佐藤のこの歌碑が立っている。また、入り江の形がヒョウタンに似ていることから「ひさご池」と呼ばれてもいた。
 自然に囲まれたゆかし潟のほとりは、春はサクラ、夏やヤマユリ、秋は紅葉と自然の移ろいが楽しめ、真冬の朝は温泉から流れ出る湯けむりが、ゆかし潟にたなびきを幻想的な世界を現出する。ゆかし潟のほとりは散策するには絶好の場所で、少し足を延ばせば熊野灘が見える海岸にも出られる。

佐藤春夫歌碑

(写真は 佐藤春夫歌碑)

薬師如来像(湯泉寺)

 ゆかし潟のほとりにある湯川温泉は1500年以上もの昔、清寧天皇熊野行幸の折に発見された日本最古の温泉と言われている。熊野詣が盛んだった平安時代、この温泉は天皇、上皇をはじめ公家や武士たちが、道中の疲れを癒し、身を浄めた湯垢離(ゆごり)場でもあった。近くの村人たちはわき出る出で湯を桶に汲んで持ち帰り、風呂の湯に使っていたほか、冬の漁で冷えきった体を温める漁師たちがこの温泉を訪れていた。
 弘法大師はこの温泉の薬効を喜び、薬師堂を建立して瑠璃光山湯泉寺を寺号としたと伝えられている。現在は民家の中に温泉旅館があり、周囲を山に囲まれ熊野灘の海と背中合わせの素朴ないで湯の里と言った雰囲気である。温泉だけを楽しめるさくら湯などの外湯が3ヶ所あり、ドライブの途中で疲れを癒す人も多い。

(写真は 薬師如来像(湯泉寺))


 
勝浦温泉(那智勝浦町)  放送 4月4日(金)
 南紀の温泉地・勝浦温泉の旅館、ホテルが建ち、生鮮マグロの水揚げ日本一を誇る勝浦漁港がある勝浦湾から船で湾外へ出ると、黒潮の海が作り出した奇岩の数々が周囲17kmに点在している。この景観の海を日本三景のひとつ宮城・松島になぞらえて紀の松島と呼んでいる。
 それぞれの奇岩の形によってラクダ岩、ライオン岩、鶴島、筆島、カブト島などと名づけられている。クジラやイルカ、シャチの形をした紀の松島巡りの遊覧船で一巡すると、この自然が創りだした造形の妙に感心させられ、島に打ち寄せる黒潮の波の音に身も心もリフレッシュする。

紀の松島めぐり

(写真は 紀の松島めぐり)

熊野水軍料理(ホテル中の島)

 その雄大な熊野灘の風景を眺め、潮騒に包まれてリラックスできる露天風呂が勝浦温泉・ホテル中の島の潮聞(ちょうもん)之湯。一歩踏み出せば熊野灘の水辺があるこの露天風呂は、その名の通りすぐそばで潮の音がする南紀ならではの雄大な温泉である。
 温泉で旅の疲れを癒した後は南紀の旅を一層楽しいものにしてくれる海の幸がある。勝浦漁港に揚げられた生鮮マグロの活魚料理や魚介類をふんだんに使った熊野水軍料理が、旅の気分を最高潮に盛り上げてくれる。
 那智勝浦町内の料理店でも新鮮な刺し身はもちろん、マグロの頭をそのまま焼いた「かぶと焼」や「マグロ汁」などいろいろなマグロ料理が味わえる。

(写真は 熊野水軍料理(ホテル中の島))


◇あ    し◇
橋杭岩JR紀勢線串本駅からバス橋杭岩下車。  
樫野崎灯台JR紀勢線串本駅からバス樫野崎灯台前下車。  
串本海中公園JR紀勢線串本駅からバス海中公園下車。 
太地町立くじらの博物館、
太地くじら浜公園、太地温泉花游
JR紀勢線紀伊勝浦駅又は太地駅からバス
くじらの博物館前下車。
燈明崎JR紀勢線紀伊勝浦駅又は太地駅からバス
平見公園前下車徒歩10分。
ゆかし潟、湯川温泉JR紀勢線紀伊勝浦駅又は湯川駅からバス
湯川温泉下車。 
勝浦温泉ホテル中の島・聴聞之湯JR紀勢線紀伊勝浦駅下車、
観光桟橋(徒歩7分)からホテル連絡ボートに乗船。
◇問い合わせ先◇
串本町観光協会0735−62−3171 
串本海中公園0735−62−1122 
太地町役場企画観光課0735−59−2335 
太地町立くじらの博物館0735−59−2400 
抱壺庵(くじらの土鈴)0735−59−2879 
太地温泉花游0735−59−3060 
那智勝浦町観光協会0735−52−5311 
湯川温泉さくら湯0735−52−2070 
勝浦温泉ホテル中の島0735−52−1111 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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