月〜金曜日 18時54分〜19時00分


歴史街道メインルート・奈良 

 歴史街道メインルートシリーズ第3週は、飛鳥・藤原京から都が遷された平城京の奈良の都。シルクロードの終着点とも言われ、天平文化の花が開き寺院を中心に数多くの歴史遺産がある。1300年の歴史が脈々と流れる古都・奈良を探訪してみた。


 
悠久の都  放送 4月22日(月)
 シカが遊ぶ若草山の頂上から古都・奈良の町を眺めると、眼下に春日大社、東大寺、興福寺、はるか西には平城宮跡、西大寺、西ノ京の唐招提寺、薬師寺など天平文化が栄えた悠久の都が一望できる。
 春日大社は和銅3年(710)の平城遷都の際に、藤原不比等が氏神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭ったのが起こりと伝えられている。また奈良時代後期の神護景雲2年(768)に藤原永手が、常陸国の鹿島神宮から武甕槌命、下総国の香取神宮から軽津主命(ふつぬしのみこと)、河内国の枚岡神社から天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)の四神を招いて祭り、氏社としたのが春日大社だとも言われている。
四神を祭る4棟の本殿(国宝・江戸時代末)は朱と緑に彩られた色鮮やかな春日造の建物で、屋根の反りなどは従来の神社建築にないもので仏教建築の影響を受けている。
 参道脇の約2000基の石灯ろうや社殿や回廊の約1000基の釣灯ろうは、武家や商人、庶民から寄進されたもので、節分と8月15日の中元に3000基全部の灯ろうに灯がともされる「春日万灯ろう」として有名だ。

春日大社・釣灯ろう

(写真は 春日大社・釣灯ろう)

東大寺・廬舎那仏(奈良時代・国宝)

 凶作による飢饉、悪疫の流行、政情不安に悩まされていた聖武天皇は、国家安泰を願い天平15年(743)東大寺建立と大仏造立の詔(みことのり)を発した。正式には盧遮那仏(るしゃなぶつ)と呼ばれる大仏は、天平17年(745)鋳造に着手した。約4年の歳月をかけ天平勝宝元年(749)に完成、3年後の天平勝宝4年(752)に開眼供養会が行われた。国宝の大仏は世界最大の金銅仏で高さ(座高)15m、顔の長さ5.3m、、掌の長さ3m、中指は1.3mもある。
 大仏が安置されている大仏殿(国宝)は、平安時代末期の治承4年(1180)の平重衡の南都焼き討ちによって焼失、朝廷や鎌倉幕府・源頼朝らの協力によって建久6年(1195)に再建された。その後、戦国時代の永禄10年(1567)に兵火で焼失、再建の見通しが立たず大仏さんは130年近くも雨ざらしになっていた。江戸時代の元禄年間になってようやく再建の動きが出て、徳川綱吉らの援助を受け宝永6年(1709)に完成したのが現在の大仏殿。

(写真は 東大寺・廬舎那仏(奈良時代・国宝))


 
奈良町の家  放送 4月23日(火)
 猿沢池の南に広がる奈良町と呼ばれる一帯は、迷路のように小路が縦横に走り、江戸、明治時代の面影が町家のそこかしこに残っている。家々の軒先には、赤いぬいぐるみの身代わり猿がぶらさげられている。この身代わり猿は庚申(こうしん)信仰による風習で、猿が悪病や災難をもたらすと言う「三尸(さんし)の虫」を取っているように見える。お守りとしてつるすようになった身代わり猿は、奈良町にアクセントを与えている。
 奈良町は地元の人たちの景観保存運動が実を結び、表に格子のはまった商家などが数多く軒を並べ、昔ながらの雰囲気が色濃く残っている。国の重要文化財に指定されている藤岡家住宅は、江戸時代中期の18世紀前半に建てられたと推定される商家で、奈良町の町家に見られるあらゆる特徴を備えた建物と言える。奈良格子、上げ下ろしが自由にでき、商品などの陳列ができる揚げ店や、部屋をオープンにする揚げ蔀(しとみ)など、商家の代表的な特徴を伝えている。土間にはかまど、太い梁が見える屋根裏近くには明かり取りの窓、客座敷のふすま絵や茶室などの洗練された意匠には、富裕な商人の優雅な趣味が現れている。

なろまろ格子の家

(写真は なろまろ格子の家)

箱階段

 この藤岡家住宅の町家の様式をそっくり再現したのが「ならまち格子の家」。当時の町屋の風情がよくわかり、町家の生活様式に直接ふれられる。ビデオなどで奈良町の情報を提供したり、奈良町を散策する観光客や市民の憩いの場にもなっている。
 建物に格子が使われはじめた時期ははっきりしないが、室町時代末期の絵には格子のはまった町家が見られる。格子は外からは家の中が見えずに目隠しの役目を果たし、中から外がよく見え表で遊ぶ子供らに気を配ることができる。また外の音がよく聞け、風通しがよいなどの利点が多い。
 「奈良町資料館」には、奈良町に古くから伝わるさまざまな生活民具や珍しい看板、仏像、古書、漆器などの民俗資料が数多く展示されており、ここでも身代わり猿が出迎えてくれる。

(写真は 箱階段)


 
奈良町散策  放送 4月24日(水)
 奈良町は昔からの伝統産業の町で、今もその名残が残っている。古い町家が軒を並べる通りをぶらぶらと歩くと、そこここで各種の古めかしい商店に出会える。今ではなかなか目にすることのできない商品や店があり、レトロ気分を楽しみながらの散策ができる。
 現代の家庭では見られなくなった蚊帳(かや)も奈良の特産品だった。奈良産の蚊帳が全国シェア6割を占めていたときもあった。蚊帳の歴史は古いが庶民にまで普及したのは江戸時代にはいってからだった。奈良町にある蚊帳の店では、蚊帳生地を活用したノレンやテーブルクロスなどの新商品を開発、なかなかの人気を呼んでいる。古い奈良町から生まれた新しい発想の商品と言える。
 奈良町にはほかに奈良晒(さらし)や奈良漆器、角細工などの伝統産業が今も息づいている。また珍しいおもちゃや雑貨を商う店などがあるほか、ミュージアム的な施設としてふとん資料館、今昔工芸美術館、奈良市音声館、時の資料館などがある。

吉田蚊帳

(写真は 吉田蚊帳)

元興寺・智光曼荼羅

 こんな商家、民家の町並みと調和を保って建っているのが、1400年以上の歴史を有する世界文化遺産の元興寺(がんごうじ)である。元興寺は崇峻元年(588)蘇我馬子が飛鳥に建立した飛鳥寺を平城遷都と共に現在地に移転して元興寺と改め、南都七大寺のひとつとして栄えた。
 極楽坊本堂、禅室の国宝2棟と重要文化財1棟が世界文化遺産に登録された。屋根瓦も飛鳥寺から移したもので、丸瓦を重ねてふく行基ぶきと言われる独特の屋根になっている。
その名残を元興寺極楽坊本堂(国宝)と禅室(国宝)の屋根に見ることができる。この2棟の建物以外は、室町時代の宝徳3年(1451)の大和の徳政一揆で焼失した。残っていた五重塔、観音堂なども江戸時代に焼失、五重塔跡の礎石や基壇、西小塔院跡などに往時をしのぶことができる。
 極楽坊は元興寺の僧坊のひとつで、学僧・智光和尚が極楽の世界の曼荼羅(まんだら)を画工に描かせ、本尊として自分の住む僧房に安置したので「智光曼荼羅」と呼ばれ、盛んになった極楽浄土信仰と相まってこの房が極楽坊と呼ばれるようになった。

(写真は 元興寺・智光曼荼羅)


 
興福寺  放送 4月25日(木)
 三面六臂(ぴ)の異様な姿態の興福寺国宝館の阿修羅(あしゅら)像(国宝)は、愁いを含んだような表情と少年のような純真さを漂わせ、眼差しや手の配置が美しい像として無数にある奈良の仏像の中でも東大寺の大仏と人気を二分している。この像の前に立つと「そんなに見つめないで…」との思いにかられる。
 興福寺の前身は飛鳥時代に藤原鎌足が、大化改新の成就を祈願して造った釈迦三尊像を安置する寺を創建しようとしたことに始まる。藤原鎌足の没後、夫人の鏡女王(かがみのおおきみ)がその遺志を継いで京都・山科に山階(やましな)寺を創建した。都が飛鳥に移されると山階寺も飛鳥の厩坂(うまやさか)に移され厩坂寺となった。さらに平城遷都にともなって鎌足の子・不比等が現在地に再度移し、寺名も興福寺と改め藤原氏の氏寺となったと伝えられている。

阿修羅像(国宝)

(写真は 阿修羅像(国宝))

左・東金堂(国宝)と右・五重塔(国宝)

 興福寺は藤原氏や皇室の手で次々に堂塔が建立された。初めに藤原鎌足の子・不比等が金堂(中金堂)を建立して鎌足が造った釈迦三尊像を安置した。続いて聖武天皇が東金堂(国宝)、五重塔(国宝)、光明皇后が西金堂を建立した。その後も北円堂(国宝)、南円堂(国・重文)、西金堂、三重塔(国宝)などの堂塔が建設され、一大伽藍を有する南都最大の寺院になった。
 藤原氏が皇室と密接な関係を結び権勢を握ると興福寺も大寺に発展し隆盛を極めた。その後、兵火などで堂塔が焼失したが、その強大な力で再建されてきた。しかし、最大の危機は明治維新後の排仏毀釈(かいぶつきしゃく)で、一時は廃寺同様になり五重塔が売りに出されたほどだった。
 興福寺には堂塔のほかにも国宝、重要文化財の仏像、書画、文書類が多い。仏像では阿修羅像のほかに北円堂の本尊・弥勒菩薩座像(国宝)、その両脇侍の無著(むじゃく)、世親(せしん)両菩薩立像も国宝である。このほか国宝、重文の仏像は数えきらないほどである。

(写真は 左・東金堂(国宝)と右・五重塔(国宝))


 
平城宮跡  放送 4月26日(金)
 奈良市街地の西部にある約1km四方の広大な野原が平城宮跡である。元明天皇は和銅3年(710)藤原京から奈良へ都を移し、平城京の北部に平城宮を造営、日本の政治の中心とした。平城京は唐の長安を模して造られ、その規模は東西4.3km、南北4.8kmで、さらに外京があり面積は2500haもあった。平城宮は東西1.3km、南北1km、面積は120ha(甲子園球場の約30倍)で、政治の中枢部門の大極殿、朝堂院、天皇の住居に当たる内裏のほかに二官八省の役所の建物が建ち並び、7000人の役人が勤務していた。
 平城宮跡は明治時代から細々と発掘調査が続けられていた。昭和27年(1952)国の特別史跡に指定され、昭和30年(1955)から奈良文化財研究所が本格的な発掘調査を始め、その全容が徐々に明らかになった。発掘調査で出土した木簡などの出土品は、宮跡内にある平城宮跡資料館で展示されている。また、遺構展示館では発掘調査で出土した建物の柱穴などの遺構に屋根をかけて保存し、出土したままの形で見学することができる。

第二次大極殿跡

(写真は 第二次大極殿跡)

東院庭園

 平城宮の南正面にそびえ立っていたのが朱雀門。発掘調査で朱雀門は幅25m、奥行10m、高さ20mの入母屋造二層構造の門だったと推定された。この朱雀門の復原作業は昭和39年(1964)の模型作りから始まった。朱雀門の構造や型式を知る資料がなく、同時代に建てられた法隆寺、薬師寺、東大寺などの門や建物を参考に構造が研究された。色は古代独特の丹土(につち)の赤とされた。34年の歳月を費やし、平成10年(1998)春、壮麗な朱雀門が平常宮跡によみがえった。同時に女帝の称徳天皇が儀式や宴会を盛んに催した東院庭園も復原された。
 平城京の調査、復原作業は徐々に進み、宮内省の建物や築地塀などが復原されたり、柱跡などの遺構が整備されている。平城宮跡全体が世界文化遺産に登録され、朱雀門の復原と相まって奈良市の観光スポットとして一挙にクローズアップされている。

(写真は 東院庭園)


◇あ    し◇
春日大社JR大和路線、近鉄奈良線奈良駅から市内循環バス春日大社表参道下車徒歩10分。 
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩30分。JR大和路線奈良駅下車徒歩40分。
東大寺JR大和路線奈良駅、近鉄奈良線奈良駅から市内循環バス大仏殿・春日大社前下車。 
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩15分。JR大和路線奈良駅下車徒歩20分。
興福寺近鉄奈良線奈良駅下車徒歩5分。JR大和路線奈良駅下車徒歩10分。  
元興寺、奈良町、ならまち格子の家JR大和路線、近鉄奈良線奈良駅下車徒歩20分。 
平城宮跡近鉄奈良線、橿原神宮線西大寺駅からバス平城宮跡下車。 
JR大和路線、近鉄奈良線奈良駅からバス平城宮跡下車。
朱雀門近鉄奈良線、橿原神宮線西大寺駅下車徒歩30分。 
近鉄奈良線、橿原神宮線西大寺駅からバス平城宮跡下車徒歩20分。
JR大和路線、近鉄奈良線奈良駅からバス二条大路南2丁目下車徒歩3分。
◇問い合わせ先◇
奈良市役所観光課0742−34−1111 
奈良市観光センター0742−22−5200 
興福寺0742−22−7755 
東大寺0742−22−5511 
春日大社0742−22−7788 
ならまち格子の家0742−27−1820 
元興寺0742−23−1377 
平城宮跡、平城宮跡資料館(奈良文化財研究所)0742−30−6752

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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歴史街道推進協議会