月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良市・春日大社 

 古都奈良の社寺を代表するのが東大寺、興福寺と並んで春日大社。自然豊かな春日山原始林の麓に鎮座する春日大社は、栄華を誇った藤原氏の氏神として壮麗な社殿、崇敬者らから奉納された宝物、石灯籠など文化財の宝庫でもある。もうすぐ“砂ずり藤”が花開く春日大社を訪ねた。


 
春日の神  放送 4月28日(月)
 春日大社は奈良時代後期の神護景雲2年(768)に藤原永手が鹿島神宮から武甕槌命、下総国・香取神宮から軽津主命(ふつぬしのみこと)、河内国・枚岡神社から天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめかみ)の4伸を招いて祭り、藤原氏の氏神としたのが始りと言われている。武甕槌命は白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)の頂上に舞い降りたと伝えられ、現在に至るまで奈良の鹿は神の使いとして保護されている。

鹿島立神影図

(写真は 鹿島立神影図)

春日大社

 春日大社一の鳥居から900m余りの参道の両側に苔むした石灯籠約2000基が立ち並んでいる。社殿と回廊には約1000基の釣灯籠がある。これらの灯籠には人びとの神への祈り、感謝が込められており、貴族や武家、商人、庶民まで幅広い層から奉納され、春日信仰の根強さを示している。2月の節分の日と8月14、15日の中元の日に3000基の灯籠に灯がともされる「春日万灯籠」は、境内に幽玄の世界を現出する。
 石灯籠の中で最も古いものとされているのが、関白・藤原忠通が奉納した「柚の木灯籠」とされている。ほかに仙台の伊達氏、越後の上杉氏、伊賀の藤堂氏ら大名が奉納したものもある。

(写真は 春日大社)

 平安時代にはいり藤原氏が天皇の外戚となるなど強大な権力を持つようになると、春日大社への天皇の行幸がふえ貴族たちの春日詣も盛んになった。社殿も壮麗を極め国宝の本殿は東から第1殿(武甕槌命)、第2殿(軽津主命)、第3殿(天児屋根命)、第4殿(比売神)の4棟が並んでいる。同じ建築様式のこの本殿は春日造と言われ従来の建築様式にないものがあり、仏教建築の影響を受けていると見られている。現在の建物は江戸時代末の文久3年(1863)に建て替えられたものである。
 春日大社境内には若宮神社をはじめ摂社5社、夫婦大国神社をはじめ末社56社があり、これらの神社を総合して春日大社が成り立っている。

大宮本殿

(写真は 大宮本殿)


 
若宮神社  放送 4月29日(火)
 春日大社には61もの摂社、末社がある。そのうちのひとつ摂社・若宮神社の祭神・天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)は、本社第三殿に祭られている天児屋根命(あめのこやねのみこと)の子神であるため若宮と呼ばれる。この祭神は困難を乗り越えて高天原から天の水を持ち帰ったことから水神・生命・知恵の神として信仰されている。
 若宮神社は毎年12月に行われる例祭「おん祭」でよく知られている。大和路の1年の最後を締めくくり大和最大の豪華な祭で、師走の奈良の風物詩となっている。

若宮

(写真は 若宮)

春日権現験記

 若宮は今から1000年前の長保5年(1003)3月3日に出現したと伝えられている。社伝によれば本社第4殿の板の間に現れたトコロテンのようなものの中から子蛇が現れ殿内へはいり、これが後の若宮となって祭られたとある。ほかにややニュアンスの違う若宮出現の伝説もある。
 若宮神社の社殿は春日造で春日大社の本殿と同じように文久2年(1863)に再建されたもので、本社本殿とまったく同じ形式である。ちょうど2003年が若宮が出現してから1000年に当たり、若宮御出現千年祭が厳かに行われ、舞楽の舞いなどが奉納された。

(写真は 春日権現験記)

 春日大社本殿から若宮神社へ通じる参道は御間道(おあいみち)と言い、その両側には四角形の御間型と呼ばれる石灯籠が立ち並んでいる。
 この御間道付近から御蓋山(みかさやま)の麓にかけて竹柏(なぎ)ばかりの樹林があり、天然記念物に指定されている。木の高さは約15mほどで幹まわり2〜3mもあり、春日の神木とされている。竹柏は暖地性の常緑樹で、冬が寒い奈良で自生しているのは珍しい。葉は竹の葉のように細長く、昔はこの葉を守り袋や鏡の裏に入れて災難除けのお守りにした。

若宮御出現一千年祭

(写真は 若宮御出現一千年祭)


 
若宮の秘宝と祭  放送 4月30日(水)
 2003年は若宮神社の祭神・天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)が出現してからちょうど1000年に当たり、これを記念して「若宮の秘宝と祭」の展覧会が2003年6月29日まで春日大社宝物殿と直会殿で開かれている。
 天皇や貴族らの信仰の厚かった春日大社には、皇室、貴族、武士らから多くの宝物が奉納、寄進され、平安の正倉院と言われるほどである。若宮神社の神宝は若宮創建に深くかかわった藤原忠実や藤原頼長らが奉納した品々が、神宝として大切に伝えられてきた。これらの宝物は平安時代の王朝文化、日本の工芸技術を知る上で貴重な資料であり、今回、若宮神社の宝物と若宮おん祭の華麗な舞楽面や装束、絵巻物などが一挙に展示されている。

毛抜形太刀

(写真は 毛抜形太刀)

毛抜形太刀(復元)

 今回の秘宝展で注目されるのは「毛抜形太刀(けぬきがたたち)」で、平成12年(2000)に若宮神社で見つかった。この太刀と同時に見つかった3点の宝物は国宝に指定された。
 毛抜形太刀は刀身と柄が一体になっている太刀で、これまでに4例しか現存していなかった。若宮神社で見つかったこの太刀は、錆やほこりなどで奉納されて当時の姿が分かりにくいうえ、刀身が鞘から抜けないため不明な点が多かった。このためX線撮影などをして復元作業が行われ、わが国を代表する刀匠、研ぎ師、螺鈿細工師、鞘師、金具・彫金師らがその技を発揮して1000年前の姿を見事に復元した。

(写真は 毛抜形太刀(復元))

 大和路の祭を締めくくる若宮のおん祭が毎年12月15〜18日の4日間、華麗に繰り広げられる。奈良の人たちはおん祭が終わると師走も押し迫り、この1年の終わりを実感する大和路の師走の風物詩である。
 平安時代の保延2年(1136)全国的に飢饉、疫病がまん延したため、関白・藤原忠通が天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)に神饌(しんせん)を献じ、数々の芸能を奉納して五穀豊穰、災厄退散を祈ったのがこの祭の起源である。おん祭のハイライトは17日のお渡りの行列。関白・藤原忠通の代理とされる「日使」を中心に時代衣装をまとった約1000人が王朝風俗の時代絵巻を繰り広げる。

春日若宮御祭礼絵巻物

(写真は 春日若宮御祭礼絵巻物)


 
万葉人の花園  放送 5月1日(木)
 春日大社の境内をはじめその背後の春日山一帯は神聖な神域で、平安時代初期の承和8年(841)から鳥獣の狩猟、草木の伐採が禁じられてきた。厳しい自然保護で維持されてきた春日山は、イチイガシやナギ、アシビ、アカガシ、スギ、ヤマザクラなど175種の樹木がうっそうと繁り、598種の草花が生育している。シカやイノシシ、タヌキなど10種の動物、60種の鳥類、天然記念物のルーミスシジミなど180種の昆虫類が生息している。この動植物の宝庫とも言える春日山原始林はユネスコの世界遺産にも登録されている。

神苑

(写真は 神苑)

歌仙堂

 この豊かな自然に包まれた春日大社の境内に約3ヘクタール(9000坪)の「春日大社神苑」がある。この神苑は「万葉集」に詠まれた植物にそれぞれの歌を添えた植物園で、万葉歌ゆかりの約300種の草木、花が集められ大切の栽培されている。フジ、ツバキ、カキツバタ、アヤメ、ナデシコ、キキョウ、カタクリ、ナンバンギセル、ムラサキ、オオガハスなどが季節ごとに美しい花を咲かせる。柿本人麻呂、大友家持をはじめ万葉歌人の心持ちが実感できる庭であり、初夏には春日大社のシンボル・藤が開花する。

(写真は 歌仙堂)

 この庭は昭和7年(1932)歌人の佐々木信綱らの尽力で万葉植物園として開園された。これら万葉ゆかりの草木をシカやイノシシなどの害から守るように整備し、自然のままの姿で参拝者に楽しんでもらい、心の安らぎを満喫してもらう神の庭として名称を「春日大社神苑」と改めて開苑した。
 広い神苑の中央には約2000平方m(600坪)の池があり、池の中央に浮かぶ中ノ島にはイチイガシの老巨樹が、幹を地に臥せるように繁っている。池の上には浮舞台があり5月5日と11月3日に、奈良時代から春日大社に伝わる雅楽などが演じられる。

藤

(写真は 藤)


 
新緑の散歩道  放送 5月2日(金)
 鹿が群れ遊ぶ奈良公園や春日大社の参道およびその周辺、春日山の原始林などは、奈良市民にとっては豊かな自然が満喫できる絶好の散歩コースで、早朝から散歩やジョギングを楽しむ市民らが多い。また、時間にゆとりのある観光客や春日大社参拝者にとっても都会の雑踏と騒音からしばしの間逃れ、心を和ませることができる散策コースでもある。
 奈良公園内には猿沢池のほか荒池、鷺池などがあり、四季折々に変化する周囲の自然とマッチして潤いをもたらしている。鷺池に浮かぶ浮御堂からの眺めは趣が変わり観光客らに喜ばれている。

浮見堂

(写真は 浮見堂)

飛火野

 春日大社参道の南に広がる芝生の飛火野は奈良時代に春日の「烽(とぶひ)」があった所。烽とは変事の際にのろしをあげて通報するための軍事施設ののろし台で、当時は全国の山や丘に築かれていた。この烽が飛火野の地名になった。
 今は芝生地で鹿が群れ遊ぶ広場になっている。夕方に行われる鹿寄せのホルンの音を耳にした飛火野の鹿たちは、いっせいにホルンの音のする方へ走り寄って行く。

(写真は 飛火野)

 春日大社二の鳥居から志賀直哉旧邸の方へ通じ、アシビが茂る森の中を抜ける道を誰がそう呼んだのかわからないが「ささやきの小径」と言う。おおい繁る木立でささやきの小径はほの暗く、恋人同士にはもってこいの雰囲気で別名“デート道”とも呼ばれている。
万葉歌人らもこの小径をそぞろ歩きしながら、万葉レディに恋をささやいたのであろうか。
 飛火野に近い参道脇に「春日荷(にない)茶屋」がある。茶屋の名物は「万葉粥(かゆ)」で、万葉歌にちなんだ四季折々の山菜や野草などが添えられている風流な食事で、観光客らの人気を集めている。

万葉粥(春日荷茶屋)

(写真は 万葉粥(春日荷茶屋))


◇あ    し◇
春日大社JR関西線、近鉄奈良線奈良駅から市内循環バス
春日大社表参道下車徒歩10分。
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩30分。
◇問い合わせ先◇
春日大社0742−22−7788 
奈良市観光課0742−34−1111 
奈良市観光センター0742−22−5200 

◆歴史街道とは

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(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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