月〜金曜日 21時48分〜21時54分


和歌山〜川辺町・御坊市・美浜村・日高町〜 

 紀伊水道に面した和歌山県の西海岸沿いは、古くから熊野詣の街道筋として上 皇、天皇、貴族らから庶民までの往来が多く、街道筋には熊野九十九王子や歴史的遺 跡、名勝が数多い。飛鳥時代からの古湯として知られる白浜の湯への湯治客も熊野古 道をたどって白浜へ向かった。今回はこのうち御坊・日高地方を訪ねてみた。


 
道成寺・宮子姫  放送 5月1日(月)
宮子姫(かみなが姫)像 道成寺の創建にまつわる伝説に「宮子姫髪長譚」がある。今から1300年前の 8世紀ごろ、紀伊国・日高の九海士(くあま)の里(現・御坊市藤田町吉田)の海士 夫婦に女の子が生まれ、宮子と名づけられた。ところがこの子にはいつまでたっても 髪の毛が生えてこなかったため、両親は嘆き悲しんでいた。ある日、母が海底で光り 輝く黄金の観音像を見つけ拾いあげた。両親は観音像をまつり「わが子に髪の毛が生 えますように」と祈り続けたところ、驚いたことに娘に毛が生え始め、やがて見事な 黒髪が生えそろい美人に成長した。
(写真は 宮子姫(かみなが姫)像)

広目天王像(重文) この黒髪の美女のことを藤原京の都で権勢をふるっていた藤原不比等が知り養女 にした後、文武天皇の妃になり聖武天皇の生母となった。宮子は黒髪を授けてくれた 観音さまをきちんとお祭りしたいと文武天皇に願い出た。天皇は紀大臣道成に命じて 大宝元年(701)に寺を建立させ、寺名を道成の名をとって道成寺とした。
 熊野参詣の道中にあるため参詣者も多く、大きな伽藍を持つ寺として栄えた。しか し、中世にはいって寺運は衰え、慶長6年(1601)に和歌山藩主浅野幸長が再興 した。本尊の千手観音立像、日光、月光菩薩立像は国宝、本堂、仁王門、道成寺縁起 絵巻など多くの寺宝が国の重要文化財に指定されている。
(写真は 広目天王像(重文))


 
道成寺・絵とき説法  放送 5月2日(火)
本堂と桜 道成寺を有名にしたのが安珍・清姫の悲恋物語と言える。住職が道成寺縁起絵巻 を見せながら、朗々とこの物語を語り聞かせるのが道成寺名物の絵とき説法。これが すっかり参拝者の人気を集め、大勢の参拝者を明るい講堂に集めて行っているが、明 治時代までは本堂のろうそくのあかりの中で行われていた。時にはユーモアを交えな がら、人間の愛欲の戒めが説かれることもある。
 安珍・清姫の物語は平安中期の文献に表れ、室町時代に道成寺縁起上下2巻の絵巻 物となって完成した。これを基に能楽、歌舞伎、文楽などで演じられるようになっ た。
(写真は 本堂と桜)

道成寺縁起絵巻(写し) 道成寺縁起による安珍・清姫物語とは。平安中期の延長6年(928)、奥州・ 白河の僧・安珍は熊野詣の途中、宿場町真砂(現・西牟婁郡中辺路町)で宿を取っ た。この宿の娘・清姫が美男の安珍に想いを寄せ、言い寄ったが、修行中の身の安珍 は困り果て「熊野詣の途中なので帰りに寄る」と言い逃れて出立した。安珍は帰りに は清姫の所を素通りしたが、清姫はすぐこれに気づき後を追い日高川にたどり着い た。水かさの増した日高川を大蛇に身を変えて渡り、道成寺の大鐘の中にかくまわれ ていた安珍を見つけた。大蛇は大鐘に巻きつき口から紅蓮の炎を吐いて鐘もろとも安 珍を焼き殺した。自らも日高川の激流に身を投じた。
 境内には安珍を鐘と共に埋めた安珍塚があり、鐘楼跡には石碑が建っている。ま た、寺の近くの田んぼの中に清姫の化身の大蛇を埋めた蛇塚がある。
(写真は 道成寺縁起絵巻(写し))


 
西本願寺日高別院  放送 5月3日(水)
湯川直光像 JR御坊駅から営業距離わずか2.7km、日本一短い紀州鉄道の終点・西御坊 駅を降り、東へ進むと古い町並が続くあたりが寺内町の御坊市御坊。ここに御坊の町 名の起こりともなった西本願寺日高別院がある。
 室町幕府末期の戦国時代の享禄元年(1528)細川、三好両軍の戦いの時、細川 勢に加勢した日高・有田地方の領主だった亀山城主・湯川直光は苦戦した。山科本願 寺へ助けを求め、大和、河内の門徒衆の助けでようやく亀山城へ帰ることができた。 この本願寺の恩に報いるため、吉原(現・美浜町吉原)に坊舎を建立し、本願寺に寄 進したのが日高別院の始まり。
(写真は 湯川直光像)

本尊阿弥陀如来像 天正13年(1585)羽柴秀吉の亀山城攻めで坊舎も焼失した。その後、仮堂 の薗坊舎を再建、さらに現在地に薗坊舎を移し日高坊舎を建立した。この坊舎が日高 別院になり、信者や近隣の人たちから「御坊さん」と呼ばれ崇められた。現在の本堂 は江戸後期に建てられたもので、本山にならって総ケヤキ造り。境内には樹齢390 年の県指定天然記念物のイチョウの巨木がある。
 御坊町は細い道路が食い違ったり鉤(かぎ)型になったり、町内を流れる下川が町 を半周して環濠の役目をするなど、防御都市構造になっている。この寺内町は別院の 参詣者相手の門前町として栄えた。
(写真は 本尊阿弥陀如来像)


 
アメリカ村  放送 5月4日(木)
龍王神社、ドル(弗)表示の奉納額 御坊市の西、美浜町煙樹ヶ浜から日ノ岬に向かう途中の小さな漁村の三尾集落が 別名アメリカ村。純和風の家に混じってしゃれた洋風のたたずまいの家が目に入り、 アメリカ村らしい風景を見せている。
 漁業の近代化に伴い、取り残された漁民の中から明治21年(1888)、工野儀 兵衛さんがカナダへ渡って漁業に従事した。翌年、工野さんの誘いで数人がカナダへ 渡り、以後、毎年のように十数人から数十人が集団でカナダへ移民した。大正12年 (1923)にはカナダ在住の人が630人に達し、旧三尾村の村民に匹敵する人数 になった。こうしたカナダ移住者から肉親への送金が村の経済を潤した。神社への寄 付者の金額がドルで記載されているのも三尾ならではのこと。
(写真は 龍王神社、ドル(弗)表示の奉納額)

アメリカ村の民家 第2次世界大戦時には敵国民とみなされ強制移動させられた苦難の時代もあった。 戦後、カナダから故郷へ引き揚げて来る人や、老後を故郷で過ごそうと日本へ帰国す る人がふえた。この人たちが故郷で住宅を建て住んでいるのが美浜町のアメリカ村 で、時には英語まじりの会話もあると言う。
 三尾の歴史はカナダ移民と切り離すことはできない。これら苦難の道を歩いた人々 の思い出や、資料を集めて展示しているのがアメリカ村資料館。移民生活の写真、カ ナダでの生活の様子がうかがえる生活用具、漁業や山林作業などの道具が展示されて いる。カナダからの直輸入品を販売する売店もある。資料館屋上の展望台から紀伊水 道の海岸線など360度の眺めが楽しめる。
(写真は アメリカ村の民家)


 
海からの熊野古道  放送 5月5日(金)
比井若一王子社 熊野三山へ参拝する熊野詣は、平安時代から盛んになった。朝廷の上皇、天皇か ら貴族、武士、庶民までが熊野を目指し、熊野街道は「蟻(あり)の熊野詣」と言わ れるくらいにぎわった。京、大阪方面からは紀伊水道沿いの熊野古道を通り、現在の 田辺市から山中に入る中辺路道を通って本宮大社へ向かった。
 四国、瀬戸内海方面からの熊野詣での海の玄関口が日の岬付近。日の岬近くの日高 町比井にあるのが熊野九十九王子のひとつの比井若一王子社。船から上陸した熊野詣 の人たちは、まず若一王子社にお参りして、熊野古道に出て熊野三山を目指した。熊 野古道からはずれた所にある比井若一王子社は、海の玄関口の王子と言える。
(写真は 比井若一王子社)

熊野古道沿いの板碑 日高町内の熊野古道にも多くの熊野王子がある。また、北東に隣接する広川町か ら日高町へかけての鹿ヶ瀬峠越えは、熊野古道の中の難所のひとつにあげられ、歌人 ・藤原定家もこの難所に嘆いたとの記録がある。この付近には、熊野古道で現存する 最長の石畳道や石碑、石仏、茶屋跡などがあり当時の面影を残している。
 最近は熊野古道周辺の豊かな自然や渓流の滝を楽しみながら歩くハイカーが多い。 鹿ヶ瀬峠ふもとの原谷地区は黒竹の産地として知られている。黒竹の竹林と熊野古道 の景観が調和し、ハイカーたちの目を楽しませている。
(写真は 熊野古道沿いの板碑)


◇あ    し◇
道成寺JR紀勢線道成寺駅下車徒歩5分。 
西本願寺日高別院紀州鉄道西御坊駅下車徒歩7分。 
亀山城跡JR紀勢線御坊駅下車徒歩20分。 
アメリカ村JR紀勢線御坊駅からバスアメリカ村下車。 
アメリカ村資料館JR紀勢線御坊駅から日の岬(終点)下車。 
比井若一王子社JR紀勢線内原駅からバス比井下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
道成寺0738−22−0543 
御坊市観光協会0738−23−5531 
西本願寺日高別院0738−22−0518 
美浜町役場産業課0738−22−4123 
アメリカ村資料館0738−62−2326 
日高町観光協会0738−63−3806 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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