月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大津市 

 中国・湖南省の瀟水(しょうすい)と湘江(しょうこう)が交わる、洞庭湖付近の名勝地を選んだ「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」にならって選ばれたのが琵琶湖の「近江八景」。
この近江八景は江戸時代後期の浮世絵師・歌川(安藤)広重の名画によって広く知られるようになった。今回はこの近江八景のうち五景を訪ねた。


 
瀬田の夕照  放送 5月5日(月)
 夕暮れどきの風情が格別な趣をかもし出すことで近江八景に選ばれた「瀬田の夕照(せきしょう)」。琵琶湖最南端に架かる瀬田の唐橋は、宇治橋、淀橋と並んで日本三大名橋のひとつ。
この橋がいつごろ架けられたか定かでないが、日本書紀に登場しているのでかなり古くからあったと推測される。
 古来から「唐橋を制する者は天下を制する」と言われ、京ののど元を押さえる軍事、交通上の要衝で、何度も戦乱の舞台となり焼失したが、その度に架け替えられた。現在の橋は昭和54年(1979)に架け替えられたもので、朱塗りの欄干に取り付けられた擬宝珠(ぎぼし)が、優雅な旧橋の姿を今に伝えている。

瀬田の夕照

(写真は 瀬田の夕照)

蕪矢根(雲住寺)

 瀬田には瀬田川の下にある龍宮の乙姫に頼まれ、巨大なムカデを退治した武勇伝の伝説が残っている。藤原秀郷(通称・俵藤太)にまつわる遺品や資料が伝わる俵藤太ゆかりの雲住寺は、瀬田の唐橋東詰にある。この寺は俵藤太から14代目の子孫で蒲生郡小御門城主だった蒲生高秀が、応永15年(1408)秀郷追善供養のためにムカデ退治ゆかりの瀬田の唐橋のたもとに建立した。
 この寺は瀬田の唐橋の守り寺にもなっており、瀬田の夕照が眺められる部屋もある。雲住寺のすぐ南には秀郷を祭る龍王宮秀郷社もある。

(写真は 蕪矢根(雲住寺))

 雲住時に伝わる俵藤太にかかわる資料は多い。俵藤太縁起書や俵藤太が持っていた太刀の鍔(つば)、蕪(かぶら)矢根、鎗鉾(やりほこ)先など、剛腕の武将らしい遺品が多い。俵藤太縁起には龍宮の乙姫からもてなしを受ける藤太も描かれている。
 瀬田川ではアユのシーズンになると船上から投網を打ち、捕れたてのアユを屋形船の船上で味わう風流な船遊びに人気を集まる。瀬田の唐橋そばの瀬田川中之島には、こうした船遊びや料理が味わえ、瀬田の夕照も眺められる料理旅館「あみ定」がある。

しじみ飯(料理あみ定)

(写真は しじみ飯(料理あみ定))


 
石山の秋月  放送 5月6日(火)
 石山寺は東大寺建立に尽力した僧・良弁(ろうべん)が開いた観音霊場。瀬田川や周囲の山々、琵琶湖の景色が一体となった中で、名月が眺められる近江八景の「石山の秋月」に選ばれている。
 良弁は東大寺建立にあたって、琵琶湖周辺から切り出された東大寺建立用材の集積地として、石山院と言う役所を設けた。東大寺完成後の天平宝字5年(761)石山院を寺にしたのが石山寺の始まりとされている。本尊の如意輪観音半跏像(国・重文)は、自然の岩盤の上に安置されている秘仏で33年に一度開帳される。次のご開帳は2024年となっている。

石山の秋月

(写真は 石山の秋月)

珪灰石(天然記念物)

 石山寺の境内には国の天然記念物に指定されている珪灰石(けいかいせき)が、あちこちに顔を出している。この珪灰石の岩石に囲まれるように国宝の本堂、多宝塔などの諸堂塔が建ち並んでおり、石山寺の寺名もこの珪灰石に由来している。珪灰石は三斜晶系(さんしゃしょうけい)と言う岩石で、石灰石が熱で変化し波状の層を成し、古来から霊石として信仰を集めていた。
 平安時代には京に近い観音霊場として歴代天皇や貴族らの参詣、参籠や琵琶湖の船遊びを兼ねた物見遊山と石山寺参詣を兼ねた石山詣が盛んだった。

(写真は 珪灰石(天然記念物))

 石山寺は紫式部が源氏物語を書き始めた寺としても知られている。石山寺に参籠していた紫式部が、瀬田川の対岸の山から昇った中秋の名月が琵琶湖に映え、その眺めに心を打たれた時に源氏物語の構想が浮かび、須磨の巻、明石の巻を書き上げたと言われている。
 本堂内には「源氏の間」があり、紫式部の人形がおかれている。寺には紫式部画像も残っており、中秋の名月の宵には紫式部祭が催され、境内には源氏物語を生んだ風情がかもし出される。
また、石山寺は平安文学の舞台となった所で「蜻蛉日記」「和泉式部日記」「枕草子」「更級日記」などに取り上げられている。

月見亭

(写真は 月見亭)


 
堅田の落雁  放送 5月7日(水)
 歌川広重の近江八景「堅田の落雁(らくがん)」は雁の群れが渡って行く冬の夕空の下に浮御堂と港に停泊する丸子船が描かれている。
 湖中に延びた橋の先端の宝形造の浮御堂は、大津に数ある景勝地の中でも特に素晴らしいものである。浮御堂の寺院名は満月寺といい、平安時代中期の長徳年間(995〜99)に比叡山・横川の恵心僧都・源信が、湖上安全と衆生済度を願って創建した。源信が千体の阿弥陀仏をまつる一堂を造立、千体仏堂と名付けたのが浮御堂の起こり。現在の浮御堂は昭和12年(1937)に建て替えられたものである。

堅田の落雁

(写真は 堅田の落雁)

浮御堂

 浮御堂からは伊吹、鈴鹿、比良、比叡の峰々、琵琶湖の沖島などが一望でき、琵琶湖とその周囲の四季折々の風景を楽しむことができる。龍宮造の山門を入ると数寄屋風の本堂と茶室があり、本堂には官能的な本尊・聖観音像(国・重文)が安置されている。茶室は昭和9年(1934)の室戸台風で倒れた浮御堂の古材を使って建てられた。
 浮御堂のある堅田は中世、琵琶湖の湖上権を握っていた堅田湖族の本拠地であった。その堅田では江戸時代から戦前まで木造帆船「丸子船」が湖上の物資輸送に活躍していた。琵琶湖から姿を消していた丸子船がこのほど観光遊覧船として復活した。

(写真は 浮御堂)

 琵琶湖に1隻だけ残っていた丸子船を末長く保存しようと、まるみ遊船の社長が買い取り、琵琶湖で唯一、丸子船の建造技術を持っている船大工の親子が修復作業を引き受けた。この丸子船の修復費の工面や琵琶湖のシンボルとして次世代に伝えるため「琵琶湖丸子船保存会」が結成された。
 こうした努力が実り、琵琶湖にしかない丸子船(全長17m、総トン数12トン)が、琵琶湖で唯一の船大工によってよみがえり、2003年3月から近江八景、琵琶湖八景などを周航する遊覧船として再スタートした。船首舷側に丸子船独特の短冊形模様のダテカスガイも鮮やかに湖上を帆走する姿が見られるようになった。

まるみ遊船「丸子丸」

(写真は まるみ遊船「丸子丸」)


 
唐崎の夜雨  放送 5月8日(木)
 漆黒の闇に降りしきる雨の様を見事に描き出している歌川広重の「唐崎の夜雨」も近江八景のひとつ。この唐崎の夜雨にも描かれている「唐崎の松」は、日吉大社の摂社・唐崎神社の境内から琵琶湖に臨んで枝を広げている名勝地である。
 柿本人麻呂は「さざ波の 志賀の唐崎 さきくあれど 大宮人の 船まちかねつ」と、紀貫之は「唐崎の 松は扇の 要にて 漕ぎゆく船は 墨絵なりけり」と、芭蕉は「唐崎の 松は花より おぼろにて」と詠むなど、古くから多くの歌人、俳人らが唐崎の松を詠んだ詩歌を残している。

唐崎の夜雨

(写真は 唐崎の夜雨)

唐崎の松(唐崎神社)

 唐崎の松は日吉大社の古記によると舒明天皇6年(634)この地に住んだ琴御館宇志丸宿禰(ことみたちうしまろすくね)が植えたのが始まりと記されている。この初代の松は天正9年(1581)の大風で倒れ、二代目の松は大津城主が天正19年(1591)に植えた。この2代目の松は東西に72m、南北に86mの枝を伸ばし、高さ10m、幹の太さ9mもの大樹で、この松が広重の「唐崎の夜雨」に描かれた。この大樹も大正10年(1921)に枯れ、その実から育てたのが現在の三代目の唐崎の松。四方に枝を伸ばし、笠を伏せたように盛りあがる姿は、湖岸のヨシやかたわらの古びた石灯籠とマッチして昔ながらの趣が感じられる。

(写真は 唐崎の松(唐崎神社))

 唐崎神社は天皇の災いを祓う七瀬祓所として定められた霊場であった。また女人の信仰が厚く毎年7月28〜29日の夏越の祓いが行われるみたらし祭には、大勢の女性参詣者でにぎわう。
 このみたらし祭で奉納されるのが大きなみたらし団子。また赤、黄、白、青の団子を形取った串3本が1組になっているお守りを授かり、各家庭の門口に取り付けて病魔退散の魔除けとしている。この唐崎神社のみたらし祭に由来して、唐崎は“みたらし団子発祥の地”とされている。神社前にはみたらし団子の専門店があり、参詣をすませた人たちが唐崎の松を眺めながら、みたらし団子発祥の地の団子の味を味わっている。

みたらし団子(かぎや庄兵衛)

(写真は みたらし団子(かぎや庄兵衛))


 
粟津の晴嵐  放送 5月9日(金)
 歌川広重がなぎさに沿って延々と続く松並木を描いた近江八景の「粟津の晴嵐」のように、当時、粟津の東海道沿いの湖岸には500本を超す松が植わっていた。しかし、今残っているのはたった3本だけになった。最近、なぎさ公園の「膳所・晴嵐の道ゾーン」に、広重が描いたかつての浮世絵のような松並木の風景が復元され、湖岸をそぞろ歩きする格好の遊歩道になっている。
 なぎさ公園は総延長4.8km、総面積約30ha、6つのゾーンからなる湖に面した広大な公園で、季節の花が咲き乱れ、びわこ花噴水や比叡、比良の山々も一望できる。

粟津の晴嵐

(写真は 粟津の晴嵐)

びわ湖大津館

 なぎさ公園から北へ向かうと湖岸に見えてくる外観が桃山様式風の大きなコンクリート建築は旧琵琶湖ホテル、現在のびわ湖大津館である。
 旧琵琶湖ホテルは昭和9年(1934)国際観光ホテルとして建てられ、昭和天皇やヘレン・ケラー、ジョン・ウェインら多くの著名人が宿泊した。琵琶湖ホテルが浜大津へ移転したあと平成10年(1998)に旧ホテルの営業に終止符が打たれた。大津市がこの貴重な建物を保存するため買収し、ホールや会議室、市民ギャラリーなどを備えた多目的施設としてオープンした。

(写真は びわ湖大津館)

 この建物は桃山様式風の外観と洋風の内部のデザインが特徴で、歌舞伎座などを設計した岡田信一郎氏の設計でどことなく歌舞伎座に雰囲気が似ている。
 このびわ湖大津館には15の見どころがあると言われる。匠の技が生かされた寄せ木造りの床、正面玄関のエレベーターは1957年に設置された懐かしい代物、1階カウンター横の真ちゅうの格子は国際ホテル当時の両替所の窓口にあったものなど、貴重な建築やデザインがあちこちに見られる。
 びわ湖大津館に付随する庭は広さ約6000平方mの西洋式回遊庭園で、約100種、3000株のバラのほかラベンダー、スズラン、アネモネなど2万株の草花が四季を通じて咲き競う。

柳が崎湖畔公園

(写真は 柳が崎湖畔公園)


◇あ    し◇
瀬田の唐橋京阪電鉄石山坂本線唐橋前駅徒歩2分。 
JR東海道線石山駅下車徒歩15分。
雲住寺京阪電鉄石山坂本線唐橋前駅徒歩5分。 
JR東海道線石山駅下車徒歩18分。
石山寺京阪電鉄石山坂本線石山寺駅徒歩10分。 
JR東海道線石山駅からバス石山寺山門前下車。
浮御堂(満月寺)JR湖西線堅田駅からバス堅田出町下車徒歩7分。 
唐崎神社、唐崎の松JR湖西線唐崎駅下車徒歩10分。 
なぎさ公園膳所晴嵐の道ゾーン京阪電鉄石山坂本線粟津駅下車徒歩10分。
柳が崎湖畔公園・びわ湖大津館JR東海道線大津駅、京阪電鉄浜大津駅から
バス柳が崎下車徒歩3分。
◇問い合わせ先◇
大津市観光課077−528−2756 
大津市観光協会077−528−2772 
堅田観光協会077−574−1685 
雲住寺077−545−0234 
あみ定077−537−1780 
石山寺077−537−0013 
浮御堂(満月寺)077−572−0455 
まるみ遊船(丸子船)077−579−2265 
唐崎神社077−578−0009 
寺田物産(みたらし団子)077−578−0277
柳が崎湖畔公園・びわ湖大津館077−511−4187

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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