月〜金曜日 21時48分〜21時54分


橿原市 

 橿原市は奈良県中央部に位置し、万葉集の歌にも詠まれている美しい山容の天香久山、畝傍山、耳成山の大和三山がある。飛鳥時代の古代国家が生まれた明日香村のすぐ北にあり、市内にも飛鳥時代の藤原宮跡など数多くの宮跡や神武天皇陵をはじめ天皇陵も多い。
江戸時代の古い町家が残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている今井町は、一向宗の武装宗教都市「今井寺内町」として知られている。


 
今井町・今西家  放送 5月7日(月)
今西家住宅 今井町の細い道の町並みを歩くと落ち着いた気分にひたれる。清掃がゆき届いたごみのない道路、白壁や格子戸のある民家の雰囲気がそうさせるのだろうか。今井町は天文年間(1532〜1555)に本願寺の今井兵部が、一向宗の布教の拠点として建てた称念寺がその起こりとなった。一向宗を敵視していた織田信長から町を守るため、周囲に環濠や土を高く築いた土居をめぐらし、町内は筋違いの道路などで武装した「今井寺内町」を形成した。
 こうした今井町を代表する惣年寄の筆頭だったのが今西家で、漆喰(しっくい)白壁のその住宅は城郭を思わせるような重厚な造りになっている。
(写真は 今西家住宅)

惣年寄の旗印 今西家は十市氏の一族が永禄9年(1566)に今井町に移住し、三代目から今西姓を名乗った。惣年寄筆頭の今西家には警察権、司法権まで与えられており、強大な権力を持っていたようだ。住宅の中には犯罪者を裁く白洲やいぶし牢と呼ばれる拷問部屋があった。
 現在の建物は江戸時代初めの慶安3年(1650)に建てられたことが棟札や鬼瓦銘で明らかになっている。城郭を思わせる建物は別名「八ツ棟造」と言わる建築様式。2階正面の白壁の右側には川の字を井桁枠で囲んだ河合氏の定紋、左側には菱形3段の今井氏の旗印が描かれている。建物の中にもいろいろな工夫や当時の建築様式がこらされており、じっくりと見学すると今井町の強大な権力がうかがえる。
(写真は 惣年寄の旗印)


 
今井町・南北の御堂  放送 5月8日(火)
赦免状(称念寺) 大阪市の御堂筋に「北御堂」「南御堂」があるのはよく知られている。今井町にも「南の御堂」「北の御堂」と呼ばれている寺がある。
 武装宗教都市「今井寺内町」の発展の中核となったのが称念寺で、今井町の中心的存在で町の南にあり「南の御堂」と呼ばれている。広い境内には本堂をはじめ鐘楼、太鼓楼、客殿、庫裏など多くの建物があり、今井町の繁栄ぶりをうかがわせる豪壮な伽藍(がらん)である。本堂は大型真宗寺院の典型である10間四方の入母屋造の堂々たるもので、寺の文書などから江戸時代初期の寛永14年(1637)に建立されたと見られている。明治10年(1877)畝傍御陵に参拝された明治天皇の行在所が客殿にある。また、称念寺の住職は代々今井兵部の子孫が務めている。
(写真は 赦免状(称念寺))

順明寺 称念寺と同じ浄土真宗の寺で「北の御堂」と呼ばれている順明寺は16世紀末ごろの建立で、本堂は称念寺と同じように10間四方の大規模のものだった。現在の本堂は昭和47年(1972)に建て替えられた時に7間四方に縮小された。順明寺は旧十市郡新賀庄に創建された堂を16世紀末にこの地に移した。
 今井町のような寺内町は真宗寺院を中心に発達した町で、越前国吉崎御坊がその先駆で、山城国山科本願寺が寺内町の始まりで、次いで大阪の石山本願寺となる。ほかに近畿地方では富田林、貝塚、八尾、久宝寺、枚方などに寺内町が生まれた。
(写真は 順明寺)


 
今井町・商人の町  放送 5月9日(水)
河合家住宅 元亀元年(1570)本願寺と織田信長との間に戦いが起こり、今井町も織田軍の攻撃に備えて矢倉を築いたり、濠を深くするなど防備を固めた。天正3年(1575)信長の命を受けて明智光秀、筒井順慶の軍が今井町近くに陣を敷いて今井町をにらんでいた。
半年後、本願寺の降伏に伴い堺の豪商・今井宗久の斡旋で今井町も武装解除し、町の存続が許された。
 その後、今井町は商工業都市として発展し「海の堺」「陸の今井」と言われるほどになった。江戸時代には大商人がひしめき、大名に金を貸す金融業者、蔵元、両替商のほか、あらゆる商品を扱う商店が軒を連ねていた。また、今井札と呼ばれる紙幣を発行するほど信用度が高く、「大和の金は今井に七分」と言われほどの繁栄ぶりだった。
(写真は 河合家住宅)

蔵前座敷(旧米谷家) 平成13年現在、今井町の約700軒の民家の中で国の重要文化財指定の建物が8軒ある。また古い民家の8割近くが江戸時代の様式を保っており、近世の町並みがこれほど整って残っているのは全国でも今井町ぐらい。江戸時代に活躍した豪商の家が今も多く存在しており、これは今井町に大火がなかったことが幸いしている。
 そのひとつが重要文化財指定の河合家で、江戸時代中ごろの明和9年(1772)に酒造業を営んでいた記録がある。今井町で現在も酒造業を続けているのは河合家だけで、玄関には造り酒屋のシンボル・杉玉がぶらさがっている。舟形の酒のしぼり機や酒を献上する時に使った酒樽などが残っている。
 旧米谷家も重要文化財指定の商家で金物商を営んでいた。建物は江戸時代中ごろに建てられたものと見られ、土間には大きなかまどや煙り返しなどがそのまま残っている。裏庭の数寄屋風の蔵前座敷を付属させた土蔵は嘉永3年(1850)に建てられたことを示す棟木札がある。
(写真は 蔵前座敷(旧米谷家))


 
考古学を楽しもう  放送 5月10日(木)
束明神古墳の石室(復元) 各地の遺跡の発掘調査などで「橿考研(かしこうけん)」の名で知られている奈良県立橿原考古学研究所は、大和三山のひとつ、畝傍山の麓の橿原神宮外苑の中にある。その付属施設の博物館も近くにあり、旧石器時代から江戸時代まで、奈良県下の遺跡から出土した出土品などが展示されている。第一展示室が旧石器時代から弥生時代、第二展示室が古墳時代、第三展示室が飛鳥時代から江戸時代までとなっており、自分が見たい時代、興味を持っている時代へ直行することもできる。時代順の見学ルートを無視して見学することができ、見学時間に制約のある人などにはありがたい。
(写真は 束明神古墳の石室(復元))

円筒埴輪 展示ホールには1万分の1の奈良県下の遺跡分布模型があり、遺跡の位置を示す豆ランプがセットされており、ボタンを押すと豆ランプが点灯して遺跡の場所がすぐわかる。
 カラー写真をふんだんに使った展示で「見て楽しむ」、出土品の現物や模型の展示で「本物に学ぶ」、解説文で「読んで楽しむ」など、わかりやすい展示に工夫をこらしている。古墳時代の巨大な円筒埴輪や中庭に置かれた巨大な埴輪、再現された束明神古墳の石室などを見ていると、古墳時代へタイムスリップしたような気がする。
 正午になると「カーン、カーン」と言う音がスピーカーから流れてくる。「時計の音とは少し違うなあ?」と思っていると「ただいま復元銅鐸で正午をお知らせしました」とのアナウンサーの説明の声が……。この博物館に足を踏み入れると、考古学に興味のない人でも古代へのロマンを広げることができるかも知れない。
(写真は 円筒埴輪)


 
おふさ観音  放送 5月11日(金)
円空庭 藤原宮跡から“長寿道”と呼ばれている道を西へ進むと、古い民家の町並みの中におふさ観音がある。正式名は小房観音寺で、ぼけ封じの霊場として知られ参拝する人が多い。
小房観音寺の十一面観世音菩薩が胎蔵界、桜井市の安倍文殊院の文殊菩薩が金剛界と言われ、どちらが欠けても片参りとなり、両方の霊場に祈願してぼけ封じの霊験があると言われている。
 慶安3年(1650)おふさと言う女性が祈っていると、比叡山北谷の観音院の本尊・十一面観世音菩薩が白い亀の背に乗って現れ、この地に遷座されたとの伝えがある。
(写真は 円空庭)

さなぶり餅 境内の円空庭と呼ばれる日本庭園は、奈良公園の設計者・前部重厚氏によって補修され、現在の回遊式になったと言われている。
 約400種、500株のバラが境内に植えられており、5月から6月にかけて咲き競う。
おふさ観音では5月15日から6月30日まで「バラまつり」を開き、趣向を凝らした催しを計画している。また、ハーブも約100種、400株があり、花のころにはハーブの香りを風が運んでくる。
 おふさ観音の近くには、小麦を混ぜて作るこの地の名物和菓子の「さなぶり餅」あり、おふさ観音参拝の土産に買い求める人が多い。
(写真は さなぶり餅)


◇あ    し◇
今井町近鉄橿原線八木西駅下車徒歩5分。 
奈良県立橿原考古学研究所
 付属博物館
近鉄橿原線畝傍御陵前駅下車徒歩5分。
近鉄橿原神宮前駅下車徒歩10分。
おふさ観音近鉄橿原線八木西口駅下車徒歩15分。 
◇問い合わせ先◇
橿原市商工観光課0744−22−4001 
華甍(はないらか)今井まちなみ交流センター 0744−22−8179
財団法人今西家保存会0744−25−3388 
称念寺0744−22−5509 
順明寺0744−22−3393 
河合家住宅0744−22−2154 
旧米谷家住宅0744−23−8297 
奈良県立橿原考古学研究所
 付属博物館
0744−24−1185
おふさ観音0744−22−2212 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
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                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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