月〜金曜日 21時48分〜21時54分


滋賀・湖北路 

 琵琶湖にはいろいろ顔がある。湖南の華やかさに比べ、湖北は豊かな自然に囲まれ 静かな湖畔と言える。琵琶湖の北の余呉湖は静かに水をたたえ、鏡のようなその湖面 は神秘的な雰囲気さえ感じさせる。北陸街道、北国街道など交通の要所として栄えた 各町には古刹が多く、信仰心の篤い住民たちに守り継がれている。


 
羽衣伝説  放送 5月8日(月)
羽衣掛けの柳 琵琶湖の北にある小さな湖・余呉湖に伝わる羽衣伝説。今も湖畔には天女が衣を 掛けたと言われる、衣掛柳の大木が大きな枝を伸ばしている。
 昔、余呉湖のほとりに住む桐畑太夫と言う漁師が、柳の枝に掛けられていた美しい 衣を見つけ隠してしまった。この衣は湖で水浴びをしていた天女のもので、天女は衣 が無いと天に帰ることができないと嘆き悲しみ、衣を返して欲しいと懇願したが、男 は衣を返してやらなかった。天女は天に帰ることをあきらめこの男の妻になり、男の 子を生んだ。ある日、天女は男が隠していた衣を見つけ、子供のことを心に残しなが ら天に帰って行った。この男の子が菅原道真と伝えられている。
(写真は 羽衣掛けの柳)

菅原道真十一歳の像(菅山寺蔵) 余呉湖の羽衣伝説には、話の内容がやや違うものがほかに2つ3つある。ま た、羽衣伝説は余呉だけでなく日本の各地に残っている。この羽衣伝説のある所は、 必ず渡来人が来た地域と言ってよい。伝説の内容も天女が土地の男と結婚し、農耕、 養蚕、機織り、酒造り、陶器作りなどの技術を教える。これは渡来人が大陸文化を日 本人に伝授し広めた歴史と一致する。渡来人が自分たちの姿を天女に託して表現した と想像できる。
 余呉の衣掛柳は一般のしだれ柳とはイメージが違う。この柳はしだれ柳とは別品種 のマルバヤナギで、その名の通り葉が丸く、こんもりと枝を張る種類だと言う。
(写真は 菅原道真十一歳の像(菅山寺蔵))


 
近江の道真伝説  放送 5月9日(火)
菅山寺のお手植えのケヤキ 余呉の羽衣伝説では桐畑太夫と天女との間に生まれたのが菅原道真。その道真が6 歳から11歳まで勉学と修行をしたのが菅山寺。山門前のケヤキの巨木は「菅公お手 植えのケヤキ」で、千年以上も過ぎた今も大地にしっかりと根を張っている。境内の 木立に包まれ神秘的な雰囲気の朱雀池は“菅公姿見の池”と言われ、自らの姿を池に 映し等身大の像を彫った。この像をまつっているのが近江天満宮。
 菅山寺は奈良時代末の天平宝字8年(764)に建立された大箕寺がその前身。平安時代初めに道真が大箕寺を再興した時に菅山寺と改めた。菅山寺の里坊弘善館には「菅原道真11歳の像」など菅山寺の寺宝が保存、展示されている。
(写真は 菅山寺のお手植えのケヤキ)

菅山寺の朱雀池 歴史上の菅原道真は、平安前期の文人政治家・菅原是善の子として生まれた。道 真も父と同様、学者の道を歩み、その文才で頭角を現した。宇多天皇の知遇を受け、 参議、右大臣へと昇進したが、道真の才能を恐れた周囲の中傷によって太宰府権帥に 左遷され、太宰府で死去した。
 道真死去後、太宰府左遷を画策した人たちの死や疫病、干ばつなどが発生し道真怨霊説が流れた。時の天皇は道真の名誉を回復し、後には学問の神・天神としてまつられるようになった。
 近江の道真伝説は、神秘的な生涯の道真と天女を結びつけたものと見られる。ま た、管山寺を再興した道真との関わりからこの伝説が生まれたのかも知れない。
(写真は 菅山寺の朱雀池)


 
賤ヶ岳の合戦  放送 5月10日(水)
賤ヶ岳合戦絵図 南に琵琶湖や竹生島、北に余呉湖を望む標高422mの賤ヶ岳は、木之本町と余 呉町の境にある。天正11年(1583)に羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の合 戦の舞台となった歴史上で有名な山。
 賤ヶ岳の合戦は、織田信長が京都・本能寺で討たれた後の主導権争いで秀吉と勝家 が対立。最終的に両者が武力で決着をつける結果になり、賤ヶ岳で激突、雌雄を 決した。勝家はこの戦いに破れ、越前北ノ庄城(現・福井市)へ退却し、お市の方と 共に自害して果てた。この戦いに勝利した秀吉は、一気に勢力を拡大、天下を統一し て天下人となり豊臣時代を築き上げた。
(写真は 賤ヶ岳合戦絵図)

賤ヶ岳より琵琶湖を望む 賤ヶ岳の山頂には、賤ヶ岳七本槍の武将の像や古戦場の碑、戦没者霊地の碑など があり、屍を累々と重ねた激戦の跡を物語っている。賤ヶ岳の七本槍は、激戦の中で一番槍の功をあげ、合戦を勝利に導くきっかけを作った秀吉軍の若武者で、七本槍の 武将はそれぞれ大名などに取り立てられ、豊臣時代に重きをなした。
 血なまぐさい合戦にまつわる賤ヶ岳だが「新雪賤ヶ岳の大観」として、琵琶湖八景 のひとつに数えられている山でもある。今は木之本町側からリフトに乗れば、簡単に 山頂にたどり着ける。頂上からの360度の眺望の良さが人気を集め、気軽に楽しめ るハイキング地として家族連れらでにぎわう。
(写真は 賤ヶ岳より琵琶湖を望む)


 
小谷城  放送 5月11日(木)
小谷城跡絵図 湖北町と浅井町にまたがる小谷山上に浅井三代の居城だった小谷城遺構が残っており、国の史跡に指定されている。小谷城は初代・浅井亮政が大永年間(1521〜1528)に築城したとされている。天正元年(1573)三代・浅井長政が織田信長 の攻撃を受けて落城、長政は父・久政と共に城中で自刃し、浅井家は滅亡した。長政 の妻で織田信長の妹のお市の方と茶々ら3人の娘は、城攻め前に城外へ連れ出され落 ちのびた。お市の方は後に柴田勝家と再婚したが、羽柴秀吉に攻められ、越前北ノ庄 城で自害した。娘の長女・茶々は秀吉の側室となり秀頼の母で淀殿、次女・初は京極 高次夫人、三女・江は徳川秀忠夫人になるなど数奇な生涯をたどった。
(写真は 小谷城跡絵図)

局屋敷復元(歴史民族資料館) 小谷城跡には石垣や土塁が残っており、北側の大嶽へ伸びる尾根筋には砦跡など がある。地形を巧みに利用した壮大な山城で、日本五大山城のひとつにあげられ、浅 井三代の栄華がしのばれる。小谷山南麓の湖北町には浅井家の祈願所だった小谷寺が ある。
 浅井町・お市の里の歴史民俗資料館には、姉川古戦場、小谷城など浅井家にかかわ る資料や模型などを展示している。小谷山の南東麓にある須賀谷温泉は、長政やお市 の方、小谷城の武将たちが湯治に通ったといわれる温泉。また、羽柴秀吉の家臣で賤 ヶ岳七本槍のひとり、片桐且元は須賀谷の出身。
(写真は 局屋敷復元(歴史民族資料館))


 
観音の里  放送 5月12日(金)
十一面観音立像(石道寺・重文) 木之本町は古戦場・賤ヶ岳から「戦国の里」、良質の生糸から琴糸、三味線糸を 生産する「琴糸の里」と呼ばれると同時に「観音の里」とも呼ばれている。湖北地方 の人たちは信仰心が篤く、木之本町をはじめ近隣の町の寺には観音像が数多くまつら れている。
 石道寺は奈良時代初めの聖武天皇の時代に創建された古刹で、平安中期の作と言われるケヤキの一木造の本尊・十一面観音立像(国・重文)が安置されている。今は無 住になっている医王寺の十一面観音立像(国・重文)は、平安前期のクスノキの一木 造で眠っているような目と薄く結ばれた唇が印象的。
(写真は 十一面観音立像(石道寺・重文))

魚籃観音像(世代閣) 木之本町古橋地区の己高山七大寺に伝えられてきた貴重な文化財を保存し後世に 伝えようと、この地区の人たちが浄財を出し合い、文化財収蔵施設「世代閣(よしろ かく)」「己高閣(ここうかく)」を建設した。この両施設に旧鶏足寺(けいそく じ)の本尊だった十一面観音立像(国・重文)、魚の行商婦人の化身と言われ上半身 が豊満な裸身の魚籃(ぎょらん)観音像などが安置されている。ほかにも貴重な仏像 や浅井家ゆかりの屏風、古墳からの出土品などが展示され、有料で一般公開してい る。
 なお、無住の医王寺の拝観は事前に木之本町役場産業課へ予約が必要。石道寺も無 住だが月曜日以外は拝観できる。
(写真は 魚籃観音像(世代閣))


◇あ    し◇
衣掛柳JR余呉駅下車徒歩5分。 
弘善館JR木ノ本駅からバス坂口下車徒歩5分。 
JR余呉駅下車徒歩20分。
管山寺、近江天満宮JR木ノ本駅からバス坂口下車徒歩1時間30分
(健脚向)。
JR余呉駅下車徒歩2時間(健脚向)。
賤ヶ岳JR木ノ本駅からバス大音下車、賤ヶ岳リフトを降り徒歩10分。 
小谷城跡JR河毛駅からバス小谷城跡口下車徒歩30分。 
浅井町歴史民俗資料館お市の里JR長浜駅からバス浅井町役場で乗り換え
文化スポーツ公園下車。
須賀谷温泉JR河毛駅から送迎バス(要電話連絡)。 
石道寺JR木ノ本駅からバス井明神下車徒歩15分。 
世代閣、己高閣JR木ノ本駅からバス古橋下車徒歩5分。  
医王寺JR木ノ本駅からバス川合下車徒歩40分。 
◇問い合わせ先◇
余呉町役場0749−86−3221 
弘善館(近江天満宮菅山寺保存会)0749−86−2451 
木之本町役場0749−82−4111 
木之本町観光案内所0749−82−5135 
湖北町役場0749−78−1001 
浅井町役場0749−74−3020 
浅井町歴史民俗資料館・お市の里0749−74−0101 
須賀谷温泉0749−74−2235 
石道寺0749−82−3730 
医王寺(木之本町役場産業課)0749−82−4111 
世代閣・己高閣0749−82−2784

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会