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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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和歌山市 |
和歌山市は紀ノ川流域に縄文時代から人びとが住み、古代には国府がおかれた。羽柴秀吉が和歌山に城を築き、その後、徳川御三家・紀州徳川家の城下町として発展した。今週は紀州徳川家の居城・和歌山城を中心にその周辺の名勝を訪ねた。 |
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頼宣が築いた天守閣は弘化3年(1846)落雷で焼失した。当時、幕府は天守閣の再建は認めていなかったが、徳川御三家の家格から特別に許され、嘉永3年(1850)に再建された。明治維新の廃城で和歌山城の天守閣も取り壊される運命にあったが、地元有力者の要望で残った。しかし、第2次世界大戦の戦災で焼失、昭和33年(1958)、現在の鉄筋コンクリート造りの天守閣が再建された。和歌山城周辺は和歌山公園として市民に開放され、県立博物館、県立近代美術館などがある。 |
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(写真は 野面積み) |
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庭園内の茶室・紅松庵は和歌山市の名誉市民である故松下幸之助氏が寄贈したものである。荒廃していた紅葉溪庭園が、昭和48年(1973)に3年をかけた復元整備工事でよみがえった。この庭園復元を記念して松下氏が茶室を建て、昭和49年(1974)に寄贈した。 |
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(写真は 紅松庵) |
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刺田比古神社は延喜式にも記載されている古社で、岡の宮とも呼ばれこの地の産土神として崇敬されてきた。その後、豊臣秀吉が和歌山城を築城してから城の鎮護の神とした。さらに浅野氏時代、徳川氏時代も和歌山城の鎮護神として崇敬された。 |
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(写真は 紀伊名所図会) |
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羅漢寺の裏山にある寺の鎮守堂には防火の神の秋葉三尺坊大権現が祭られ、和歌山城の城下町を火災から守るために建立された。ここからこの裏山を秋葉山と呼ぶようになり、今は秋葉山公園として市民の憩いの場になっているほか、県民プールなどのスポーツ施設がある。 |
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(写真は 五百羅漢像) |
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今、番所の鼻一帯は番所庭園となっており、芝生の広場や四季折々の草花が植えれら、古くから海釣の名所としても名高い。白亜の雑賀崎灯台も望める潮騒と松風、紀淡海峡に沈む夕日の名所として人気の観光スポット。野外の家族団らんや撮影会、海釣り大会などを楽しむ観光客や家族連れの市民らで週末はにぎわう。 |
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(写真は 雑賀崎灯台) |
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