月〜金曜日 21時48分〜21時54分


神 戸 

 瀬戸内海の重要な港・大輪田の泊として知られていたように、国際貿易都市・神戸の歴史は古い。一方、市内には古い社寺や古墳、海外との交流を伝える遺構などの文化財も多い。今も外国人居留地跡や北野異人館などが神戸港開港当時の面影を伝えている。今回は異国情緒豊かな神戸の起こりや発展の歴史をたどってみた。


 
兵庫津の道  放送 5月21日(月)
清盛塚 国際貿易都市・ミナト神戸の歴史は古い。奈良時代から「大輪田の泊」と呼ばれいた港を、治承4年(1180)福原に都を遷都した平清盛が、対宋貿易の拠点にするため大改修した。大輪田の泊は南東の風を受けやすく、この風を防ぐため清盛は人口島・経ヶ島の築造に挑んだほどの力の入れようだった。
 神戸・福原に都を置き、大輪田の泊を中心に貿易を進め政治、経済の中心地にしようとした清盛の夢は半年で消え、都は再び京都に戻った。神戸には清盛にゆかりの寺や墓が多い。その中で最も有名な「清盛塚」が大輪田橋の近くにある。高さ8.5mもある壮大な石造の十三重塔で、弘安9年(1286)の銘があるところから、鎌倉幕府の執権・北条貞時が清盛の霊を弔うため建立したと伝えられている。清盛塚の近くには清盛像も建っている。
(写真は 清盛塚)

樽廻船模型(神戸市立博物館蔵) 大輪田の泊は鎌倉時代から兵庫津と呼ばれるようになり、中国や琉球の船が往来して外国の物産を日本へ運んだ。江戸時代には日本海側から下関を回って兵庫津へ入る船が増え、これが北前船へと発展し、蝦夷地・北海道の物産を京・大阪へ運び込むようになった。
また、徳川幕府の将軍が代わるたびに将軍を表敬訪問した、朝鮮通信使も江戸へ向かう途中、兵庫津に立ち寄っている。
 このように兵庫津は瀬戸内海最大の貿易港として地位を固めた。江戸時代末、欧米と結んだ修好通商条約に基づいて神戸港が開港され、東の横浜港と並んで日本への西洋文化の受け入れ窓口となった。阪神淡路大震災で神戸港は大きな被害を受けたが、ようやく立ち直り外国の豪華客船や大型貨物船、コンテナ船の入港が盛んになり、震災前の活況を取り戻しつつある。
(写真は 樽廻船模型(神戸市立博物館蔵))


 
開港と居留地  放送 5月22日(火)
摂州神戸海岸繁栄之図(神戸市立博物館蔵) 徳川幕府が安政5年(1858)に欧米5カ国と結んだ修好通商条約によって、慶応3年(1867)に兵庫港を開港することになっていたが、幕府は外国人とのトラブルを恐れて歴史ある兵庫港を避け、当時は寒村の港に過ぎなかった神戸港を開港場とした。この避難的な選択が世界にその名が知られる神戸港への発展のきっかけになったのは皮肉である。
 修好通商条約で開港地には外国人が住む居留地を設けなければならなかった。神戸の居留地は、東西が現フラワーロードから鯉川筋(現大丸百貨店西の通り)、南北は海岸通から大丸前の通りまでの約26haが指定された。
(写真は 摂州神戸海岸繁栄之図(神戸市立博物館蔵))

15番館 開港翌年の明治元年(1868)から、初代兵庫県知事になった伊藤博文のもとで居留地の建設は進められた。全体を126区画に分け、人道と車道を分けた道路、公園の設置、下水道の整備など最初から計画的な都市作りが行われた。
 居留地には修好通商条約を結んだアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5カ国の人々が住むようになり、領事館、銀行、商館、ホテル、住宅などが建ち並び、貿易、経済の中心地として発展していった。居留地に住んでいた外国人は、より快適な住宅環境を求めて山手に住宅を建てるようになり、現在は北野異人館などとして残っている。
旧居留地には当時の建物として15番館が残っており、ほかに居留地の区画番号を示す石柱や門柱などもわずかに残っている。
(写真は 15番館)


 
神戸市誕生  放送 5月23日(水)
生田神社 神戸の地名のルーツとなったのが生田神社。平安時代初めの大同元年(806)朝廷より生田神社に封戸として44戸が与えられた。封戸とは神に仕えて奉仕する人々の家のことを言い、神の封戸、すなわち神戸(かんべ)が、近世に神戸(こうべ)となった。
 この生田神社は神功皇后が新羅遠征の帰途、急に船が動かなくなり、ご神意を占ったところ生田神社の祭神となった稚日女尊(わかひるめのみこと)が「われは活田(いくた)に居ろう思う」と言い、今の生田の地に祭られたとの伝えがある。生田神社を中心に楠の森ができたが、この森は源平合戦、南北朝の争いで楠木正成が戦った湊川の合戦、織田信長の花隈城攻めなど、幾多の戦乱の舞台にもなった。
 こうした神戸の生い立ちを知る貴重な資料が、旧居留地の中心にあり、旧横浜正金銀行のビルを改築した神戸市立博物館に展示されている。
(写真は 生田神社)

神戸市立博物館 生田神社に奉仕する集団から地名が生まれた「神戸市」は明治22年(1889)に誕生した。市制施行当時は中央区と兵庫区の一部で、面積は21平方km、人口は13万5000人に過ぎなかった。以後、周辺の町村を合併して市域はどんどん広がり、神戸港を中心にした貿易、商工業都市として発展し、日本を代表する国際都市となった。
 明治10年(1877)ごろ、盛んになった産業にマッチ製造がある。神戸でもマッチの製造が盛んになり、明治中ごろにはマッチ生産高全国一位を誇るようになった。一時は輸出品の花形になったが大正時代中ごろから急速に衰え、代わってゴム工業が盛んになった。このゴム工業から発展してケミカルシューズの製造が始まり、今日の神戸の代表的地場産業へと成長した。
(写真は 神戸市立博物館)


 
ポートアイランド  放送 5月24日(木)
市民広場 神戸・三宮からポートライナーで結ばれている人口島がポートアイランド。神戸港に入港する船の増加、大型化で新しい埠頭が必要になってきた。この難題を解決するには海面を埋め立てる人工島の造成以外にないとの結論に達し、昭和38年(1963)11月、最初のポートアイランドの計画図が示された。
 昭和42年(1967)4月、須磨の土砂が三宮沖の海面に初めて投入されポートアイランドの埋め立て工事が始まった。15年後の昭和56年(1981)総面積436haの人工島・ポートアイランドが完成した。完成を記念して「新しい海の文化都市の創造」をテーマに「ポートピア81」が同年3月から9月まで半年間開かれ、海上文化都市・ポートアイランドの見物を兼ねた人々でにぎわった。
(写真は 市民広場)

神戸ポートピアランド 完成したポートアイランドの外周部にはコンテナバースなどの港湾施設、中心部には住宅、学校、病院などの都市機能施設やコンベンション施設、商業施設などがあり、「住み、働き、憩い、学ぶ」と言う総合的な都市機能を備えた海上文化都市が誕生した。
 神戸の中心地・三宮とは自動列車制御装置による完全無人運転のポートライナーで結ばれており、海上都市に住む市民やポートアイランドへ向かう人たちの足となっている。
 現在、ポートアイランド南側の2期工事、総面積390haの埋め立てがほぼ終わり、来年の平成14年(2002)完成を目指して最後の工事が進められている。すでに高規格のコンテナバースや関西国際空港を結ぶアクセス基地・T−CATなどがオープンしている。さらにこの沖合いには神戸空港建設の埋め立て工事が始まっており、21世紀を視野に入れた神戸の都市造りが進んでいる。
(写真は 神戸ポートピアランド)


 
摩耶山  放送 5月25日(金)
天上寺跡 阪神淡路大震災で被害を受け6年間、運転を休止していた「まやケーブル・ロープウエイ」が、車両、駅舎も新しくなって平成13年(2001)3月に営業を再開した。古くから180度のパノラマ眺望が楽しめる景勝地、また信仰の山として親しまれてきた摩耶山へ再び気軽に行けるようになった。
 営業を再開したケーブル・ロープウエイの愛称は「まやビューライン夢散歩」で、駅名も下駅が摩耶ケーブル駅(旧ケーブル下駅)、中間駅が虹の駅(旧ケーブル・ロープウエイ摩耶駅)、山上駅が星の駅(旧ロープウエイ摩耶山上駅)となった。
 ケーブルカーのデザインは山の音楽隊と街の音楽隊の交流を表現し、色はケーブルカー、ロープウエイともマヤランの花の色のエビ茶色と摩耶山上の森に生息するモリアオガエルのこけ色となった。愛称車名はケーブルカーが「ゆめあじさい」と「にじあじさい」。ロープウエイが「おりひめ」と「ひこぼし」。六甲山へのロマンをかき立てるようなデザイン、色、愛称に誘われてハイキング客が増えそうだ。
(写真は 天上寺跡)

摩耶夫人像(摩耶山天上寺蔵) 摩耶山上にあるのが飛鳥時代の大化2年(646)に法道仙人の創建と伝えられる天上寺。平安時代に中国・唐から帰朝した空海が持ち帰った釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)像を安置して以来、背後の山を摩耶山と呼ぶようになった。南北朝時代には僧坊が300を超え、僧も3000人を上回ったと言われるほどの大きな寺だった。
 天上寺は火災などで諸堂をたびたび失っており、現在の本堂などは、昭和51年(1976)のさい銭泥棒の失火によって焼失した後、やや北側に再建されたものだ。仏母の摩耶夫人をまつる寺として女性の信仰を集め、安産、子育ての守護仏として知られ「摩耶参り」「摩耶詣」などと言われほど参詣者が多い。元の天上寺跡はロープウエイ駅の方へやや下がった所にあり、神戸市の史跡公園となっている。
(写真は 摩耶夫人像(摩耶山天上寺蔵))


◇あ    し◇
神戸市立博物館JR、阪急、阪神各三宮駅下車徒歩7分。 
清盛塚JR兵庫駅下車徒歩10分。 
旧居留地JR、阪急、阪神各三宮駅下車徒歩5分。 
生田神社JR、阪急、阪神各三宮駅下車徒歩5分。 
ポートアイランドJR、阪急、阪神各三宮駅からポートライナー。 
天上寺まやロープウエイ星の駅(旧山上駅)下車
徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
神戸市総合
インフォメーションセンター
078−322−0220
神戸市観光交流課078−322−5338 
神戸市立博物館078−391−0035 
生田神社078−321−3851 
ポートアイランド
(神戸市港湾整備局)
078−322−5670
天上寺078−861−2684 
まやケーブル・ロープウエー 078−271−1160

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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