月〜金曜日 18時54分〜19時00分


歴史街道メインルート 阪神間 

 歴史街道メインルートシリーズ第8週は、京、大坂から西国への街道筋だった阪神間の尼崎から宝塚、西宮、芦屋各市にかけての社寺や産業、文化の史跡などを訪ねた。


 
城跡から寺町へ(尼崎市)  放送 5月27日(月)
 尼崎は工業都市のイメージが強い街だが、もともとは元和3年(1617)近江・膳所から転封された戸田氏鉄(うじかね)が築いた尼崎城の城下町。京、大坂と西国を結ぶ陸路、海路の要衝だったことから、大坂城を守る支城の役目を持った10万石級の大名に匹敵する立派な城だったと言われている。
 現在、尼崎城をしのぶものはほとんど残っておらず、阪神電鉄尼崎駅の南東に「城内」の地名がその名残。このあたりが天守閣があった城の中心で、今は城内小学校、城内中学校、城内高校がある。天守閣は高さ18m、四層四階の威容を誇っていたと言う。城内小学校の中庭には昭和15年(1940)児童らがコンクリートで作った天守閣の模型があり、なかなかの力作だ。

尼崎市立城内小学校

(写真は 尼崎市立城内小学校)

寺町

 阪神電鉄尼崎駅周辺の市街地の一角に、寺院が建ち並びしっとりと落ち着いた雰囲気の町並がある。ここが寺町で、氏鉄が城下町を建設する際、寺院勢力を統括するのを目的に各地にあった寺院を城の西に集めた。今も由緒ある11の寺院が静かなたたずまいを見せており、この一角を歩くとホッとする気分に浸れる。
 寺町でひときわ威容を誇っているのが本興寺で応永27年(1420)の創建。境内には国の重要文化財に指定されている方丈、開山堂、三光堂などがある。寺町のシンボルとも言える多宝塔(国・重文)があるのは長遠寺。羽柴秀吉が本能寺の変の後、毛利氏と和議を結び京へ向う途中、明智光秀軍に追われて逃げ込み、味噌すり坊主に化けて助かったとの伝説が残る広徳寺などがあり、ゆっくり各寺をまわるのも面白い。
 大覚寺門前には古い歴史を持つ琴浦焼の窯元があり、大覚寺と善通寺では節分の日に張り子の「姫だるま」が参詣者に授けられる慣わしが残っている。

(写真は 寺町)


 
西宮郷(西宮市)  放送 5月28日(火)
 西宮神社の南東一帯は灘五郷の中の西宮郷で、多くの酒造工場がある。この地には六甲山系に降った雨が、伏流となり「宮水」として湧き出ている。この宮水が灘の酒のうまさの原点である。
 江戸時代、灘の酒は暑い夏が過ぎると秋落ちと言われて味が変わった。ところが西宮の酒だけはむしろ秋を迎えて一段と味がさえ、芳じゅんになり秋晴れと称賛された。桜正宗の当主・山邑太郎左衛門が天保11(1840)この味の違いを追及したところ、仕込み水、いわゆる宮水にあることを発見した。以来、灘の酒造家はこぞって西宮の水、つまり宮水を用いるようになり、一躍、灘の酒は銘酒としてその名を天下に広めることになった。山邑が見つけた宮水の井戸のそばには「宮水発祥之地」の石碑が立っており、今も宮水がコンコンと湧き出ている。この宮水を管理している酒造会館に連絡しておけば、この宮水を飲ませてもらえる。

宮水

(写真は 宮水)

日本盛 酒蔵通り煉瓦館

 宮水はコウジ菌や酵母の増殖の栄養となり、日本酒の醸造に有用なカルシウムやリン、カリウム、クロールなどを豊富に含んでいる純度の高い硬水である。一方、酒を変色させ香りを悪くするとして嫌われている鉄分が極めて少ないのも宮水の大きな特徴である。この宮水の硬水で磨いた灘の酒は、その飲み口から男酒と言われ、反対に軟水の名泉で仕込んだ伏見の酒は女酒と言われ、それぞれ関西を代表する銘酒として知られている。
 灘五郷には酒蔵を活用し、酒造りの工程や酒造りの道具などを展示した酒の博物館が多い。西宮郷にも「見て、触れて、味わって」をキャッチフレーズに日本酒の魅力を体験できる「日本盛 酒蔵通り煉瓦館」がある。酒造りの工程などさまざまな酒造の資料を展示しているほか、きき酒コーナー、お酒とおいしい料理が楽しめるレストラン「漁庵}、米ぬかをベースにして開発して化粧品「米ぬか美人」が体験できるフェイシャルエステ、酒器や食器、装飾品などのガラス製品作りが体験できるガラス工房「やまむら」、酒店では手に入れることが難しい酒を販売している売店などがある。

(写真は 日本盛 酒蔵通り煉瓦館)


 
必勝祈願の広田神社(西宮市)  放送 5月29日(水)
 広田神社は今から約1800年前、神功皇后が新羅遠征の帰途に天照大神の荒御魂(あらみたま)を祭って創建したと日本書紀に記されている古社で、国家鎮護、武運長久、勝運の神として崇敬されてきた。広田神社は都の西にある重要な神社なので、中世の貴族たちは「西宮」と称し、広田神社への参拝を「西宮参拝」などと言っていた。これが西宮の地名の起源となった。
 平安時代には和歌の神として崇敬され、神社で盛大な歌合わせが行われた。中世以降は武将の崇敬が篤くなり、源頼朝が平氏追討を祈願して淡路国広田庄を寄進した寄進状が残っている。慶長9年(1604)には豊臣秀頼、寛文3年(1663)には徳川4代将軍・家綱がそれぞれ社殿を修理している。

神功皇后出陣図

(写真は 神功皇后出陣図)

源頼朝寄進状

 阪神タイガースは球団結成以来、勝運の神として信仰されてる広田神社で毎年必勝祈願の参拝をしている。2002年はこの御神徳の顕れか、開幕以来、勝運に恵まれ快進撃を続けており、このまま優勝へ突き進んで欲しいとファンの熱い声援を受けている。
 広田神社境内を含む広田山公園一帯は、2万株にもおよぶコバノミツバツツジの群落があり、兵庫県の天然記念物に指定されている。4月上旬にはこのツツジがいっせいに薄紫色の花をつけ、一帯が紫雲がたなびいたようになり、大勢の花見客が訪れる。

(写真は 源頼朝寄進状)


 
文豪の足跡・谷崎潤一郎記念館(芦屋市)  放送 5月30日(木)
 谷崎潤一郎は明治19年(1886)東京・日本橋で生また。東京大学中退後に「誕生」「刺青」などの作品を発表、文壇に登場した。大正12年(1923)37歳の時、関東大震災にあい、芦屋に住む小学校時代の親友を頼って関西に移り住んだ。関西に嫌悪感さえ抱いていた谷崎は東京復興までの腰かけのつもりだったが、しだいに関西の風土気候、食べ物の味わいにひかれ定住することになった。
 船場の豪商の夫人・松子と出会い、心をひかれた。そして昭和10年(1935)武庫郡精道村打出下宮塚(現・芦屋市宮川町)の自宅で松子と祝言をあげ、以後、20年を阪神間で暮らした。

「細雪」

(写真は 「細雪」)

谷崎潤一郎記念館

 阪神間で生活する中で「痴人の愛」「蓼喰ふ蟲」「吉野葛」「春琴抄」などの作品を発表、そして阪神間を舞台にした代表作「細雪」を出した。
 芦屋市谷崎潤一郎記念館は生誕100年の記念事業として芦屋市民から「谷崎潤一郎の独立記念館を」との声が高まり、芦屋市の図書館、美術博物館を含む文化ゾーン建設構想の一環として建設が具体化、昭和63年(1988)年にオープンした。建物は鉄筋2階建で展示室、ロビイ、収蔵庫を備えたものだが、外観は寄せ棟、日本瓦ぶきの和風となっている。松子夫人ら遺族から寄せられた遺品や資料のほか、記念館が収集した資料と合わせ約2500点を所蔵、逐次展示している。記念館敷地内の約300平方mの日本庭園は、谷崎の関西での最後の住居となった潺湲亭(せんかんてい)の庭を模して作られた。

(写真は 谷崎潤一郎記念館)


 
西国三十三カ所第24番札所・中山寺(宝塚市)  放送 5月31日(金)
 中山寺は約1400年前に聖徳太子が創建したと伝えれるわが国最初の観音霊場で、日本霊跡三十三所観音巡拝では第1番札所だった。平安時代に花山法皇が三十三カ所巡りを中興した時、その道順に従って順番を定め中山寺は西国三十三所観音霊場の24番札所となった。この寺は一般には安産祈願の寺として全国にその名が知られ、昔から朝廷の信仰も篤かった。
 本尊の十一面観音菩薩像(国・重文)は、インドの王后シュリーマーラー・勝鬘(しょうまん)夫人が、女人救済とお産の苦痛を救うため、自らの等身像を刻んだと言われる像を模したことから、安産の観音さまとして信仰を集めた。平安時代後期、本尊が多田城主の妻の不信心と邪心を戒めた「鐘の緒」の伝説から、邪心や悪心のある女性でも中山寺の観音さまに祈れば許され、安産になるとのいわれが生まれた。今でも「安産の腹帯」を求めて各地から参拝する妊婦が多い。

本尊十一面観世音菩薩立像

(写真は 本尊十一面観世音菩薩立像)

閻魔大王

 現在の本堂は豊臣秀頼が、慶長8年(1603)に再建した。世継ぎの子宝に恵まれなかった秀吉が中山寺に祈願して淀君が懐妊、秀頼を授かったことへの感謝込め、秀頼が焼失した本堂などの伽藍(がらん)を再建した。桃山時代の代表的な寺院建築として今に伝わっている。
 豊満な姿の本尊・十一面観音立像の脇には、同じ姿の脇仏・十一面観音像が二体あり、この三体の観音像の顔を合わせると33面になり、西国三十三カ所の霊場を巡拝したのと同じ功徳があると言われている。本尊・十一面観音像は毎月18日に開帳され拝観することができる。
 御詠歌「のをもすぎ さとをもゆきて なかやまの てらへまいるは のちのよのため」。

(写真は 閻魔大王)


◇あ    し◇
尼崎城跡、尼崎市寺町阪神電鉄尼崎駅下車徒歩5分。 
宮水発祥之地(酒造会館)阪神電鉄西宮駅下車徒歩10分。 
日本盛・酒蔵通り煉瓦館阪神電鉄今津駅、西宮駅下車徒歩15分。   
広田神社JR東海道線西宮駅、阪急電鉄西宮北口駅、阪神電鉄西宮駅からそれぞれバス広田神社前下車。 
芦屋市谷崎潤一郎記念館阪神電鉄芦屋駅下車徒歩15分。 
JR東海道線芦屋駅、阪神電鉄芦屋駅、阪急電鉄芦屋川駅からバス緑町下車。
中山寺阪急電鉄宝塚線中山駅下車。 
JR福知山線中山寺駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
尼崎市役所広報課06−6489−6021 
西宮市役所文化振興課0798−35−3425 
宮水発祥之地(酒造会館)0798−22−4996 
日本盛・酒蔵通り煉瓦館0798−32−2525 
広田神社0798−74−3489 
芦屋市谷崎潤一郎記念館0797−23−5852 
中山寺0797−87−0024 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会