月〜金曜日 21時48分〜21時54分


滋賀・甲賀の里 

 甲賀路は古くは壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのおうじ)が兵を進めた要所であり、聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)造営の地でもあった。平安時代には京からの伊勢参宮への街道、江戸時代には東海道の宿場が栄えた。近代に入って国道1号線へと姿を変え、鈴鹿峠に代表される日本の東西を結ぶ動脈の通過地域だった。
このように古代から多くの人たちが往来した甲賀路には、多くの文化財や古社寺が残っている。


 
土山宿  放送 5月29日(月)
土山宿本陣・関札 鈴鹿馬子唄や安藤広重の「雨景色」の絵で有名な、東海道の難所のひとつ鈴鹿峠 の麓の土山宿は、東海道五十三次の49番目の宿場町。街道筋には当時の繁栄をしの ばせる町並みが残り、宿場町の風情を今に伝えている。
 土山宿のほぼ中央に土山本陣がある。寛永11年(1634)、三代将軍徳川家光 の上洛の際に設けられた。本陣は江戸時代、参勤交代の大名や勅使、公家らの貴人が 宿泊した宿で、一般の旅篭(はたご)とは区別されていた。土山本陣は甲賀武士の子 孫、土山喜左衛門が初代本陣役を務めて以来、明治3年(1870)まで土山家が代 々務めた。広大な土山本陣には、上段の間、大広間、玄関などが当時のままで残って いる。宿泊した大名らの名が見える宿帳や関札、家具、調度品なども数多く保存され ている。内部の見学には予約が必要。
(写真は 土山宿本陣・関札)

土山茶・茶摘み 土山の特産に土山茶がある。土山町内には野洲川の清流に沿って茶畑が延々と広 がり、滋賀県下一の生産量を誇っている。土山の茶は南北朝時代の文和5年(135 6)、南土山の常明寺の僧・鈍翁が京都・大徳寺から茶の種子を持ち帰り、寺で栽培 したのが始まりと言われている。江戸時代に入って、東海道を行き来する旅人に茶を 販売するようになり、土山茶が全国に知られるようになり、栽培と生産が本格的にな った。明治時代に茶が輸出産物になって、土山茶も生産量が一挙に増えた。
 昔ながらに茶を手で摘む作業は一部の高級茶だけで、今は動力式茶刈鋏や乗用の大 型機械で刈り取られ、近代的な製茶工場で生産されている。
(写真は 土山茶・茶摘み)


 
田村神社  放送 5月30日(火)
社殿 土山町の中心地から鈴鹿峠への登りにかかるあたりに、平安時代初期の征夷大将軍 ・坂上田村麻呂を祭る田村神社がある。昔、鈴鹿峠に住んでいた鬼が、通行人を襲い 旅人たちに恐れられていた。このうわさが都にまで聞こえ、嵯峨天皇が坂上田村麻呂 に鬼退治を命じた。鈴鹿峠で鬼を見つけた田村麻呂は矢で鬼を射殺し、鬼は退治され た。
 田村麻呂が没した翌年の弘仁3年(812)に、嵯峨天皇がこの地に田村麻呂を祭 り、以来、厄除けの神として広く信仰を集めるようになった。
(写真は 社殿)

御手洗川 田村麻呂は矢の功徳で万民の災いを除こうと、鬼を退治したあと残った1本の矢 を放ち、その矢が落ちたところに竹の芽が出て現在の矢竹となり、参詣者に授けられ る神矢のいわれとなった。また、鬼退治をした日が2月18日だったことから、田村 神社の厄除祭は2月18日を中心に3日間行われている。
 節分の日、社殿の前を流れる御手洗川に、自分の年の数だけ願いを込めた福豆を東 に向かって投げ、川の水に流すとすべての禍が流れ去るとの伝えがあり、毎年、豆を 投げる人の姿が見られる。
(写真は 御手洗川)


 
大池寺(だいちじ)  放送 5月31日(水)
水口城 水口町は城下町でもあり、宿場町でもあり、都から伊勢に通じる交通の要所だっ た。天正13年(1585)羽柴秀吉が、家臣に水口岡山城を築かせてから城下町と して発展した。江戸時代になって徳川幕府直轄地として代官所が置かれた。
 寛永11年(1634)、三代将軍家光が上洛する際の宿泊施設として築かれたの が水口城で、築城には各地に名園を残している小堀遠州も築城奉行のひとりだった。 その後、天和2年(1682)加藤明友が城主として入り、水口藩が誕生した。水口 城の堀はわき出る清らかな水をいつもたたえ、碧水(へきすい)城とも呼ばれてい た。
(写真は 水口城)

大池寺・蓬莱庭園 水口にはもうひとつ、小堀遠州が作庭した名園「蓬莱庭園」が大池寺に残ってい る。大池寺は天平年間に行基が開創したと伝えられている。寺の周りに大きな池があ ることから大池寺と呼ばれるようになった。
 書院の前に開ける蓬莱庭園は、サツキの大刈込式観賞庭園。刈り込まれたサツキの 樹形が大海の大波小波を現し、白砂の水面上に刈り込みで船の形にした宝船を浮かべ ている。この名園が華やぐのはサツキが花をつける季節で、今年は5月末から6月中 旬までが見ごろになると言う。
(写真は 大池寺・蓬莱庭園)


 
忍びの里  放送 6月1日(木)
甲賀流忍術屋敷 甲賀町、甲南町は甲賀流忍術発祥の地として知られている。時代劇の映画やテレ ビドラマで、忍者が活躍するシーンが見られるが、甲賀流忍術は伊賀流忍術と共に忍術の双璧。
 甲賀町の「甲賀の里・忍術村」は、約2万5000uの広大な敷地に、隠し階段、 どんでん返しなどがあるからくり屋敷、1500点の忍術資料を展示した忍術博物館 のほか、手裏剣投げや水ぐも池で水の上を歩く忍者の術に挑戦できる。
(写真は 甲賀流忍術屋敷)

忍術資料【萬川集海】 甲賀町の西隣、甲南町には「甲賀流忍術屋敷」がある。甲賀武士53家の筆頭格 望月出雲守の住宅で、約300年前の元禄年間(1688〜1704)の建築。外観 は茅ぶき平屋建ての農家のように見えるが、内部は3階構造で通路の落とし穴、どん でん返し、回転戸、隠しはしご、縄はしごなど、外敵に備えたからくりや複雑な仕組 みが施されている。ほかに忍者が使った小道具類も展示され、忍者の知恵と工夫がう かがえる。
(写真は 萬川集海)
【注】萬川集海(まんせんしゅうかい)全22巻からなる忍術書で「ばんせんしゅうかい」とも読む。延宝4年(1676年)に伊賀の郷士・藤林左武次保武(さむじやすたけ)が、伊賀・甲賀の代表的な忍者の考案した忍術、忍器、および当時の諸流を比較検討し集大成した書。忍器の製作、使用法や忍術の精神的側面についても詳しく述べられている。


 
檪野寺(らくやじ)  放送 6月2日(金)
十一面観音座像(重文) 平安時代初期、延暦11年(792)に伝教大師・最澄が、比叡山延暦寺根本中 堂建立の用材を求めて甲賀の地を訪れた時、霊夢によって檪(いちい)の木に十一面 観音像を彫った。この観音像を本尊として最澄が開いたのが檪野寺と言われ、親しく 「いちいの観音」とも呼ばれ観音信仰の参詣者が多い。山門前には信者が奉納した観 音石像がずらりと並んでおり、千体の観音石像を安置したいと住職は願っている。
(写真は 十一面観音座像(重文))

田村毘沙門天像(重文) 本尊の十一面観音座像(国・重文)は高さ約3.3mで、座像としてはわが国で最大級の仏像(木造)になる。この本尊は秘仏ではあるが、年に5回開帳され顔を拝むことができる。
 坂上田村麻呂が本尊の観音さまに祈願して、鈴鹿峠の盗賊退治に向かい、首尾よく 賊を退治することができたので、自ら等身大の毘沙門天像を彫り奉納した。檪野寺に は本尊の十一面観音像、毘沙門天像など20体の仏像が、国の重要文化財に指定され ている。また、境内には最澄が観音像を彫ったと言われる檪の古木も残っている。
(写真は 田村毘沙門天像(重文))


◇あ    し◇
土山本陣JR三雲駅からバス土山下車5分。 
田村神社JR三雲駅からバス田村神社前下車1分。 
水口城跡近江鉄道水口城南駅下車徒歩3分。 
大池寺近江鉄道水口城南駅から徒歩20分。 
甲賀の里・忍術村JR甲賀駅から送迎バス。 
甲賀流忍術屋敷JR甲南駅から徒歩25分。 
檪野寺JR甲賀駅からバス観音前下車1分。 
◇問い合わせ先◇
土山町観光協会0748−66−1101 
土山宿本陣0748−66−0007 
土山町茶業協会
   (町役場農林課内)
0748−66−1101 
田村神社0748−66−0018 
水口町観光協会0748−63−4068 
水口城資料館0748−63−5577 
大池寺0748−62−0396 
甲賀町観光協会0748−88−4101 
甲南町観光協会0748−86−4161 
甲賀の里忍術村0748−88−5000 
甲賀流忍術屋敷0748−86−2179 
檪野寺0748−88−3890

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会