月〜金曜日 18時54分〜19時00分


滋賀・比叡山 

 比叡山は伝教大師・最澄が開いた天台教学の道場で、真言密教の高野山とともにわが国を代表する霊山である。行楽シーズンには観光客や延暦寺への参拝者でにぎわうが、観光ルートから一歩はずれ、うっそうと茂る巨樹や杉木立の中にひっそりとたたずむ堂塔周辺には、修行道場の張りつめた雰囲気が感じられる。今週はこのような比叡山を梅雨の晴れ間に訪ねた。


 
坂本ケーブル  放送 6月23日(月)
 標高848mの比叡山の山上へ登るルートやアクセスの方法はいろいろある。最もポピュラーなのが東側山麓の門前町・大津市坂本からの坂本ケーブルで、多くの延暦寺参拝者や観光客が利用している。
 坂本ケーブルは延暦寺の表参道と言える参拝ルートで、昭和2年(1927)開通した。ケーブル坂本駅と山上のケーブル延暦寺駅間は2025mでわが国で最長のケーブルカー。この間の高低差484mで最も急な所は18度ある斜面を11分、速時11.2kmのスピードで登る。
 昭和初期に建てられたモダンな洋風建築のケーブル坂本駅と延暦寺駅の両駅舎は、国の登録有形文化財に指定されている。また、延暦寺駅は「近畿の駅百選」にも選定された。

延暦寺駅

(写真は 延暦寺駅)

坂本ケーブル

 歩いて登るしかなかった比叡山が坂本ケーブルの登場で一気に登れるようになった。延暦寺への参拝も楽になり、ケーブルの利用者はうなぎ登りに増えた。最も乗客の多かった昭和30年(1955)から32年ごろは年間約54万人を運んだ。その後、比叡山ドライブウエーの開通、自動車の普及などで乗客は減少したが、現在も比叡山への足として坂本ケーブルは健在で、延暦寺への参拝者や観光客らを運んでいる。
 坂本駅を出発したケーブルカーが山上へだんだんと登るにつれ、その視界が広がり、パノラマウインドーの車窓から琵琶湖の景観が楽しめる。この醍醐味はケーブルカーならではのものだ。

(写真は 坂本ケーブル)

 大津市坂本は延暦寺の門前町として栄えてきた。延暦寺の僧侶たちが住む里坊や日吉大社などの社寺、その昔、修行僧たちが食べた日本そばを提供するそば店などが並び、観光客や延暦寺への参拝者でにぎわっている。
 織田信長の比叡山焼き討ちの後、その復興に力を注ぎ徳川家康、秀忠、家光の三代将軍に仕えた天海大僧正の廟所の慈眼堂のほか、素晴らしい日本庭園を持った滋賀院など特色ある寺院が多い。
 日吉大社参道脇や寺院、里坊などの石垣は「穴太衆(あのうしゅう)積み」として知られている。穴太衆積み石垣は、安土城や江戸城の石垣積みで活躍した近江国の穴太衆秘伝の技で、その堅牢さと排水の良さで有名になった。その穴太衆が積んだ石垣が坂本の里には随所に残る。

巻上室

(写真は 巻上室)


 
延暦寺・霊峰の灯火  放送 6月24日(火)
 平安時代、比叡山は都の鬼門を守る山とされた。比叡山は古事記にも「神の座す山」として記されており、古くから神の山の霊峰として崇められていた。世界文化遺産に登録されている延暦寺とは、比叡山全体にわたる寺域に点在する150程の堂塔の総称である。
 伝教大師・最澄は、自分も幸せになり他人も幸せにする自利利他(じりりた)の大乗仏教の教えをさらに発展させ、自己の幸せを忘れ、世のため人のために尽くす忘己利他(ぼうこりた)の大乗仏教の真の教えを探求した。大乗の道を求めて比叡山にこもった最澄は、長岡京時代の延暦7年(788)この山上に自ら刻んだ薬師如来像を本尊とした小堂を建て、これを一乗止観院と名づけた。

根本中堂

(写真は 根本中堂)

不滅の法灯

 一乗止観院は後に比叡山寺と改称され、これが天台宗延暦寺の始まり。この小堂が延暦寺約150の堂塔の中で最大の根本中堂(国宝)となり、延暦寺の総本堂である。最澄が本尊・薬師如来像の前ににかかげた法灯が、今日まで1200年輝き続けている「不滅の法灯」である。
 根本中堂は織田信長の焼き討ち後、寛永19年(1642)徳川3代将軍家光の援助で再建された。全国でも有数の木造大建築で、扉などの建具は黒漆塗りで、それ以外は丹塗りになっており、その壮麗さに圧倒される。堂内の天井には極彩色で描かれた200枚の草花の絵があり、その壮麗さに目を見張る。

(写真は 不滅の法灯)

 根本中堂の堂内は外陣、中陣、内陣に分かれ、内陣は中陣より3mあまり低く、石畳の床には夏でも冷気が漂っている。内陣には伝教大師が刻んだ秘仏の本尊・薬師如来像が厨子深く安置され、その前には「不滅の法灯」のほのかな灯りがある。低く作られた内陣の仏様が参拝者の目の高さにあるのは、仏も人間もひとつと言う仏教の考えを示している。
 根本中堂前の急な石段の上にある文殊楼の楼上には獅子の背に乗った文殊菩薩像が安置され、学問の仏さまとして受験生らの参拝が多い。この文殊楼はケーブルや車のない時代には延暦寺東塔の正門で、根本中堂への正式の参拝はこの門をくぐることになっていた。

文殊楼

(写真は 文殊楼)


 
延暦寺・深緑の伽藍  放送 6月25日(水)
 延暦寺・西塔の深い木立の中にふたつのお堂が並び、俗に「にない堂」と呼ばれている法華堂と常行堂(いずれも国・重文)がある。同じ形のお堂は渡り廊下で結ばれており、弁慶がその廊下を天秤棒のようにして山の下から担って上がったと言う伝説からこの名がついた。
 法華堂には本尊の普賢菩薩像が安置され、常坐三昧の修行をする道場。常行堂には本尊・阿弥陀如来像が安置され常行三昧の行をするお堂である。比叡山には常行三昧、常坐三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧と言う「四種三昧」の修行がある。常行三昧は南無阿弥陀仏をとなえながら堂内を歩く行。常坐三昧は座禅を続ける行で、いずれも90日間の厳しい修行である。

にない堂(堂行堂・法華堂)

(写真は にない堂(堂行堂・法華堂))

釈迦堂(転法輪堂)

 にない堂の北、一般に釈迦堂の名で知られる西塔の本堂・転法輪堂(国・重文)は、現在の比叡山では最古の建築物である。貞和3年(1347)園城寺(三井寺)の弥勒堂(金堂)として建てられたが、園城寺が豊臣秀吉の意に従わなかったため、織田信長焼き討ち後の延暦寺復興の名目で文禄4年(1595)移築された。
 釈迦堂の裏の杉木立の中に弥勒石仏がドッカと座っている。高さ2mあまりのこの石仏は、鎌倉時代初期の作と見られている。比叡山延暦寺の歴史の流れをじっと見つめているようで、つい「どうだったですか」と語りかけたくなるような雰囲気が感じられる。

(写真は 釈迦堂(転法輪堂))

 延暦寺山内は東塔、西塔、横川(よかわ)の三塔に分かれ、根本中堂、転法輪堂、横川中堂がそれぞれの本堂。これらの本堂を中心に合計16の谷があり、どの谷にも本堂があってこれを谷本堂と呼び、さらに谷本堂を中心に3000の山坊があった。
織田信長の焼き打ちにあう前は「比叡山3塔、16谷、3000坊」と豪語していた。
 このような天台教学の道場を開いた最澄は、奈良時代の神護景雲元年(767)近江国滋賀郡古市郷(現・大津市)に生まれ、俗名を三津広野と言った。12歳の時、仏門に入って勉学、2年後に得度して僧になり名を最澄と改めた。延暦4年(785)19歳で東大寺の戒壇で具足戒を受け正式の僧となったが、突然故郷へ帰り比叡山へ登って独学で仏教研究を始めた。弘法大師・空海とともに日本仏教界の双璧の最澄は56歳で入寂した。

弥勒石仏

(写真は 弥勒石仏)


 
延暦寺・清澄の気  放送 6月26日(木)
 伝教大師・最澄はすべての人間は平等であるが、それぞれに持てる能力と特性があり、謙虚にその能力を社会に役立てるために努力するよう説いた。平安時代以降、こうした教えを受けて延暦寺から法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らが巣立っており、山内には親鸞上人修行の地の石碑も立っている。
 東塔の戒壇院(国・重文)は僧侶になる受戒を授かるお堂。最澄は奈良の南都仏教の小乗戒の支配から離れ、大乗菩薩僧を養成する戒壇院の建設に努力した。しかし南都仏教の反対でその願いはかなわず、没後に嵯峨天皇の勅命で戒壇院が建てられた。
ここで受戒して世に送り出された数多くの優秀な僧は、日本仏教界のリーダーとして活躍し、最澄の念願がかなった。

戒壇院

(写真は 戒壇院)

浄土院(伝教大師御廟所)

 西塔の浄土院は伝教大師・最澄の御廟所で、延暦寺山内で最も清浄で荘厳な聖域である。弘仁13年(822)56歳で入寂した伝教大師の遺骸はここに安置された。
 この浄土院には延暦寺で12年間の籠山修行をする侍真(じしん)と呼ばれる僧が、生身の大師に仕えるごとく奉仕している。12年間1日の休日もなく大師に食事を供え、1日3度の勤行のほかに勉学と掃除に没頭する。浄土院の内外をちりひとつないように掃き清めるため、ここの勤めを“掃除地獄”と言っている。浄土院の左右には大きな菩提樹と沙羅双樹が枝を広げ、侍真の読経の声が清浄な雰囲気を一層高めている。

(写真は 浄土院(伝教大師御廟所))

 横川の本堂・横川中堂は舞台造りになっている。横川を開いた最澄の直弟子の慈覚大師・円仁が、中国・唐へ渡る時に乗った唐船に模して造られたと言われ、船が浮かんでいるようにも見える。
 堂内の中央部分が低くなっており、本尊・聖観音菩薩像(国・重文)が中陣と同じ高さにまつられているのは根本中堂と同じである。織田信長の焼き討ち後、慶長9年(1604)に再建された横川中堂は、昭和17年(1942)に落雷で焼失、昭和46年(1971)に鉄筋コンクリート造りで再建された。
 横川にはほかに四季ごとに法華経を論議する四季講堂や恵心僧都・源信が初めて念仏三昧行をし「念仏発祥の地」と言われる恵心堂などがある。

横川中堂

(写真は 横川中堂)


 
ガーデンミュージアム比叡  放送 6月27日(金)
 比叡山山頂にある「ガーデンミュージアム比叡」はモネ、マネ、ルノワール、ゼザンヌ、ゴッホ、バジュール、カイユボット、レイセルベルベ、ドガ、モリゾ、スーラ、ピロサら、フランス印象派の画家たちの作品をモチーフに設計された庭園美術館。
それぞれの画家の作品45点が陶板で再現され、その画家と作品にふさわしく作られた庭の中に野外展示されている。
 山頂の展望塔からは360度のパノラマの眺望が楽しめ、好天で見通しの良い日には大阪湾や伊吹山、遠くは白山、木曽御岳まで望むことができるのもこの庭園美術館の自慢。

睡蓮の庭

(写真は 睡蓮の庭)

花の庭

 陶板画が展示されている庭には1500種、10万株の草花が季節ごとに咲き競い、季節の移ろいとともに花の盛りが移っていく。光と色彩に満ちあふれた作品を鑑賞するには最適の場と言える。
 庭園美術館の目玉とも言える睡蓮の庭にはモネの代表作の「睡蓮」など6点の陶板画が展示されている。睡蓮の花咲く池には太鼓橋が架けられ、日本の庭園文化を取り入れた日仏融合の回遊式庭園である。
 ローズガーデンにはスタンダード仕立てのバラのほか、さまざまなバラが咲き乱れる中にモネ、バジュール、カイユボット、レイセルベルベの作品を展示。花の庭はその名の通りバラをからませた花のトンネルの両側にいろいろな花が咲き誇っており、花を描いたモネ、ゴッホ、ドガ、ルノワール、モリゾの絵が展示されている。

(写真は 花の庭)

 藤の丘には春はフジやヒナゲシ、夏はヒマワリ、秋にはコスモスなど、季節ごとの花で変化する中にモネ、ルノワールの作品。こもれびの庭は5月上旬から6月にかけてシャクナゲの花の回廊ができ、夏のこもれびの中を心地よい涼風が吹き抜け、モネ、ゴッホ、ルノワールの作品が鑑賞できる。このほかにプラタナス広場、香りの庭、ゲート付近にも作品が配置されている。
 「カフェ・ド・パリ」では、モネやルノワールが残した料理のレシピをもとにした軽食や焼き菓子、ハーブティーが味わえる。ここで一服しながら店の内外に展示されたゴッホ、モネ、ルノワール、セザンヌ、スーラの作品を鑑賞したり、琵琶湖や京都市街地の眺望を楽しむことができる。

カフェ・ド・パリ

(写真は カフェ・ド・パリ)


◇あ    し◇
坂本ケーブルJR湖西線比叡山坂本駅、京阪電鉄石山坂本線坂本駅から
バスでケーブル坂本駅下車。
比叡山延暦寺坂本ケーブル延暦寺駅下車、山内シャトルバスでそれぞれの目的地の東塔、西塔、横川で下車。
叡山電鉄叡山線八瀬遊園駅下車、京福電鉄ケーブル、
ロープウエイを乗り継ぎ比叡山頂駅下車、山内シャトルバスで東塔、西塔、横川で下車。
ガーデンミュージアム比叡坂本ケーブル延暦寺駅下車、山内シャトルバスで比叡山頂
下車。
叡山電鉄叡山線八瀬遊園駅下車、叡山ケーブル、
ロープウエイを乗り継ぎ比叡山頂駅下車、山内シャトルバスで
比叡山頂下車。
◇問い合わせ先◇
比叡山振興会議077−529−2216 
比叡山鉄道(坂本ケーブル)077−578−0531 
比叡山延暦寺077−578−0001 
ガーデンミュージアム比叡075−707−7733 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会