月〜金曜日 18時54分〜19時00分


宇治市 

 宇治は歴史の古い町である。飛鳥時代から大和と近江を結ぶ街道沿いに集落があり、宇治川に橋が架けられたのも飛鳥時代。風光明媚な土地は平安貴族の別荘地となり、源氏物語宇治10帖の舞台にもなった。平等院、宇治神社、万福寺などの古社寺も多く、歴史の古い宇治茶の産地としても知られている。


 
宇治川と茶の湯  放送 6月30日(月)
 京阪電鉄宇治駅を出てすぐの宇治川に架かる宇治橋は、飛鳥時代の大化2年(646)奈良の元興寺の僧・道登(どうと)によって架けられた。その後、この橋はたびたび洪水で流されその度に架け替えられてきた。現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられたもので、長さ155.4m、幅25mある。
 宇治橋の東詰にある「通圓(つうえん)茶屋」は、創業が平安時代末の永歴元年(1160)と言われている。初代は源頼政の家臣で古川左内と言う武士で、宇治橋東詰に庵を結び、太敬庵通圓政久と名乗ったという。その後、代々の当主は通圓を名乗り、宇治橋の橋守を務め、道行く人や旅人に無病息災を願って茶を一服ずつ出していた。吉川英治の「宮本武蔵」の中にも、お通さんと城太郎がこの店に立ち寄るくだりがある。

初代通圓木像(通圓茶屋)

(写真は 初代通圓木像(通圓茶屋))

三之間

 宇治橋の中央付近、上流に向かって張り出している「三之間」は、豊臣秀吉がそこから釣瓶(つるべ)で茶の湯の水を汲み上げさせたと言われ、普段は宇治川の流れを眺めるのに格好の場所となっている。通圓には秀吉が宇治川の水を汲み上げさせた釣瓶が残っている。
 歴代当主の中に一休和尚と親交があったり、室町幕府8代将軍足利義政、豊臣秀吉らに仕えた人物がいる。
店内には数百年を経て黒光りする茶壺が並び、一休和尚が刻んだ初代・通圓の木造がまつられている。通圓の現在の建物は、江戸時代初めの寛文12年(1672)に建てられたもので、町屋の建造物としても貴重な存在である。
正面の深い前ひさしと柱の少ない広い間口は、往来から客が出入りしやすいように工夫されたものである。

(写真は 三之間)

 宇治橋の東詰の放生院は、13世紀ごろから橋の管理を任されていたので橋寺と呼ばれ親しまれてきた。放生院の本堂前に立っている有名な「宇治橋断碑(うじばしだんぴ)」(国・重文)は、道登が宇治川に初めて橋を架けた由来を石碑に刻んだものである。宇治橋が架けられた飛鳥時代に建てられた石碑で、わが国で最古の部類に属する石碑として貴重な存在である。
 宇治川の中洲・塔の島から左岸への橋を渡ると宇治市営の茶室「対鳳庵」がある。
数寄屋造りの茶室には本席と広間茶席、立礼席が用意され、和服の女性が点ててくれた茶を楽しむことができる。宇治散策の疲れを癒すのに、気軽に利用できる椅子の立礼席が用意されているのはありがたい。

対鳳庵

(写真は 対鳳庵)


 
宇治神社  放送 7月1日(火)
 宇治川の中洲、塔の島の十三重石塔は、弘安9年(1286)に宇治橋を架け替えた奈良・西大寺の高僧・叡尊が宇治橋の安全と魚霊供養のために建立したもので、鎌倉時代の石造美術品の第一級品と言われている。江戸時代中期の宝暦6年(1756)の大洪水の時に倒れ、川の中に長い間埋もれたままになっていたが、明治41年(1908)に発掘され再建された。
 塔の島の下流の宇治橋寄りにある橘島には、木曽義仲追討の時、梶原景季と佐々木孝綱が先陣を争ったことで有名な「宇治川先陣の碑」が立っている。この塔の島と橘島は公園になっており、観光客らが宇治川の眺めを楽しんだり、鵜飼のシーズンになると見物客でにぎわう場所である。

十三重石塔

(写真は 十三重石塔)

宇治川先陣の碑

 橘島から東へ橋を渡った正面に鎮座する宇治神社は、応神天皇の皇子・菟道維郎子(うじのわきいらつこ)の桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)があったとされるところで、仁徳天皇の時に菟道維郎子を祭ったのが起こりと伝えられている。この神社は宇治町の産土神として古くから崇敬されていた古社である。
 藤原頼通は平等院を建立した時、宇治神社を鎮守社としており、延喜式によると宇治神社は上社、下社からなっていると記されている。明治時代に宇治上神社が分離された。本殿(国・重文)は鎌倉時代の建物で、祭神の菟道維郎子命座像(国・重文)は平安時代後期の作とされている。

(写真は 宇治川先陣の碑)

 菟道維郎子は才智すぐれていながら、後の仁徳天皇である兄に皇位を譲って自害した悲劇の人。菟道稚郎子は幼少のころから聡明で、父・応神天皇から愛され兄を越えて皇太子となった。応神天皇の崩御後、皇位を兄・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)、後の仁徳天皇に譲ろうとしたが、兄は父の遺志に背くとこれを固辞したため、3年間にわたって皇位は空位となってしまった。これを憂いた菟道稚郎子が「久しく生きて天下を煩らわさむ」と自害して兄に皇位を継がせた。
 宇治に向かう途中で道に迷った菟道稚郎子を兎が振り返り振り返り道案内したとの伝えから「みかえりの兎」と言われ、宇治神社の神の使いとされ、兎の絵馬に願いを込める参拝者もいる。

本殿(宇治神社)

(写真は 本殿(宇治神社))


 
宇治川の鵜飼  放送 7月2日(水)
 6月中旬から9月初めまで毎夜、宇治川の川面に繰り広げられる鵜飼は宇治の夏の風物詩。鵜飼は魚を丸呑みする習性を持つ鵜を鵜匠が巧みに操って魚を捕る漁法。
風折烏帽子(かざおれえぼし)に袖を絞った黒の着物、腰蓑と言う古式そのままの姿の鵜匠が、鵜飼の和舟の上で鮎を追う鵜の手綱を巧みに操る。舟に掲げられた松明の灯りが宇治川の川面に輝き、鵜飼独特の情緒をかもし出す。
 鵜飼の舟は鵜飼見物の客船の周囲を回りながら鵜飼の妙技を披露する。客船からは鵜の青い目、尖ったくちばしや鮎を飲み込む1,2秒の早業を間近で見物でき、臨場感あふれる鵜飼のショーを満喫することができる。貸し切りの鵜飼見物客船なら、船内で鮎料理などが楽しみながら鵜飼い見物ができ、平安貴族の気分にひたれる。

鵜

(写真は 鵜)

鮎のせごし

 鵜匠ルックの風折烏帽子は、かがり火で頭髪が燃えないようにかぶるもの。かがり火は舟の周りに魚を寄せるのと魚の動きを鵜匠が、見やすいようにするために燃やされる。
 現在、宇治川には3人の鵜匠がいるが、平成14年夏、初の女性鵜匠が誕生した。草津市在住の澤木万理子さんで、ベテランの鵜匠に見守られながら鮮やかな鵜の手綱さばきを披露しようと張り切っている。宇治川の鵜飼で活躍している鵜は現在12羽。澤木さんは毎日、鵜小屋の掃除や餌付けなどを楽しくこなしているが、機嫌の悪い鵜に手を噛まれることもしばしば。鵜飼は鵜と鵜匠の信頼関係が第一で、澤木さんもその信頼関係を築くのに今は懸命だ。

(写真は 鮎のせごし)

 風光明媚な宇治川沿岸は平安貴族たちの別荘地だった。鵜飼もそのころから行われていたらしいく、蜻蛉日記の天禄2年(971)の条に、藤原道綱の母が長谷寺へ参る際に、宇治川でかがり火をたいた鵜飼舟の様子を楽しんだと記されている。また、永承3年(1048)に藤原頼通が高野山参詣の折、わざわざ宇治の鵜匠と鵜舟を随行させたと記されている。宇治では大正時代からこの鵜飼の妙技を披露するショーが、夏の観光行事として定着した。鵜飼見物の貸切船は予約が必要だが、乗合船なら当日、予約なしでも乗船できる。
 この宇治川沿いには鮎など川魚料理や鰻いいむしなどを提供する料理旅館がある。
夏の夜、宇治川の鵜飼のかがり火を眺めながら、宇治ならではの料理に舌鼓を打つのも一興である。

鮎の塩焼き

(写真は 鮎の塩焼き)


 
宇治茶のこころ  放送 7月3日(木)
 宇治・平等院の表参道には何軒ものお茶の老舗が軒を連ね、お茶を焙じる香ばしい香りが漂っている。地図の茶畑のマークになっている三つ星印は、創業以来500年、戦国時代の天正年間から続く三星園上林三入本店が商標にしている紋所に由来すると言われる。
 宇治茶は抹茶、玉露、煎茶が主製品で、全国的には生産量は少ないが、その高い品質と歴史の古さが売り物である。上林家では宇治茶の品質を保つために、茶師の当主自らが茶の香り、色、味をひとつひとつ吟味したうえで販売すると言うほど、その品質にこだわっている。

茶壺(江戸時代)

(写真は 茶壺(江戸時代))

文箱(江戸時代)

 上林三入本店の三休庵・宇治茶資料室は、宇治茶の歴史がわかる宇治ならでは資料室。館内の展示室には豊臣秀吉、千利休にまつわる書状や茶道具、ルソンなどの古色な茶壺、製茶道具、お茶壺道中に使われた駕籠やお茶壺道中を描いた絵、茶の歴史、茶の製法などの貴重な資料が展示されている。
 江戸時代、3代将軍・家光は将軍家御用のお茶の調達を上林家の茶師に当たらせた。
将軍家に献上するお茶の行列は「お茶壺道中」として知られ、大名行列も道を譲ったほど格式高いものであった。「ズイズイズッコロバシゴマミソズイ 茶壺に追われてトッピンシャン 抜けたらドンドコショ…」の童謡は、お茶壺道中にあわてる様子を歌ったものである。

(写真は 文箱(江戸時代))

 上林家は元は京都・丹波上林郷(綾部市)の土豪だったが、戦国時代の永禄年間に初代・上林久重が宇治に移り住み茶の生産を始めたのが、宇治茶と上林家の結びつき。久重の4人の子供が宇治茶業界を代表する茶師になり、茶の生産、流通部門の重要な役割を果たすようになり現在に続いている。宇治茶資料室の中に製茶体験室があり、有料で石臼を挽いて抹茶を作り賞味できる。
 茶の原産地は中国・雲南省付近で、鎌倉時代初めに栄西禅師が茶の種を中国・宋から持ち帰ったのが、日本での茶の栽培の始まりと言われている。京都の栂尾・高山寺の明恵上人が、栄西禅師から茶の種を譲り受け境内で栽培を始めた。さらに気候、土質が茶の栽培に適していた宇治に茶を植えたのが宇治茶の始まりとされている。

初代 上林三入

(写真は 初代 上林三入)


 
源氏物語ミュージアム  放送 7月4日(金)
 宇治は紫式部の「源氏物語」と由縁の深いところでもある。源氏物語全54帖のうち「橋姫」から「夢浮橋」までの最後の十帖は、宇治が主な舞台となっているところから宇治十帖と呼ばれる。この宇治十帖の登場人物に因んで宇治市内にはその古跡が宇治川沿いに点在している。しかしこれは架空の登場人物に因んだもので、史実に基づいたものではない。
 しかし、平安時代の宇治には貴族たちの別荘がたくさんあった。平等院は平安時代中期の永承7年(1052)関白・藤原頼通が、父・道長の別荘を寺院に改めて創建したものである。紫式部はこうした宇治の別荘地での貴族たちの恋愛をもとに宇治十帖を書きあげたのであろう。

宇治十帖モニュメント

(写真は 宇治十帖モニュメント)

春の部屋

 こうした宇治を舞台にした源氏物語をより良く理解してもらおうと、平成10年(1998)外観が寝殿造りをイメージした「源氏物語ミュージアム」がオープンした。
 常設展示室は、光源氏が都で華やかな人生を過ごした世界を表現した春の部屋。時代は下って光源氏の息子・薫、孫の匂宮(におうのみや)の世界を表現している秋の部屋。そして宇治十帖最後のヒロイン・浮舟の物語を展開する映像展示室の3つに大きく分かれている。
 館内の図書室には源氏物語に関する入門書から専門書まで幅広い図書があり、自由に閲覧することができる。さらに源氏物語を平安時代の音声で復元したビデオも用意されている。

(写真は 春の部屋)

 春の部屋には、光源氏がその華やかな時を過ごした六条院の百分の一の模型、平安時代の貴族たちが日常使っていた牛車、朝廷の女房たちの十二単(じゅうにひとえ)などの装束、貴族や女房たちの部屋を彩った屏風、几帳(きちょう)、鏡台などの調度品を復元して展示している。また、源氏物語の華麗な世界を32面のマルチ画面の映像が描き出し、源氏物語の世界の雰囲気を盛り上げている。
 秋の部屋は、宇治を訪れた薫が大君、中の君をみそめる宇治十帖の中で最も有名な「橋姫」の一場面を再現している。映像展示室では篠田正浩監督の作品・映画「浮舟」が上映されている。薫と匂宮の二人の男性との結ばれない恋にゆれる女性・浮舟の物語が人形を使った幻想的な映像で表現されている。

六条院 模型

(写真は 六条院 模型)


◇あ    し◇
宇治橋、通圓茶屋京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩1分。 
JR奈良線宇治駅下車徒歩5分。
十三重石塔京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分。 
JR奈良線宇治駅下車徒歩15分。
宇治神社京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩5分。 
JR奈良線宇治駅下車徒歩15分。
宇治川観光通船乗船場
(鵜飼見物)
京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分。
JR奈良線宇治駅下車徒歩15分。
三星圓上林三入本店三休庵・
宇治茶資料室
京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分。
JR奈良線宇治駅下車徒歩10分。
源氏物語ミュージアム京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩5分。 
JR奈良線宇治駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
宇治市観光協会0774−23−3334 
宇治市役所商工観光課0774−22−3141 
通圓0774−21−2243 
対鳳庵0774−23−3334 
宇治神社0774−24−3901 
宇治川観光通船0774−21−2328 
鮎宗0774−22−3001 
三星園上林三入本店0774−21−2636 
源氏物語ミュージアム0774−39−9300 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会