月〜金曜日 21時48分〜21時54分


鳥羽の島々 

 鳥羽市の鳥羽湾には答志(とうし)島、菅(すが)島、神(かみ)島、坂手(さ かて)島など大小の島々が浮かび、天然の防波堤となり江戸時代まで伊豆の下田とと もに太平洋沿岸の良港とされていた。地名の鳥羽も船の「泊場」に由来すると言われ ている。これらの島々には古くからの祭りや慣習が伝えられ、アワビなどの海の幸に 恵まれ、グルメファンらの観光客が多い。それぞれの島へは鳥羽市営定期船で渡れる が、島内の交通機関はなく島内巡りは徒歩。


 
答志島・九鬼水軍  放送 7月3日(月)
答志島民家 答志島は鳥羽湾内に浮かぶ島々の中で一番大きい。また、九鬼水軍を率いた戦国 時代の武将・九鬼嘉隆(1542-1600)が関ヶ原の戦いに敗れ、この島で切腹した終焉(しゅうえん)の地としても知られている。
 九鬼嘉隆は大王町波切に勢力を持っていた九鬼氏の出身。波切城主だった嘉隆は永禄年間に織田信長につき北伊勢攻略で戦功を成し、志摩一国を与えられた。長島一向一揆や石山本願寺攻めに加わって活躍、大名に取り立てられた。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、1594年鳥羽城を築き、鳥羽湾を九鬼水軍の本拠地にした。朝鮮出兵の際には水軍総司令官を命じられて戦ったが、朝鮮の水軍に敗れ、1597年鳥羽3万5千石を子の守隆に譲った。
(写真は 答志島民家)

九鬼嘉隆胴塚 関ヶ原の戦いでは嘉隆は西軍、守隆は東軍につき、父子で争った。戦いに敗れた 嘉隆は答志島に逃れた。守隆が徳川家康に父の助命を願い出て許されたが、その知ら せが届く前に嘉隆は答志島の洞泉庵で切腹して果てていた。
 首実検のため家康に差し出された嘉隆の首は、守隆が鳥羽の見える答志島の岬に葬 られ、これが嘉隆の首塚となっている。胴は首塚から少し離れた所に埋められ胴塚として残っている。
 江戸時代に入り守隆の死後、その遺領は2つに分割され、海のない山国の摂津国三 田(兵庫県)と丹波国綾部(京都府)に国替えさせられ、戦国時代に無敵を誇った九鬼水軍は、陸にあげられ解体した。
(写真は 九鬼嘉隆胴塚)


 
答志島・答志漁港から  放送 7月4日(火)
答志漁港 伊勢湾の入り口に位置する答志島には答志、和具、桃取の3つの漁港があり、タ イ、スズキ、ハマチ、タコ、アワビ、サザエなど海の幸の宝庫。
 島の北東部の答志漁港の東端には八幡神社がある。島の人々は正座して八幡神社に参拝し、大漁と海上での安全を祈る。漁船や家々の戸板に、「丸に八の字」が描かれているのが目につくが、これは八幡神社に祈願をした印である。
(写真は 答志漁港)

潮音寺観音像 島の岩屋山の山腹にある潮音寺には、弘法大師・空海の作と伝えられる観音像が ある。この観音像は昔、山の中腹にあった観音堂に安置されていた。一時は参拝者も 多かったが、そのうちに堂を守る人もなくなり風雨にさらされていた。これを見た三 河国の和尚(樹王是秀)が嘆き、地元の人々と相談して現在地へ移して安置したとの伝えがある。
 この潮音寺の観音堂には、弘法大師作と伝えられる観音像のほかに聖観音像などが まつられており、三重梅花百観音霊場のひとつとして信仰を集め、観音信仰の参拝者 が多い。
(写真は 潮音寺観音像)


 
神島・神宮を守る島  放送 7月5日(水)
時計台跡 鳥羽・佐田浜港から最も遠い島が神島で、愛知県の伊良湖崎が目と鼻の先に見え る伊良湖水道にある。阿波の鳴門、音戸の瀬戸と並んで、わが国三海門のひとつのあ げられ、航海の難所とされていた。島全体が山地になっており、周囲は約4kmの小 さな島。島民の住まいは南からの強風を避け、島の北西の斜面にかたまっている。
 島内の祭祀(さいし)遺跡から出土した唐鏡、和鏡64面が八代神社の宝物として 保存されている。これらの多種多様な出土品からこの島が、古代から伊勢湾文化の中 心地であったと見られる。また、伊勢神宮を守る島だったとも言われている。
(写真は 時計台跡)

八代神社 銅鏡64面や伊勢神宮祭祀遺物(いずれも重文)などが保存されている八代 神社は、古くから伊勢湾を航行する船乗りたちに海の守護神として崇敬されていた。
 元旦の未明に行われる八代神社のゲーター祭は県の無形文化財に指定されている神 事。浜グミの枝を丸めて直径2mほどの日輪に模した輪を作り、男たちが竹で空高く 差し上げた後、地上にたたき落とす。これらのしぐさから太陽征伐の神事ではないか との説がある。
(写真は 八代神社)


 
神島・潮騒の島  放送 7月6日(木)
監的哨跡 神島は三島由紀夫が昭和29年(1954)に発表した小説「潮騒」の舞台となっ た島としても有名。漁師の青年・新治と海女の初江との淡い恋心を描いた作品でベス トセラーになった。吉永小百合や山口百恵らが初江役を演じて映画化された。映画の クライマックスシーンで新治と初江が、炎を飛び越して抱擁する舞台となった廃虚の 監的哨(かんてきしょう)跡が今も残っている。監的哨は旧海軍が伊良湖から撃つ大 砲の試射弾の着弾点を確認するための施設だった。
(写真は 監的哨跡)

カルスト地形 伊勢湾の入り口にある神島は眺めのよい島でもある。特に神島灯台からの眺めは 素晴らしく、伊良湖崎を望む海はまるで絵はがきのようだ。10月ごろにはタカの一 種のサシバやチョウのアサギマダラの南へ渡る姿が、見られる島として野鳥や昆虫の 愛好者らの間では有名だ。
 島の東側、監的哨の近くに石灰岩が風化してできたカルスト地形が見られる。島の 西側には島内で唯一の砂浜があり、海水浴も楽しめる。「潮騒」のロマンスと神秘的 な雰囲気を秘めた神島は、豊富な海の幸が味わえる。特にタコ漁が盛んで、タコ料理 に舌鼓を打つのも楽しい。
(写真は カルスト地形)


 
菅島・海女の島  放送 7月7日(金)
海女 答志島に次ぐ大きな島の菅島は、アワビの産地として知られている。島の大半が 山地で島民の住宅は島の北側1ヶ所に集中している。この島には約100人の海女が いて、アワビ漁が解禁になる3月中旬から9月中旬まで、海にもぐって漁に励んでい る。
 7月11日に「しろんご祭」と呼ばれる海女の祭がある。島内の海女たちが一斉に しろんご浜の海にもぐりアワビ獲りを競いあう。豊漁が約束されると言われる、つが いのアワビの「まねきアワビ」を最初に獲った海女がそのアワビを白髭(しろひげ) 神社に奉納し、豊漁と漁の安全を祈願する。白い磯着の海女が乱舞するように海にも ぐる姿は躍動的で、最近は関東や関西方面からも祭の見物客が押しかける。
(写真は 海女)

菅島灯台 菅島付近は船の遭難が多く、江戸時代はかがり火をたいて航行の安全をはかって いた。明治6年(1873)イギリス人技師の設計・指導で完成したのが洋式灯台の 菅島灯台。当時はレンガを焼く技術が日本にはなく、イギリス人技師の指導で瓦職人 がレンガを焼き、そのレンガを使って建設した。現存するレンガ造りの灯台としては 日本最古の灯台。この白亜の灯台は今も現役として、伊勢湾を航行する船に、光りの道しるべを送っている。
(写真は 菅島灯台)


◇あ    し◇
答志島佐田浜港から市営定期船で桃取まで13分、
答志まで35分。和具まで25分。 
神島佐田浜港から市営定期船で48分。 
菅島佐田浜港から市営定期船で18分。 
(佐田浜港へはJR、近鉄鳥羽駅から徒歩5分)。
◇問い合わせ先◇
鳥羽市商工観光課0599−25−1157 
鳥羽市観光協会0599ー25−3019 
潮音寺0599ー37−2127 
神島観光協会0599ー38−2006

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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