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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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大阪市・天満の天神さん |
浪速っ子が暑い夏に一番燃える大阪最大の祭・天神祭が今年も7月24、25日に大阪天満宮と大川一帯で繰り広げられる。非運のうちに死亡した菅原道真の霊を慰める祭として始まったが、今は大阪を活気のある町に盛り上げる役目も担い、不景気を吹き飛ばそうと祭を取り仕切る関係者も燃えている。 |
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創建後の天満宮の社殿は、南北朝時代の楠木正成と山名時氏の戦い、戦国時代の織田信長と石山本願寺が戦った石山合戦、大坂城が落城した大坂夏の陣、江戸時代後期の天保8年(1837)の大塩平八郎の乱など、幾多の兵火や大火によって焼失した。大坂夏の陣で被災した時には、天満宮の御神霊は吹田に避難し、再び、天満の地に御神霊を迎えたのは、約30年後の江戸時代初期の寛永年間末となった。 |
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(写真は 社殿) |
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天神祭が現在のような渡御船の形態が整ったのは、豊臣秀吉の大坂城築城のころからと言われている。江戸時代に入って町人が台頭してきた元禄年間(1688〜1704)に祭は一層盛んになった。享保年間(1716〜36)には天満宮を崇敬し、奉仕するたくさんの講が結成され天神祭を支えた。安永9年(1780)には84基の地車(だんじり)があったと記録され、氏地町内を練り歩き祭を盛りあげて天満宮へ宮入りした。このころから天神祭は京都の祇園祭、江戸の山王祭と並んで日本三大祭のひとつにあげられた。 |
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(写真は 「天満天神地車宮入」歌川芳瀧筆 |
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江戸時代には天満宮の氏地内にあった大阪の三大市場の氏子たちも天神祭を盛り上げた。三大市場とは天満の青物市場、堂島の米市場、雑喉場(ざこば)の魚市場で、当時、これらの地域はすべて天満宮の氏地で市場の人たちはみんな氏子だった。 |
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(写真は 「天満市場」歌川国貞筆 |
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天神祭が最も盛んだった江戸時代のころには約50体ほどのお迎え人形あったが、その後だんだん少なくなり、戦災で焼けるなどして現在は15体しか残っていない。そのうち14体が大阪府の有形民俗文化財に指定され、今は船に乗せることはせず、天神祭には天満宮の境内で飾り、参詣者に披露する。商店街の他のアーケードにも天神さんの鳥居や天神花と呼ばれる縁起物を飾ったりしている。 |
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(写真は 薫々堂) |
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相生楼は江戸時代末に創業した老舗の料亭で、昔から天神祭の季節には鱧(はも)ちり、鱧しゃぶ、鱧の落とし、鱧焼きなどの鱧料理を提供しており、夏の常連客の定番メニューとなっている。鱧料理は京都でも祇園祭のころの定番料理として知られており、関西の人たちは夏になると「鱧でも食べましょか」と言うのが、合い言葉になっているほどだ。 |
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(写真は 鱧料理) |
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