月〜金曜日 18時54分〜19時00分


福井・大野市 勝山市 

 神が宿る霊峰・白山の南西に位置する大野市と勝山市は白山山系の自然の恵みを受け、生活や信仰面でも白山とのつながりが強い。また、勝山市は日本有数の恐竜化石を産出しており、恐竜へのロマンがかきたてられる。こうした神秘と夢の里の両市を訪ねた。


 
越前の城下町(大野市)  放送 7月22日(月)
 大野市は小高い亀山の上にそびえる越前大野城の城下町。天正3年(1575)織田信長の命によって一向一揆を平定した金森長近が、大野郡の3分の2を与えられ亀山に城を築き、城の東側に城下町を作った。越前大野城の城下町は南北6筋、東西6筋の通りに区割りされ、南北に長い短冊形の碁盤の目のような町で「北陸の小京都」と呼ばれている。
 4年の歳月をかけ築城された越前大野城は本丸に望楼付の2層3階の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、内堀、外堀をめぐらして守っていた。石垣は山から切り出したままで加工しないで石を積み上げた野面積み。外見は乱雑に見えるが堅固な石垣として知られている。

越前大野城

(写真は 越前大野城)

旧内山家

 越前大野城は江戸時代には町の大火で幾度か類焼した。安永4年(1775)の大火では本丸も焼失、野面積みの石垣だけが残り、寛政7年(1795)に再建された。明治維新後の廃藩で城の建物は取り壊されたが、城郭はそのまま残った。昭和43年(1968)現在の天主閣が再建され、内部は城主の金森氏、土井氏らの遺品などを展示した資料館として活用されている。
 幕末に藩政改革に尽力した家老・内山七郎右衛門の屋敷が、城の東側山麓に復元されており、当時の武士の生活ぶりをうかがい知ることができる。2階建ての母家の屋根は現在、瓦ぶきだが当時は板ぶきだった。ほかに数奇屋風書院の離れや衣装蔵、米蔵、味噌蔵と広い庭がある。
 藩政改革で内山七郎右衛門は藩営の商店を開業したり、銅山経営で手腕を発揮して多額の借金に苦しんでいた藩財政を立て直した。

(写真は 旧内山家)


 
豊かな水の恵み(大野市)  放送 7月23日(火)
 白山山系に囲まれた盆地の大野市は、扇状地の地下を流れる伏流水の豊かな町。夏は冷たく冬は暖かい味わいのある豊かな水が、町のいたる所に湧き出ている。その中でもかつての武家屋敷近くの「御清水(おしょうず)」は、環境省の名水百選に選定されており、藩政時代は藩主のために使われたため「殿様清水」と呼ばれていた。今は誰もが自由に使い味わうことができる。大野市の城下町を散策した観光客らがのどを潤したり、近くの主婦たちが家事に利用している。
 この豊かな地下水で育った農作物を商うのが大野市の七間朝市。農家の主婦らが朝6時ごろから早朝に収穫した特産の大野名物の赤カブなどの野菜や花、里イモ、山菜らを並べて観光客らに声をかけ、そのみずみずしさとおいしさをPRしている。

御清水(おしょうず)

(写真は 御清水(おしょうず))

花垣南部酒造

 「越前の小京都」と呼ばれる大野市には城下町当時の名残や風情がいたる所に残っている。碁盤の目状の町の通りは防災上から拡幅された六間通りや石灯篭小路以外は、城下町が作られた当時の道幅がほぼそのまま残っているところが多い。外敵の侵入を防ぐために鍵型に折れているなどの道が当時の城下町の様子を伝えている。
 大野市内には伏流水の名水の恵みを生かした酒造、醤油造りが藩政時代から盛んで、今もその老舗が残り伝統の味を伝えている。このほか名水を利用した名水とうふ、名水そばなどもその味の良さで人気がある。霊峰・白山の懐にいだかれた大野市は城下町の風格と名水、さらに豊かな自然の中で育まれた伝統の産業と味で訪れる人たちを迎えてくれる。

(写真は 花垣南部酒造)


 
白山信仰(勝山市) 放送 7月24日(水)
 福井平野の東方に望まれる白山は、古代から神の宿る山と崇め仰がれてきた。養老元年(717)泰澄大師は白山登山の志を立て、山へ向かう途中の林の中で泉を発見、そこで伊弉冉命(いざなみのみこと)の神託を受け、誰も入ったことのなかった白山を開いた。
 泰澄が伊弉冉命の姿を拝した場所に創建したのが白山平泉寺(へいせんじ)。神仏混淆(しんぶつこんこう)の時代で、寺と神社が同居、白山信仰の拠点として大勢の修験者らが参拝して大いに栄え、排仏毀釈後は平泉寺白山神社となった。平泉寺白山神社の境内は白山山頂を含む広い範囲におよび、平安時代には48社、36堂、6千坊が建ち並んでいた。
戦国時代の天正2年(1574)の一向一揆の攻撃を受けこれらの社殿、堂宇は焼失したが、天正11年(1583)に再興された。

泰澄大師

(写真は 泰澄大師)

旧玄成院庭園

 現在の本殿は江戸時代の寛政7年(1795)の建立され、安政6年(1859)に建て直された。拝殿は間口6間だが、室町時代以前の拝殿は間口が45間もあるわが国最大級の拝殿だったと伝えられる。一面に青苔がおおい、緑のじゅうたんのような見事な眺めとなっている巨大な拝殿跡には、その礎石が残っており訪れる人たちの感慨を呼び覚ましている。
 参道の両側の老樹の杉並木は菩提林と呼ばれ、追善供養のために参拝する人たちが多かったことを物語っている。参道の石畳は千年前の舗装道路と言えよう。境内の御手洗池は泰澄大師が伊弉冉命の神託を受けた泉とされており、今も湧き出る清らかな水をたたえている。
 旧玄成院は白山の別当(長官)の住んでいた所で、現在は宮司の平泉家が継いでいる。
この旧玄成院には室町時代の管領・細川高国の作庭と言われる美しい庭園があり、季節には沙羅双樹が白い花をつける。

(写真は 旧玄成院庭園)


 
太古へのいざない(勝山市)  放送 7月25日(木)
 勝山市は日本有数の恐竜化石の産出地であり“恐竜王国”を自任している。昭和57年(1982)に1億2千万年前のワニに似た化石が、ほぼ完全な骨格で発見されて全国的に注目を浴びた。
 平成元年(1989)から本格的な発掘調査事業が始められた。その結果、イグアナドン類に属する草食恐竜やカルノサウルス類に属する肉食恐竜のフクイラプトルの骨が多数発見された。発掘調査現場からは恐竜の骨のほかに恐竜の足跡化石、卵殻や幼い恐竜の骨も見つかっており、このあたりに恐竜が群れをなして生息いたと見られている。

化石発掘現場

(写真は 化石発掘現場)

イグアノドン類骨格化石

 恐竜は1億6千万年間にわたって地球上に生息し、多種多様に変化した生物であり、同時に「謎の絶滅動物」と言われ、その実態はまだよくわからず謎に包まれている部分が多い。子供たちに限らず大人もロマンをかきたてられる生き物である。そして生物を生み出した地球のメカニズムを解く鍵のひとつを握っている。
 夏休みに勝山市の恐竜王国を探訪し、子供たちに恐竜へのロマンの心を芽生えさせ、科学する気持ちを持たせるよい機会にしてはいかが。
 発掘現場の近くには福井県立恐竜博物館が平成12年(2000)にオープンし、恐竜の化石や復元された恐竜を見ることができる。

(写真は イグアノドン類骨格化石)


 
恐竜の世界(勝山市)  放送 7月26日(金)
 長尾山総合公園は貴重な動植物が生息する里山の豊かな自然を守り、貴重な資源の恐竜化石や自然とのふれあい、スポーツなどが楽しめる多機能型都市公園。公園内には恐竜の模型が配置され、恐竜化石を発掘する「どきどき恐竜発掘ランド」など、恐竜の世界への興味をかきたてる楽しい施設がいっぱい。
 その公園内にある銀色の巨大な卵を思わせる建物が、平成12年(2000)にオープンした福井県立恐竜博物館。この恐竜博物館には勝山で発見されたフクイラプトル、イグアナドン類はもちろん、世界各地の恐竜の全身骨格が35体、そのうち実物骨格が6体も展示されている。

どきどき恐竜発掘ランド

(写真は どきどき恐竜発掘ランド)

ボーンベッド

 地上3階、地下1階の恐竜博物館の入り口は3階にあり、順次下へさがりながら見学する。2階は生命の発生から人類までを標本や復元模型などで展示した「生命の歴史」のコーナー。1階は恐竜などの生物を生み出し、今も人類に恩恵を与えてくれている地球を科学の目で見る「地球の科学」コーナー。35体の恐竜骨格の展示や恐竜との対面スクリーンと立体音響のダイノシアターで恐竜時代が体感でき、巨大なジオラマによる「中国四川省の恐竜たち」「日本とアジアの恐竜」などの「恐竜の世界」のコーナーがある。
地下1階には恐竜1体分の実物化石が埋められた地層が見られるボーンヘッド(骨化石含有層)があり、恐竜の知識を得ることができる貴重な施設である。

(写真は ボーンベッド)


◇あ    し◇
越前大野城JR越美北線越前大野駅下車徒歩25分。 
武家屋敷旧山内家JR越美北線越前大野駅下車徒歩20分。 
御清水JR越美北線越前大野駅下車徒歩25分。 
七間朝市JR越美北線越前大野駅下車徒歩20分。 
平泉寺白山神社JR北陸線福井駅から代行バス京福電鉄勝山駅で乗り換え平泉寺荘下車徒歩10分。 
福井県立恐竜博物館JR北陸線福井駅から代行バス京福電鉄勝山駅で乗り換え黒原下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
大野市役所商工観光課0779−66−1111 
大野市観光協会0779−65−5521 
越前大野城0779−66−0234 
勝山市役所商工観光課0779−88−1111 
勝山観光協会0779−87−1245 
福井県立恐竜博物館0779−88−0001 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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