月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・鞍馬〜貴船

 暑い京都の夏から逃れる避暑地・鞍馬、貴船は別天地。気温は市街地より5、6度低く、緑深い木立の間からの冷風が肌に心地よい。また、鞍馬、貴船は神仏の聖地でもあり、納涼を兼ねた参拝者や貴船の川床料理を楽しむ人も多い。


 
鞍馬山 放送 8月4日(月)
 鞍馬名物・木の芽煮の香りが漂う鞍馬街道のすぐ上に仁王門が臨んでいる鞍馬寺は、京都市の北部・鞍馬山(標高513m)の中腹にある鞍馬弘教(くらまこうきょう)の総本山。奈良時代末の宝亀元年(770)奈良の唐招提寺を開いた鑑真和上の高弟・鑑禎(がんてい)が、夢のお告げによる馬の導きで鞍馬山に入り、毘沙門天をまつったのがはじまりとされる。その後、延暦15年(796)造東寺長官の藤原伊勢人(いせと)が堂宇を建立、観音像を併せまつり鞍馬寺と称した。以来、平安京の王城鎮護の寺として崇敬を集め、洛北の巨刹として栄えた。
 鞍馬山は鞍馬寺が建立されるはるか以前である650万年前に人類救済の使命を帯びて、金星から天下ったと言われる護法魔王尊の力があったところとされ、尊天信仰の地でもあった。

本殿金堂

(写真は 本殿金堂)

放生池

 鞍馬山の尊天信仰は、この世のものすべてを生み出す宇宙生命、宇宙エネルギーとなる「尊天」を本尊とするもの。神仏、宗派の区別を越えた大地の気・護法魔王尊、太陽の気・毘沙門天、月に代表される水の気・千手観音の三身を一体とした尊天を信仰するものである。尊天信仰は、非行悪言を慎み己を完成し、真実誠心をもって世に尽しながら、尊天よりもらった力で強い信念を確立するとの信仰3ケ条の教えに基づき、毎日の生活が即信仰につながると説いている。
 山門をくぐり九十九折(つづらおり)の参道から少しはずれた所の放生池は、生きたものを放して逃がしてやるための池。この先には鞍馬の清水が流れ落ちる「魔王の滝」がある。この一帯を護法魔王尊の聖域・護法境と呼んでいる。

(写真は 放生池)

 仁王門から少し登った所に鎮座する由岐(ゆき)神社は鞍馬一帯の氏神。御所にまつられていた由岐大明神を、都の北の鎮めとするため天慶3年(940)鞍馬へ移したのがこの神社の始まり。この時、手に松明をかかげ、道筋にかがり火をたいて遷宮の行列を迎えたのに因んで始まったのが、由岐神社の例祭・鞍馬の火祭である。
 現在の舞台造りの拝殿(国・重文)は慶長12年(1607)豊臣秀頼が再建、寄進したもので、中央に1間(1.8m)の通路があり、割拝殿(わりはいでん)と呼ばれその奥に本殿がある。
 鞍馬寺中興の祖・峯延(ぶえん)上人の大蛇退治伝説に因んで、大蛇に見立てた青竹4本を僧兵姿の法師4人が、山刀で斬り競う竹切会式も鞍馬の火祭とともに有名な鞍馬寺の行事である。

由岐神社

(写真は 由岐神社)


 
牛若丸修行の山 放送 8月5日(火)
 鞍馬山と言えば源義経(1159〜89)が、まだ牛若丸と呼ばれていた7歳のころから約10年間、文武の修行に励んだ所として知られている。
 宝亀元年(770)奈良の唐招提寺を開いた鑑真和上の高弟・鑑禎(がんてい)が庵を結び、毘沙門天をまつったのが起こりとされる鞍馬寺は、創建当初は法相宗、後に真言宗、さらに天台宗となった。戦後の昭和22年(1947)独立して、鞍馬弘教(くらまこうきょう)を立宗してその総本山をなった。創建以来、度々火災に見舞われて一時、寺運も衰退したが、豊臣、徳川両氏から寺領を寄進されて寺運を回復した。江戸時代後期の文化年間(1804〜18)に再び火災で全山焼失、明治維新の神仏分離令、排仏毀釈で本堂のみを残すだけとなった時もある。

義経公供養塔

(写真は 義経公供養塔)

川上地蔵堂

 「鞍馬寺」の扁額がかかる丹塗りの仁王門は明治44年(1911)に再建されたもので、左側の扉は平安時代後期の寿永年間(1182〜4)のものとされ、仁王像は湛慶作と伝えられている。
 鞍馬寺本堂の金堂へはお年寄りや体の不自由な人はケーブルで登ることもできる。しかし、元気な人はぜひ九十九折(つづらおり)の参道を豊かな自然の草花を観察したり、義経ゆかりの史跡を見学しながら登ることで鞍馬寺参詣への意義がさらに深まる。
 本尊の毘沙門天像、護法魔王尊、千手観世音菩薩像が安置されている金堂には参拝者が絶えない。本尊は秘仏となっており、60年に一度、扉が開かれ参詣者が拝観することができる。

(写真は 川上地蔵堂)

 鞍馬山や鞍馬寺には義経ゆかりの史跡がいくつも残っている。平治の乱で父・義朝が平清盛ら敗れ、異母兄の頼朝は伊豆に流され、7歳の牛若丸は鞍馬寺の東光坊の僧・覚日のもとに預けらた。やがて自分の生い立ちを知り、父の敵である平氏討伐の志を抱くようになり、毎夜、奥の院・僧正ガ谷で天狗を相手に武芸を磨いたと伝えられている。
 東光坊跡には義経公供養塔が建ち、その向かいに牛若丸の守り本尊がまつられいた川上地蔵堂が建っている。奥の院への参道途中には、牛若丸がのどのかわきを潤した息つぎの水、奥州へ下る時に鞍馬山への名残を惜しみ背比べをした参道頂上の背比べ石があり、さらに大樹の木の根が地表に露出した木の根道を目にすると、りりしい少年牛若丸が駆け回った姿がしのばれる。

息つぎの水

(写真は 息つぎの水)


 
貴船神社・本宮 放送 8月6日(水)
 清流がほとばしるように流れる貴船川の上流に貴船神社がある。この神社へは叡山電鉄貴船口駅から徒歩やバスで行けるが、鞍馬寺から奥の院を経て鞍馬寺西門へ下り、貴船川を渡るとすぐ前に貴船神社の社殿が見える。ハイキングをかねてこのコースをたどって参拝する人も多い。
 朱塗りの鳥居をくぐり、朱色の春日灯ろうが立ち並ぶ石段の参道を登ると、表門脇に御神木の樹齢約400年の桂の大木が参拝者を迎えてくれる。周囲には原生林のような大木の樹木が茂り、貴船山の大自然がこの神社の雰囲気をより神秘なものにしている。貴船神社の祭神は水をつかさどる神である。
御神木の桂

(写真は 御神木の桂)

社殿

 水の神・貴船神社が記録に表れるのは、弘仁9年(818)日照りがが続いたため嵯峨天皇が勅使を遣わし、黒馬を献じて雨乞いをした時からである。以後も日照りには黒馬、長雨には白馬を献じて祈雨、止雨の祈願が行われてきた。その後、生きた馬にかえて板に馬を描いた「板立馬」を奉納したとの記録があり、これが今日の絵馬に願いを込めて奉納する風習の原形になったとされている。
 絵馬発祥の神社とされる貴船神社では、黒馬・白馬の絵馬のほかに水の神である龍神を描いた龍絵馬もあり、これらの絵馬に願いを込めて奉納する参拝者が多い。境内の黒馬、白馬の神馬銅像は、駆けている躍動的な姿から「願かけ馬」と呼ばれており、これも祈雨、止雨祈願の黒馬、白馬に由来している。

(写真は 社殿)

 水の神にふさわしく貴船神社本殿前の石垣からはこんこんと御神水の清水がわき出ている。貴船山からわき出るこの清水は、これまで一度も枯れたことがなく、夏は冷たく、冬は暖かく、弱アルカリ性の名水として知られている。茶人らが「茶を点てるのに最良の水」とわざわざこの水を汲みに来ることもある。
 貴船神社には「水占(みずうら)みくじ」と呼ばれる珍しいおみくじがある。おみくじを境内の霊泉に浮かべると大吉、中吉などの文字が現れ、乾かすと文字が消えてしまう。水に浮かべるまで文字が見えないので、神社ではおみくじの入った箱の中から好きなひとつを選んでもらっている。他の神社のように番号くじを引くのとは異なる方法に興味をいだき、この水占みくじで運勢を占う参拝者も多い。

御神水

(写真は 御神水)


 
貴船神社奥宮へ 放送 8月7日(木)
 貴船の地名は、大地から「気」が立ち昇るところから「気生根(きふね)」、水の神がおられる樹木の生い茂った山から「木生嶺(きふね)」と称したことに由来していると言う。貴船神社の創建年代は定かでないが1600年以上の歴史がある古社とされ、この神社に参拝すればその御神気にふれ、元気が回復して運が開けるとの篤い信仰がある。
 これらの御神徳をたよって祈雨、止雨の祈願のほかに、平安時代には朝廷や貴族らの参拝が多かった。中でも男の鞍馬、女の貴船と言われ、朝廷の女性や公家の娘たちの参拝が目立ったようだ。

奥宮

(写真は 奥宮)

船形石

 貴船神社本宮からさらに北へ500mほどところに貴船神社奥宮がある。貴船神社は元はこの地にあったが天喜3年(1055)の貴船川の洪水で社殿が流された時に、本殿を現在の本宮の地に移してから奥宮となった。祭神は本宮と同じで、こけら葺きの社殿が周囲の自然と調和して、厳かで神秘的な雰囲気を漂わせている。
 神武天皇の母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は「この船の留まる所に水の神をまつる」と国土を潤す水の神をまつる場所を求め、難波の地から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼったという。この奥宮の地にたどり着き、ここに祠(ほこら)を建てたのが貴船神社の起こりと伝えられている。

(写真は 船形石)

 玉依姫命が淀川、鴨川、貴船川をさかのぼってきた船を人目にさらしてはならないと、石で覆い隠したとされるのが奥宮の境内にある「船形石」。しめ縄が張られ苔むした船形石は、船乗りや漁師たちから航海安全の神として信仰され、船形石の小石をお守りとして持ち帰る船乗りもいる。また、船形石の上に茂っている草を抜き取るとたたりがあるとも言われている。
 本宮と奥宮の中間にある中宮は「結社(ゆいのやしろ)」と呼ばれ、縁結びの神として信仰されている。ススキのような細長い草の葉を結んで祈願すると願いがかなうと言われており、今は神社の「結び文」が草の葉に代わっている。夫との不仲に悩んだ和泉式部もこの社に参って祈願し「ものおもへば 沢の蛍もわが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ思う」とその心情を歌に詠んだ。その後、夫との夫婦仲も円満になったとか…。

結社

(写真は 結社)


 
京の奥座敷 放送 8月8日(金)
 京都市の最北部にあり東の鞍馬山、西の貴船山の間を流れる貴船川の清流沿いは、水をつかさどる神が宿り、その水をかん養する緑深い森林が続いている。そこには自然から発せられる神気が感じられ、神秘的で厳かな雰囲気がある。
 一方では京の奥座敷の異名があるように、京の人びとは蒸し風呂のようになる京の町の暑さを逃れ、貴船川の清流に涼を求めてやってくる。

ひろや

(写真は ひろや)

鮎の塩焼き 石庭盛り

 京都の市街地より気温が5、6度も低くその涼しさは格別である。貴船に初夏が訪れる5月になると貴船川に沿って軒を連ねる18軒の料理旅館や料理店が一斉に、冷たいせせらぎの上に名物の貴船の川床をしつらえ、納涼客を迎える。
 清流の流れからの冷気が川床を吹き抜け、天然の冷房で真夏でも暑さ知らずである。
浴衣姿でこの川床でくつろぎ、それぞれの料理店や料理旅館が趣向を凝らして作る川床料理とビールの味は、筆舌では言い表せないものだと常連の食通は言う。

(写真は 鮎の塩焼き 石庭盛り)

 カジカが鳴き、ホタルが飛び交う清流の川床でいただく料理で旬の味が満喫できる。鴨川、貴船川で捕れる天然アユの塩焼き、夏の京都には欠かせないハモ料理などが、見た目にも涼しげなきれいな器に盛られたり、氷を削って造られた氷鉢に盛られ涼しさをさらに感じさせる。ほかに山菜料理、冷たい流しそうめんなど、貴船ならではの川床料理が並ぶ。真夏の京でこれに勝るぜいたくはないと言えよう。
 川床料理は昼と夜に分かれ、家族連れやグループで気軽に利用できる。値段は1万円前後からあり、それぞれ予約が必要なので、貴船神社内にある貴船観光会に問い合わせれば予算に合わせた店を紹介してくれる。

鯉のあらい 鯛のつくりの氷鉢盛り

(写真は 鯉のあらい 鯛のつくりの氷鉢盛り)


◇あ    し◇
鞍馬寺叡山電鉄鞍馬駅下車徒歩25分。ケーブル利用の場合は多宝塔駅下車徒歩5分。
由岐神社叡山電鉄鞍馬駅下車徒歩15分。
貴船神社叡山電鉄貴船口駅からバス貴船下車徒歩5分。
叡山電鉄貴船口駅下車徒歩30分。
◇問い合わせ先◇
鞍馬寺075−741−2003
由岐神社075−741−1670
貴船神社
貴船観光会
(川床料理店の問い合わせ他)
075−741−2016
ひろや 075−741−2401

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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