月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良市 

 奈良市の南郊、山の辺の道・北道にそった一帯には由緒ある古刹や文化遺跡が多い。
古都・奈良といえば東大寺や興福寺、春日大社など大きな社寺に目が向くが、目立たぬ場所にひっそりとたたずむ寺や神社には、心を和らげてくれる静寂な雰囲気がある。今回はこんな場所を訪ねてみた。


 
帯解寺  放送 8月5日(月)
 奈良市の中心部から南へはずれたあたりに京終(きょうばて)と言う地名がある。文字通り平城京の南端で、ここから桜井、伊勢方面への上(かみ)街道(上ツ道)が延びている。この道を進んで行くと安産の地蔵さんで名高い帯解(おびとけ)寺に至る。
 この寺は空海の師・勤操(ごんそう)大徳の開基と伝えられている。子供ができずに悩んでいた文徳天皇の染殿皇后が、帯解寺の本尊・地蔵菩薩に祈願したところ懐妊、嘉祥3年(850)、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれた。また、江戸時代には2代将軍・徳川秀忠がこの地蔵菩薩の祈願したところ男児・竹千代(後の3代家光)が生まれた。惟仁親王が生まれて以来、今日まで子宝、安産祈願のお地蔵さんとして、朝廷や貴族はもとより一般庶民の信仰を集め、安産の腹帯やお守りを求める参拝者が絶えない。

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(写真は 本尊・地蔵菩薩像)

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 帯解寺の本尊・木造地蔵菩薩像(国・重文)は半跏(はんか)像で、はち切れそうなほほや柔らかい着衣のひだなど調和の取れた姿の地蔵像として知られている。俗に「帯解地蔵」と呼ばれたり、腹の前で裳(も)のひもを結んでいることから「腹帯地蔵」と呼ばれたりしている。
 戦国時代の永禄10年(1567)兵火で本堂は焼失したが、地蔵菩薩像は持ち出されて無事だった。江戸時代に入って徳川秀忠の援助で再建されたが、幕末の安政の大地震で倒れ、安政5年(1858)に再建されたのが現在の本堂。
 帯解寺から正暦寺に通じる山の辺の道の途中に帯解地蔵の霊験にあやかり、ちらし寿司を包んだ卵焼きに「子宝」の焼き印を捺して、のりの腹帯を巻いた子宝寿司を売る寿司屋がある。

(写真は 子宝寿司(魚昌寿司)


 
山の辺の道・北道  放送 8月6日(火)
 山の辺の道と言えば今は普通、桜井から天理市の石上(いそのかみ)神宮までが、ハイカーたちに知られている。日本最古の道と言われる古代の山の辺の道は、天理市からさらに北へ進み奈良市まで達している。この天理〜奈良間の道が「山の辺の道・北道」とされている。
 北道の北端あたりに花の寺として知られる白毫寺がある。境内の「五色椿」は、県の天然記念物に指定されている。3月下旬から4月にかけて1本の木に赤、白、桃色、斑入りなど色とりどりの花をつけ、参拝者の目を楽しませる。秋には、山門から境内に通じる石段の両側の萩が、可憐な花をいっぱいつけ参道をおおう萩の名所でもある。由緒ある仏像がある寺としても知られており、本尊の阿弥陀如来座像や閻魔王座像など8体の仏像はいずれも国の重要文化財に指定されている。

(写真は  崇道天皇 八嶋陵)

 白毫寺から山麓の道を南へ歩を進めると道のほとりに崇道(すどう)天皇八嶋陵がある。延暦4年(785)無実の罪で淡路へ流される途中、絶食して非業の死を遂げた早良(さわら)親王が、後に天皇号を追贈されて葬られた陵。
 ここから南へくだると弘法大師・空海が刻んだとされる虚空蔵菩薩像を本尊とする弘仁寺がある。元は寺の名も虚空蔵寺と呼ばれ、この付近の虚空蔵寺町の地名もこの寺に由来する。知恵の虚空蔵さんとして信仰され、13歳になった子供が知恵を授けてもらうための「十三参り」で知られている。
 北道の南端にある石上(いそのかみ)神宮は日本最古の神社と言われ、拝殿は国宝に指定されている。石上神宮で有名なのが国宝の七支刀(しちしとう)。長さ約75cm、鹿の角のように左右にそれぞれ3本の支刀がある刀。刀身に刻まれた61字の文字から朝鮮・百済王から献上されたと見られている。

(写真は  弘仁寺)


 
円照寺  放送 8月7日(水)
 崇道天皇陵の少し南に広大な敷地の寺が円照寺で、中宮寺、法華寺と並ぶ大和三門跡寺院のひとつ。開山は後水尾天皇の第一皇女・文智内親王(梅宮)の大通文智。この寺は最初、京都修学院に創建されたが、天皇の離宮を造営するため奈良市八島町に移され、さらに寛文9年(1669)現在地に移った。
 ふだん拝観は許されていないが参道の奥深くに山門があり、その向こうに京都御所紫宸殿の古材で建てた宸殿や茅ぶきの本堂、奥御殿、葉帰庵が建っており、俗塵を離れた閑静な寺院のたたずまいを見せている。

(写真は 本堂(圓通殿 )

 花が好きだった内親王は、寺の境内で咲く花を父・後水尾天皇に贈ったり、自分で花を生けたりしていた。内親王の花の生け方を代々の門跡が受け継ぎ、現在の華道・山村流となった。ここからこの寺が華道・山村流の家元となり山村御殿と呼ばれるようになった。
 境内の庭園には二十五菩薩の楽器やその持ち物を形取った石が配置されており、静かなたたずまいをよりいっそう際だたせている。寺の裏山には5つの円墳の五つ塚古墳、天智天皇の皇子の舎人親王の墓と伝えられる方形墳の黄金塚、飛鳥時代の山村廃寺跡などがあり、考古学の見地からも重要である。

(写真は  文智内親王画像)


 
正暦寺  放送 8月8日(木)
 円照寺から東へ1時間ほど歩き、深い緑と鳥の鳴き声に包まれた山中にある正暦寺は、正暦3年(992)一条天皇の勅願によって建立された。
 当時は多くの堂塔、坊舎86坊が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺の壮麗な威容を誇っていた。だが、平重衡の南都焼き打ちの兵火にかかり全山が全焼した。再興後も戦国時代の火難などがあって、現在、往時を伝えている建物は、江戸時代に再建された本堂、鐘楼と福寿院客殿(国・重文)のみとなった。延宝9年(1681)建立の福寿院客殿は上壇の間を持つ数奇屋風建築で、狩野永納のふすま絵や欄間の絵が伝わっている。

(写真は  福寿院客殿)

 福寿院客殿に毒蛇の天敵である孔雀に乗った孔雀明王像がまつられている。孔雀明王像は孔雀を使って人びとを毒物、災難から守る仏として信仰されている。
 本尊は台座に腰掛け踏割蓮華の上に足を置くちょっと珍しい形の金銅薬師如来像(国・重文)で秘仏。鳥羽天皇の病気平癒のためにこの本尊を宮中に移したとの記録が残っている。本尊のご開帳は4月18日〜5月8日、11月3日〜28日、冬至の日の年3回。冬至の日には冬至祭があり、祈祷したカボチャを使った精進料理が作られる。

(写真は 本尊・薬師如来像 )


 
正暦寺・歴史を秘めた石  放送 8月9日(金)
 正暦寺は最盛期だった室町時代中ごろまで多くの堂塔、坊舎が建ち並んでいた。その名残をしのばせるのが、今も当時のままで残っている苔むした長い参道や大がかりな石垣であろう。かつてこの参道が伊勢へ通じる街道だったと言われており、多くの人びとが往来し、この参道を踏みしめて正暦寺に参詣、伊勢へと向かった様子がうかがえる。
 山内の2カ所に数えきれないほどの石仏、石塔が集められている。これは多くの塔頭寺院の跡に残っていたもので、僧侶を供養した供養塔、石仏である。昭和34、5年ごろこの2カ所に集めて供養するとともに散逸から守った。

(写真は  宝篋印塔)

 石仏群の両側に鎌倉時代の十三重塔や宝篋院塔(ほうきょういんとう)がまつられている。この宝篋院塔から1007体の千体地蔵菩薩像が発見された。また寺のはずれに高さ1mほどの水子地蔵像、身替地蔵像がまつられている。ひとつは円形の光背、もうひとつは船形の光背を背負っており、2体の地蔵像ともふくよかな顔立ちで笑っているように見える。この地蔵は街道の守り仏のではなかったかと言われており、街道を通る人びとの人生の泣き笑いを見つめ受け止めてたことから“泣き笑い地蔵”の別名がある。
 正暦寺に通じる道に沿って流れる菩提仙川のそばに奈良市内の酒造業者らによって「日本清酒発祥之地」の碑が建てられている。室町時代にはこの清流の水を使って「菩提泉酒」が造られていたことが記録に残っている。また、この渓流沿いの木々は秋には鮮やかに色づき「錦の里」と呼ばれる紅葉の名所でもある。

(写真は 千体地蔵菩薩 )


◇あ    し◇
帯解寺JR桜井線帯解駅下車徒歩5分。 
白毫寺近鉄奈良線奈良駅からバス白毫寺下車徒歩5分。 
崇道天皇八嶋陵JR関西線奈良駅からバス八島町下車徒歩3分。 
弘仁寺JR関西線奈良駅からバス高樋町下車徒歩5分。 
石上神宮JR桜井線・近鉄天理線天理駅からバス石上神宮下車徒歩3分。 
円照寺JR関西線奈良駅からバス円照寺前下車徒歩5分。 
正暦寺JR関西線奈良駅からバス柳茶屋下車徒歩30分。 
◇問い合わせ先◇
奈良市観光課0742−34−1111 
奈良市観光協会0742−22−3900 
帯解寺0742ー61ー3861 
白毫寺0742ー26ー3392 
弘仁寺0742ー62ー9303 
石上神宮0743ー62ー0900 
円照寺0742ー61ー7600 
正暦寺0742ー62ー9569

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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