月〜金曜日 21時48分〜21時54分


薬師寺 

 薬師寺は南都七大寺のひとつで、唐招提寺と並ぶ奈良・西ノ京の古刹。その大伽藍(がらん)はわが国随一の壮美を誇っていた。今回はこの薬師寺にスポットを当ててみた。


 
薬師三尊像  放送 8月6日(月)
薬師三尊像(白鳳時代 国宝) 薬師寺は飛鳥時代の680年に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して飛鳥の地に創建、それから6年後の686年に天武天皇は薬師寺の完成を見ずして亡くなった。夫の遺志を継いだ持統天皇が698年に七堂伽藍を完成させた。その後、平城遷都(710年)に伴って現在地に移され、橿原市の本薬師寺跡には金堂と東西両塔の礎石などの建物跡だけが残っている。
 薬師寺は東西に両塔、中央に中門、金堂、講堂が一直線に並ぶ薬師寺式と言われる伽藍配置で、西ノ京に完成したころはそのたたずまいの美しさから「竜宮のようだ」とも言われていた。
 薬師寺は、幾多の火災で堂塔は焼失し、特に室町時代の享禄元年(1528)の兵火で東塔、東院堂を除く金堂、講堂、中門、西塔、僧坊などすべてを焼失した。
(写真は 薬師三尊像(白鳳時代 国宝))

日光菩薩像(白鳳時代 国宝) 金堂に金銅仏の本尊・薬師如来像、日光、月光両菩薩像(いずれも白鳳時代・国宝)の薬師三尊像が安置されている。薬師如来は医王如来とも言い、人の心身の病を救い病気に応じて薬を与え、健康を維持してくれる応病与薬の仏。天武天皇が皇后の病気平癒のため薬師寺の建立を思い立ったのも、薬師如来の応病与薬にすがろうとしたのである。また、西の極楽浄土へ導く仏が阿弥陀如来であるのに対し、東の浄瑠璃浄土へ導く仏が薬師如来で、文楽の浄瑠璃は、薬師如来の徳を賛嘆したことに起源がある。
 薬師寺の薬師如来像は結跏趺坐(けっかふざ)し、薬師如来の特徴である薬壺は持っていないが、両手の掌には美しい法輪がひとつ線刻されている。薬師如来の両脇の日光、月光菩薩像は、やや腰をひねっている珍しい姿で、動きのある美しい姿の仏像。三尊形式を意識したこのようなポーズは白鳳時代の仏像にはほかには見られない。漆黒に光る三尊の姿は火災にあって化学変化を起こしたと言われている。
 仏の世界は如来と菩薩の2つに区分される。如来は目的に達し悟りを開いた仏。菩薩はまだ悟りを開いていない修業中の仏。如来像と菩薩像の差は着衣にも違いがあり、菩薩の姿はきらびやかで人間の外見や姿、形にこだわる気持ちを表している。
(写真は 日光菩薩像(白鳳時代 国宝))


 
玄奘三蔵  放送 8月7日(火)
玄奘三蔵院伽藍 薬師寺は法相宗(ほっそうしゅう)の大本山で、その始祖は「西遊記」で三蔵法師として親しまれている玄奘三蔵(602〜664年)である。
 玄奘は10歳で出家し、仏法と高僧の教えを求めて中国各地を巡り修行を重ねた。修行を重ねるにつれ仏典の疑問を解くため、天竺(インド)へおもむき教義の原典に直接接し学びたいとの強い希望を抱くようになった。しかし、当時の唐は鎖国政策と取っており、出入国が禁じられ天竺への出国は許されなかった。しかし、天竺への気持ちは高まるばかりで、ついに27歳の時に密出国、草木一本もない灼熱と砂嵐の吹きつけるタクラマカン砂漠を歩き、雪と氷に閉ざされた厳寒の天山山脈を越える過酷な苦難の旅を続けた。ひたすら西を目指す「不東」の精神で乗り越え、3年後にようやくインドにたどり着いた。
(写真は 玄奘三蔵院伽藍)

玄奘三蔵訳経像 インドでは高僧から法相宗の原点である唯識教学を学んだり、仏跡を訪ねるなどして仏教の奥義を極めることに務めた。17年後に仏像、仏舎利と仏教原典657部を携えて唐に帰国した。密出国の時とは大違いで、その当時の唐の皇帝・太宗が国境近くまで迎えの使者を遣わしたほどだった。
 帰国後は持ち帰った仏典の漢訳にその生涯を賭け、玄奘の仏典漢訳によって唐代の仏教興隆の基礎が築かれた。日本でポピュラーなお経として広く読経されている「般若心経」は、玄奘三蔵がこの時に漢訳したものである。仏典の漢訳に専念していた玄奘に代わって、唯識学の教義は玄奘の一番弟子の慈恩大師によって広められ、法相宗も慈恩大師によって開かれた。
 平成3年(1991)に薬師寺に玄奘三蔵院伽藍が完成し、八角堂には玄奘の舎利と玄奘三蔵訳経像を安置し、大唐西域壁画殿には玄奘三蔵の歩んだ道を平山郁夫画伯が壁画に描いた絵身舎利としてまつっている。
(写真は 玄奘三蔵訳経像)


 
仏陀の輝き  放送 8月8日(水)
東塔水煙 薬師寺の東塔(白鳳時代・国宝)は同寺で唯一、1300年前の創建当時の姿のまま残っている建物で、アメリカの美術研究家・フェノロサが「凍れる音楽」と評したように美しい三重塔として知られている。各層の屋根の下に裳階(もこし)と言われる小さな屋根がついているので、一見すると六重の塔のように見える。
 塔の上層部の相輪が卒塔婆で、その基部の伏鉢と言われている所に仏舎利が納められており、相輪の頂きの宝珠は仏陀の輝きを表している。相輪部の水煙には透かし彫りされた24人の飛天が笛を奏で、花をまき、衣をひるがえして祈りを捧げ、仏を讚えている。
(写真は 東塔水煙)

仏足石(国宝) 薬師寺金堂には仏足石(白鳳時代・国宝)が安置され拝観できる。以前は仏足堂に安置されていたものを金堂へ移した。
 インドでは釈迦の入滅後3〜400年間は仏を形に現すのはもったいないと、釈迦の足跡を石に彫って祈りをささげていた。その後、仏像が作られるようになり、祈りの対象が仏像に移った。薬師寺の仏足石の側面に刻まれた銘によると、インドのマガダ国の仏足石を唐の王玄策が写して持ち帰り、長安の普光寺に置いた。これを遣唐使の僧が写して日本に持ち帰り、平城京の禅院に安置した。これを更に転写したのが薬師寺の仏足石だと伝えられている。仏足石には法輪や花などが描かれており、金堂に安置されている薬師如来像の左足裏の仏足文とよく似ている。
(写真は 仏足石(国宝))


 
東院堂  放送 8月9日(木)
東院堂(国宝) 東塔の回廊を隔てた東側に建つ東院堂(国宝)は、養老年間(717〜24)に長屋王の妃、吉備内親王が母・天明天皇のために発願して建てた。現在の建物は鎌倉時代の弘安8年(1285)の再建で、わが国に現存する最古の禅堂。奈良時代のお堂は土間が通常であるが、板敷にして東院禅堂と呼ばれたことは、鎌倉時代の禅の影響を受けていると見られる。
(写真は 東院堂(国宝))

聖観世音菩薩(国宝) 東院堂内には聖(しょう)観音菩薩像(白鳳時代・国宝)と四天王像(国・重文)が安置されている。目には見えない人びとの悩みや苦しみを心の目で見て救ってくれるのが聖観音で、端正な若者を思わせる気品のある顔立ちは「祈りが昇華していく崇高な姿」と言われている。繊細な指の動き、衣の美しいひだの流れの下から足が透けて見える彫刻は、インドのグプタ王朝の影響を強く受けている。
 聖観音像とは対照的なのが四天王像。激しい形相で聖観音菩薩像の四方を守っている。
四天王像の持ち物や体の形、体の色を緑、朱、肌、群青色にそれぞれ塗り分けた特色は、鎌倉時代以降の四天王像の特徴をよく表している。ほかに東院堂内には文殊菩薩像(国・重文)、吉祥天女画像(国宝)が安置されている。
(写真は 聖観世音菩薩(国宝))


 
白鳳伽藍復興  放送 8月10日(金)
薬師如来台座(インド・力神 国宝) 金堂の本尊・薬師如来像の台座にはギリシャの葡萄(ぶどう)唐草文様、ペルシャの蓮華文様、各面の中央にはインドの力神の裸像が浮き彫りされている。更に台座の東面に青龍、西面に白虎、南面に朱雀、北面に玄武と中国の四神像が浮き彫りにされ、それぞれの方角を守護している。シルクロードを通じて東西交流を重ねた白鳳文化の国際性がうかがえる。
(写真は 薬師如来台座(インド・力神 国宝))

復興中の大講堂 薬師寺は室町時代の享禄元年(1528)の兵火で東塔を除く金堂、講堂、中門、西塔、僧坊などすべてを焼失した。その白鳳伽藍(がらん)の復興が昭和43年からの写経勧進によって進められ、昭和51年(1976)に金堂、昭和56年(1981)に西塔、昭和59年(1984)に中門がそれぞれ復元・再建された。現在は2002年秋の完成を目指して、近代建築の技術を取り入れ耐震性を施した大講堂の復興工事が行われている。
 一字一字に祈りを込めて書写した般若心経などを納経し、その回向料の浄財で白鳳時代の伽藍を復興しようとの願いはまもなく完結する。再建されたそれぞれの堂塔には、写経した人たちの一字一字の祈りが込められている。
(写真は 復興中の大講堂)


◇あ    し◇
薬師寺近鉄橿原線西ノ京下車 徒歩3分。 
◇問い合わせ先◇
薬師寺0742−33−6001

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