月〜金曜日 21時48分〜21時54分


大津市 

 大津市は歴史が刻まれた町である。大津が歴史の舞台に登場するのは、天智天皇の近江大津宮遷都からで、わずか6年で大津宮は廃されたが、その後、三井寺(園城寺)、石山寺、延暦寺が創建される。市内の文化財は京都、奈良、東京に並んで多く、それらは延暦寺、三井寺、石山寺、日吉大社、近江神宮の三寺二社に集まっている。わが国最大で滋賀県全体の約6分の1の面積を占める琵琶湖の南に位置し、湖畔に広がる景勝地も多い。かつては京の都と東国、北陸を結ぶ水上交通と陸路の交通、軍事上の要衝の地だった。


 
湖岸の名勝  放送 8月13日(月)
『矢橋の帰帆』歌川広重(大津市歴史博物館蔵) 琵琶湖湖畔には湖水とマッチした景勝地が多く、古くから大勢の人たちに親しまれてきた。その代表が江戸時代後期の浮世絵師・安藤広重が浮世絵で紹介してから有名になった「近江八景」。「三井の晩鐘」「粟津の晴嵐(せいらん)」「瀬田の夕照(せきしょう)」「石山の秋月」「唐崎の夜雨(やう)」「堅田の落雁(らくがん)」「比良の暮雪(ぼせつ)」「矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)」の近江八景は、湖岸開発の波に洗われているが「矢橋の帰帆」と「粟津の晴嵐」を除けば今もその風情を残している。
 湖に面したなぎさ公園には「粟津の晴嵐」の松並木が復元され、遊歩道のそぞろ歩きを楽しむ人たちの姿が見られる。その対岸にはヨットが往来する「矢橋の帰帆」の湖岸が望める。
(写真は 『矢橋の帰帆』歌川広重(大津市歴史博物館蔵))

膳所城跡公園 膳所城は徳川家康が関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)に、東海道の押さえの城として大津城を移して築城、完成させた。城郭の北、東、南が湖水に面した典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀や櫓(やぐら)などが湖面に映り、美しい景色を見せていたと言う。現在、城跡は膳所公園として整備され、市民らの憩いの場となっている。
 きれいな湖面と青松など、その美しい景色を誇った琵琶湖湖畔にある横約440mで、世界最大級の規模を誇る「びわこ花噴水」が人気を呼んでいる。8カ所から噴き出す水が刻々とその形や色を変える姿にはうっとりさせられる。特にライトアップされた夏の夜の噴水は涼感満点と言える。
 現代の琵琶湖は関西のウオーターレジャーの中心地。ヨット、モーターボート、水上バイクなどのレジャースポーツから琵琶湖周遊の外輪船「ミシガン」やデイクルーズ船「ビアンカ」による琵琶湖観光、琵琶湖博物館、水生植物公園みずの森、水環境科学館などの学術・文化施設などが整っている。
(写真は 膳所城跡公園)


 
松尾芭蕉  放送 8月14日(火)
玄住庵跡 江戸時代の俳聖・松尾芭蕉(1644〜94)が初めて大津を訪れたのは、貞享2年(1685)春の「野ざらし紀行」の途中だった。この時「山路来て何やらゆかし菫(すみれ)草」「唐崎の松は花より朧(おぼろ)にて」の2句を詠んだ。近江の風光を愛した芭蕉は、以後もたびたび大津を訪れている。
 芭蕉は元禄3年(1690)4月、前年までの「奥の細道」の旅の疲れを癒すため、大津の幻住庵で4ヶ月半を過ごした。この庵からの眺望と山中での生活が気に入り、ここでの体験をもとに書いたのが有名な「幻住庵記」である。芭蕉が没した年の元禄7年も大津で過ごしたあと、伊賀から大阪へ向かい、大阪・南御堂の花屋仁右衛門宅で死去、遺言の「骸(から)は木曽塚に送るべし」によって、大津の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られた。
(写真は 玄住庵跡)

松尾芭蕉の墓(義仲寺) 芭蕉が気に入った幻住庵は元禄3年、門弟の菅沼曲翠が伯父の幻住老人が住み捨てた庵を修復して芭蕉に提供した。幻住庵跡には「幻住庵記」の結びの句である「先(まず)たのむ椎(しい)の樹も有り夏木立」の句碑が立っている。現在の幻住庵は1991年に「ふるさと吟遊芭蕉の里」事業の一環として再建されたもので、「幻住庵記」に出てくる「とくとくの清水」は今も変わらずに木立の中を流れている。
 芭蕉の墓がある義仲寺は木曽義仲の墓所で、かって琵琶湖に面した景勝の地にあった。芭蕉は元禄3年7月23日、幻住庵を出て8月15日、義仲寺で月見の会を催しており、翌年にも再び義仲寺で月見の会を開いており、琵琶湖が望める義仲寺も気に入っていたようだ。
 芭蕉は琵琶湖を抱く近江の風光をこよなく愛し、近江の門人たちと心温まる交流を重ねた。近江の門人に宛てた手紙の中に「貴境は旧里(ふるさと)のごとくに存ぜられ…」と言っており、芭蕉が旧里と言う言葉を使っているのは、故郷の伊賀以外では近江だけで、その第二の旧里・大津を終の住み処とすべく、義仲寺に葬られることを遺言したのであろう。
(写真は 松尾芭蕉の墓(義仲寺))


 
瀬田の唐橋  放送 8月15日(水)
瀬田の唐橋 近江八景「瀬田の夕照(せきしょう)」で知られる琵琶湖の最南端にある瀬田の唐橋は、宇治橋、淀橋と並んで日本三大名橋のひとつ。浮世絵の通り夕暮れ時の風情は格別のものがある。この橋が最初に架けられた時代は定かでないが、日本書紀に登場しているのでかなり古くからあったと推測できる。
 古来から「唐橋を制するものは天下を制する」と言われ、京都ののど元を握る軍事・交通上の要衝で、何度も戦乱の舞台となって焼失している。現在の橋は1979年に架け替えられたもので長さ172m。旧橋の擬宝珠(ぎぼし)を欄干につけた優雅な姿は、往時の趣を伝えている。
(写真は 瀬田の唐橋)

神輿(建部大社・宝物殿) 橋の東方約500mの所にある建部大社は日本武尊を祭る近江一の宮の古社。建部大社は最初は神崎郡に創建されたが、飛鳥時代の天武天皇の時代に近江国の国府があった現在地に移された。平安時代末、源頼朝が伊豆へ流される途中、建部大社に立ち寄り源氏再興を祈願、後に平氏を滅ぼしてから武運の神として武将たちの信仰を集めた。
 建部大社の3体の女神像(国・重文)のうち、袂を口に当て恥じらう女性の姿を表現した珍しい神像は、日本武尊の妃・布多遅比売命(うたじひめのみこと)と伝えられている。
平安時代の作で小女神像2体が付いている。
 毎年8月17日の建部大社の船幸(せんこう)祭は、祭神・日本武尊の海路東征に由来する例祭で、大みこし1基、子供みこし3基を和船2隻を連結した御座船2隻に乗せ、神楽船、稚児船など20隻に警護されて、瀬田川を南郷洗堰近くの御旅所まで約4kmを船渡御する水の都らしい華麗な水上祭である。
(写真は 神輿(建部大社・宝物殿))


 
堅田の湖族  放送 8月16日(木)
昔の堅田(近江名所図・滋賀県立近代美術館蔵) 琵琶湖の北湖と南湖を分ける最狭部の西岸が、有名な浮御堂がある堅田の地で、今は琵琶湖大橋で対岸の湖東と結ばれている。中世の堅田はその立地条件から湖上の自由通行権を持ち、また湖上を往来する船の湖上通行承認権を持つなど、絶大な権力を持っていた。
 これら堅田の住民を堅田湖族と呼び、町は自治組織化されていた。堅田を支配していたのが堅田三豪族の刀禰(とね)家、居初(いそめ)家、小月家だった。
(写真は 昔の堅田(近江名所図・滋賀県立近代美術館蔵))

天然図画亭 堅田湖族には茶道や俳諧などの文化を重んじる伝統があった。その現れが堅田豪族のひとつ、居初家の茶室と庭園の天然図画亭(てんねんずえてい)である。千利休の孫の宗旦の高弟・藤村庸軒と堅田の郷士で庸軒の弟子で茶の湯、造園で活躍した北村幽安の合作による江戸時代初期の天和元年(1681)ごろの作と言われている。この庭園の素晴らしさは、庭園のすぐ前の琵琶湖と湖上の船、対岸の湖東にある近江富士の三上山や太神山などの連山を借景にしていることで、天然図画の呼び名にふさわしい庭と言える。
 浮御堂は長徳年間(995〜999)に比叡山の恵心僧都源信が湖上交通の安全と衆生済度を願って建立したのが始まりとされている。
(写真は 天然図画亭)


 
明王院  放送 8月17日(金)
明王院・本堂 大津市の最北部、安曇川渓谷に沿う葛川坊村集落にある明王院は、貞観元年(859)、延暦寺の僧・相応が回峰修行の道場として開いた天台宗の寺。回峰行は相応和尚が始めた修行法で、100日間、毎日30kmの山中を巡る激しい修行。葛川の「三の滝」は相応が滝壷に飛び込んで滝中に不動明王を感得したという霊地である、このとき桂の霊木を引きあげ、不動明王を自ら刻んだと言う。
 また、明王院は昔から不動信仰が盛んな寺で、室町時代に隆盛を極め多くの参篭者が訪れた。当時の参篭札が60枚ほど残っており、その中に室町幕府三代将軍足利義満、九代将軍足利義尚とその母・日野富子らの名がある。
(写真は 明王院・本堂)

三の滝 毎年7月18日に行われる「太鼓まわし」の行事は、本堂外陣の板の間で直径1.2m大太鼓を猛烈な勢いで回し、回転が止まると行者たちが太鼓の上に集まり、不動明王を念じて飛び下りる勇壮で豪快な行事だ 。相応和尚が「三の滝」で不動明王を感得したといわれる故事を表したもので、回る太鼓は滝壷でうねる桂の霊木、太鼓から飛び下りる行者は、滝に飛び込む相応の姿を表していると言う。
 本堂の内陣奥の厨子内には本尊・千手観音立像、不動明王立像、毘沙門天立像(いずれも国・重文)が、秘仏として安置されている。
(写真は 三の滝)


◇あ    し◇
膳所城跡公園JR東海道線石山駅からバス膳所公園下車。
京阪石山坂本線膳所本町駅下車 徒歩7分。 
幻住庵跡JR東海道線石山駅、京阪石山坂本線京阪石山駅から
 バス国分下車 徒歩15分。 
義仲寺JR東海道線膳所駅、京阪石山坂本線京阪膳所駅下車 徒歩10分。 
瀬田の唐橋JR東海道線石山駅下車 徒歩15分。
京阪石山坂本線唐橋前駅下車 徒歩3分。 
建部大社JR東海道線石山駅、京阪石山坂本線京阪石山駅から
 バス建部大社前下車 徒歩3分。 
居初邸JR湖西線堅田駅下車徒歩20分堅田駅から
 バス末広町下車 徒歩6分。 
浮御堂JR湖西線堅田駅からバス堅田出町下車 徒歩5分。 
明王院JR湖西線堅田駅からバス葛川坊村下車 徒歩3分。 
◇問い合わせ先◇
大津市観光課077−528−2756 
大津市観光協会077−528ー2772 
義仲寺077−523−2811 
建部大社077−545−0038 
明王院077−599−2372 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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