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月〜金曜日 18時54分〜19時00分 |
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姫路市〜家島町 |
国宝・姫路城に代表される姫路市だが、姫路城が築城される以前には海岸沿いに古い歴史を持つ城や城下町が形成され繁栄していた。こうした平安時代から室町時代の姫路の歴史をたどってみた。 |
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堅固な守りを誇った英賀城だったが、天正8年(1580)中国地方の平定に向かった羽柴秀吉の攻撃を受けて落城した。城郭はもとより城下町の社寺、民家は兵火によって灰じんと帰し、三木氏や家臣、城下の町民らは方々へ離散した。三木氏10代の栄華は、わずかに残る本丸跡と城郭の土塁跡に見ることができる。 |
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(写真は 英賀城土塁跡) | ||||
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元禄元年(1688)龍門寺近くの浜田の民家を庵とし、師の盤珪和尚が「不徹庵」と名づけ、貞閑尼を庵主とした。貞閑尼は9年後に庵主の座を栄感尼に譲り、2年後の元禄11年(1698)に65歳で没し、龍門寺に葬られた。 |
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(写真は 禅堂) | ||||
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家島本島は家島群島の中心で、官公庁や商店もそろっており、旅館も5軒ある。 |
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(写真は 万体地蔵苑) | ||||
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家島神社は家島群島の総鎮守であり、島民からは航海、漁業の守り神として敬われていた。また国家鎮護の神として平安時代初期に官社に列せられており、同時期に編さんされた延喜式では「明神大社」として記録されている格の高い神社だった。祭神は大己貴命(おおむなじのみこと)、小名彦命(すくなひこのみこと)、天満天神の三柱。7月24、25日の家島神社の夏祭りは有名で、特に絢爛豪華な飾りつけをして海上を航行するだんじり船は、勇壮な海の民の祭のクライマックスにふさわしい圧巻である。 |
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(写真は 砲台場跡) | ||||
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西島にはロッジとテント施設の「兵庫県立母と子の島」がある。恵まれた自然の中で親子や青少年グループが自給自足の生活体験をしながら語り合い、汗を流して自然に親しみ、勤労や遊びを通じて心のふれあいを深める。都会の日常生活から隔絶された自然の中での生活は、子供たちにとって貴重な体験になる。 |
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(写真は 鯛そうめん | ||||
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